新コロ漫筆~会食

一月八日、政府は東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県を対象に緊急事態宣言を再発令した。 新型コロナ対策のまずさで各社世論調査での内閣支持率は急落していて、 再発令に追い込まれた感は否めない。菅首相はこんなはずはないと思っているかもしれないが、これまでのところ国民の期待外れ、落胆の度合は大きい。

プロ野球の新人たちはスカウトや監督という目利きの審査を経ている。ここではプロがプロを選ぶ仕組みである。政治家の輩出はその反対で、政治を職業としない一般の国民、いわばアマチュアが政治のプロ、職業政治家を選出する。厳しいプロの目を経たドラフト会議一位の選手でさえ当てが外れる事例はままあり、政治家の選出における有権者の目はドラフト会議に較べるとだいぶんゆるいから当て外れは茶飯事レベルとはいわないがそれなりの数はある。

そうはいっても例外を認めたうえで選ばれた方々は政治のプロであり、議院内閣制のもとでは、このプロたちが内閣総理大臣を選ぶ。とりわけ多数党のトップの選出は重要で、期待外れは避けなければならず、与党の先生たちは候補者の政治力や政治家としての経歴、人間性などを参考に首相候補を担ぐことになる。長年官房長官をこなしてきたから首相職も大丈夫だろうといった具合に。

そこから先はプロ野球の新人とおなじ運命が待っている。

トップの補佐役としてそつなく務めた方が後を継いでトップになってみるとそれほどでもなかった、酷いのになると余技か旦那芸クラスだったというのは政界のみならず職業人の世界ではときに見られる現象で、政治学者の故、京極純一先生は名著『文明の作法』で「本業が下手な人の多い世間である」と喝破した。しかも「自分が上手と売りこむ人たちが、ほんとに、上手かどうか。やらせてみなければ、本人にも他人にもわからない」のだから難儀な話である。

菅首相のGoToトラベル推進の選択は感染拡大防止にはよくなかったと思う。しかしわたしはそれ以上にGoTo一時停止を決め、五人以上の会食は避けるよう国民に求めたすぐあと銀座のステーキ店で二階幹事長ら八人で会食したことを重く見る。会食事案はこの人の goかstopか、onかoffかを判断する力を疑わせ、GoTo という政策の修正よりこちらを正すほうがよほど難しいと考えるからだ。

くわえて新型コロナ対策を担当する西村大臣が、五人以上の会食は一律に禁止したものではないと開き直りの釈明をした。以後首相には気をつけていただくよう進言しますとか、料亭等での会食は自粛していただき、必要なら少数で、官邸へ仕出し弁当を取って情報収集していただきますといえば、もっと軽く収まっていた気がするけれど、掟破りのトップに、開き直りの補佐役ではまことに「本業が下手な人の多い世間である」と自分のことは棚に上げたうえで思わざるをえなかった。コロナ禍のいまでなくても、職業としての政治に会食やパーティの比重が高くなるのは望ましくなく、余技とか旦那芸の政治になっては国民が迷惑する。

いま感染が拡大するなか、菅首相も西村大臣も、昨年の緊急事態宣言のときよりも緊張感はゆるんでいる、一層の引き締めが必要だと語っている。言葉としてはその通りではあるが、会食に赴く姿や、一律に禁止したものではないがややもすれば脳裡をよぎる。

ちなみに期待通りの成果が上がらないプロ野球の選手にはファームという調整の場所があるけれど、政界にはないのが厄介である。