「コロナは来るな」「久松不在」

二0一九年のクリスマスストーリーとしてアガサ・クリスティポアロのクリスマス』を読んだが、それでは収まらず、つづいて「クリスマス・プディングの冒険」を手にした。以前にも読んだことのあるウェルメイドな短篇小説で、「名探偵ポワロ」では「盗まれたロイヤル・ルビー」と改題され劇化されている。「刑事フォイル」のアンソニーホロヴィッツが脚本を担当しており、こちらも優れものだ。

そのあと、前日にiPhoneの機種変更をしたものだから新旧の引継ぎをしなければならず、まずはLINEの引き継ぎをしておくのがよいと聞いてパンフレットを読みなんとかこなした。つぎにアプリを点検したところ、変更した機種に入っていないアプリがけっこうありインストールしてはIDやパスワードを打ち込んでいるうちにうるさくて投げ出したくなった。

「わしはLINEの引き継ぎは絶対できない。店でやってくれ」「店ではできないことになっています」「いくら説明書を読んでもできない」といったやり取りのあげく、お店に引き継ぎをしてもらった高齢者がいたと、たまたま行き合わせた息子が話していた。地方のお店でお客さんが少なかったからよかったが多いと混乱しただろうな。

          □

外向きについた人の目は他人を見るにはまことに便利で、とりわけ政治家や上司のアラや欠点には義憤、正義も作用して視線は厳しい精査へと向かう。反対に、自身の内へ向かう視線を鍛えるにはナルシシズムも作用するから相当の努力、修練を必要とする。内省や自己反省が得意という人は稀である。そこで自己反省の不足を少しでも改善するために『論語』は「人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか」と毎日三度の自己省察を薦めている。

いっぽうで三省を説く儒者には硬直したイメージがつきまとう。あまり反省をしていると硬直したつまらない人生観に行き着くのだろうか。ならば多様さと柔軟さを具えた反省のあり方を思ったのだが、そこから先のイメージが湧かない。

          □

わたしの二0二0年は古稀を迎えたのと、緊急事態宣言に伴う自粛の年で、自粛ははじめ不安であったが歳末になって振り返ると金はないが時間はたっぷりある老後をゆるやかに過ごした。

さいわい新型コロナ感染症禍のなかにあって新年を迎えることができ、一月二日、ことしの映画はじめとして「バンド・ワゴン」をみた。NHKBSPが年末年始にかけミュージカル映画の名作を連続放送したなかの一本で、毎度のことながらフレッド・アステアの名人芸を堪能し、シド・チャリシーの美しさに見惚れた。

好きな女優さんを三人あげるのは難しいけれど、映画と女優の組み合わせベストスリーとなると「カサブランカ」のイングリッド・バーグマン、「東京物語」の原節子、そして「バンド・ワゴン」のシド・チャリシー、これに「シカゴ」のキャサリン・ゼタ・ジョーンズがつづく。

映画のあとはことしの聴きはじめで「世界は日の出を待っている」をチョイスした。一九八0年ベニー・グッドマンテディ・ウィルソンとともに来日したときの日本武道館におけるコンサートの映像で、ゲンを担ぐというのではないが願いと思いを込めて聴いたあと英語の歌詞を口ずさんだ。「世界は日の出を待っている、薔薇は露を帯びて・・・」

そして寝床で開いた斎藤茂吉の歌集に「くれなゐの獅子のかうべを持つ童子もんどり打ちてあはれなるかも」一首があった。獅子舞はお正月の縁起物のひとつで、角兵衛獅子またの名を越後獅子がよく知られている。そこでふと角兵衛獅子が越後獅子と呼ばれるのはどうしてだろうと思った。

七つ八つからせいぜい十二くらいまでの子供が角兵衛親方の打つ太鼓の音にあわせ、もんどり打ったり、逆立ちして歩いてみせる。獅子の子供の多くは越後つまり新潟県の出だというが、どうして越後は獅子に扮した子供をたくさん輩出したのか。いまも新潟県出身の体操選手は多いのだろうか。まさかね。

ちなみに大好きな美空ひばりの「越後獅子の歌」は昭和二十六年公開の松竹映画『とんぼ返り道中』の主題歌である。

          □

退職して十年、毎年一度は海外旅行に行っていたのが昨年で途絶えた。気軽に旅行ができるようになればいま一度イタリアへ行きたいなと思いながらツンドクのなかから辻邦生『春の戴冠』(新潮社版)を手にした。ルネサンス期のイタリアを舞台とする小説と知るだけだったが、頁を開いてボッチチェリの友人による画家の回想と知れた。今年の読書はじめである。同書は上下巻合わせると九百頁あまり、二段組活字の詰まった大長篇だがこれまで辻作品に挫折したことはなく、今回も同様であってほしい。

画家をめぐる本は堀田善衛ゴヤ』以来で、詩集と絵画はいちばん似合わないというか苦手の極みだが、それだけ憧れは強い。『ゴヤ』のときとおなじく、よい機会だからとネットにあったボッチチェリの廉価版画集を買ってこれからの読書に備えた。

週刊文春」年末年始号 に載る橘玲「高齢者こそ冒険しよう」に「老後問題というのは、老後が長すぎるという問題なのだから、長く働いて老後を短くすれば問題そのものが消滅する」とあった。わたしは働いて老いの時間を過ごす気はなく「老後が長すぎる」としても貧乏しながらそれを甘受する。老後が長すぎるのは素敵なことじゃないかと長い長い小説『春の戴冠』を読んでいる。

          □

一月十日。昨日はことしはじめて10キロレース(ヴァーチャル)を走った。成績は0:58:37、386/746。なんとかキロ五分台で走れているが、やがて六分台になるのかと思うといささか落ち込んでしまう。四分台から五分台に落ちたときは寝込んでしまうほどショックだったのが、いまは六分台を心配している。

その昔、他人が書いた本を読むだけではますます馬鹿になりそうで、下手でよいから自分も何か書いてみたいと、ときにエッセイを書くようになった。

読書の意欲はいまも旺盛だが、書く意欲はどんどん減退していて、健康状態が現状のままだとしても後期高齢者になるころには書く意欲は完全蒸発しているかもしれない。もっとも「ものいわぬは腹ふくるるわざなり」も困るなあ。

それはともかく、書く意欲とちがい長距離を走る意欲の衰えないのはうれしい。

何か勘違いしていたのだ。わたしという馬鹿につける薬はないのに、ちょいとものを書いて、その度合をコントロールしようなどと思っていたのだから。

パソコンをまえにして原稿を書くなど無理はせず、面白い小説や映画、TVドラマ、素敵な音楽にどっぷり浸かった晩年でよい、そんな思いへの傾斜が現在進行中である。

昨日の高校ラグビー選手権決勝と明日の大学ラグビー選手権決勝に挟まれたきょうの午後は気だるく、ふと思いついてウディ・アレンが映画で用いた懐かしいジャズを集めたコンピレーションのディスクを聴いたところ、ノスタルジックな思いとともに心が持ち直し、晩酌のひとときにたどり着いたのだった。

          □

晦日から年始にかけての「村上RADIO」(東京FM)で、村上春樹さんが「コロナは来るな」というてコピーを作ったと語っていた。そういえば『半七捕物帳』の岡本綺堂が、明治二十三年にインフルエンザが大流行したとき「久松不在」とのお祓いを玄関に貼ってある家々があったと書いていた。お染久松は大坂油屋の娘お染と丁稚久松の心中を描いた芝居で知られるカップルで、「久松不在」を換言すると「お染は来るな」で、お染久松のお染を感染症に見立てていたわけだ。

「コロナは来るな」の願いをよそにGoToトラベルを強行し、自分は連日の会食に参加し、国民には「五人以上の会食はだめ」とのたまう総理総裁のもと自民党のエライさんたちは会食が報道されると、一律に禁止したものではないとか感染対策してあるから問題はないと開き直る。 それほど会食をしたければ官邸に仕出し弁当を取ってやればよい。

宮腰光寛元沖縄北方担当大臣にいたっては、富山市内で三十人が参加する懇親会に出席し、飲酒して転倒し救急搬送された。ケジメをつけなければならない事案に対して自民党総裁が注意や譴責を行なったとかの話は聞かない。自分が会食を繰り返しているのでそうもできないのだろう。新型コロナの緊張はどこ吹く風、党内はユルフン状態らしい。

どうあっても会食したければ他人に自粛は言うな!

          □

第三十三代米国大統領トルーマンの政権下でディーン・アチソン国務長官の発言が政治問題化し、長官は大統領に謝罪した。そのとき大統領は「ディーン、どうせ撃たれるなら、背中からじゃなくて真正面から撃たれろ」といった。覚悟のよさが窺われる「ちょっといい話」だ。

おなじく「男を駄目にするものが三つある。権力と金と女だ。わたしは権力を欲しがったことはないし、金を手にしたことはないし、我が人生におけるただひとりの女は、いまこの瞬間わたしの家にいる」。時代の付いた発言ではあるがお人柄が知れる。

いずれもデイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ1』(峯村利哉訳、ちくま文庫)にみえていて、著者によると内省的な性分ではないトルーマンにとって、政治とは全力を尽くすか否かだった、いったんポーカーの卓に座ったら、配られた手札の中で、最善のプレーを尽くせば、夜もぐっすりと眠れると語っていた。

いまわが国の国会の先生方に寝不足が多くなっているとは聞かないから、会食の酒も手伝ってみなさん最善のプレーを尽くしてぐっすり眠っていらっしゃるのだろう。

トルーマンについてはマッカーシズム、狂気の赤狩りを黙認した人物としてあまりよい印象はなかったが本書を通じて人間的な面での魅力を知った。

          □

年末に菅首相は手洗い、マスク、感染症対策を徹底し、静かな年末年始をお過ごしいただきたい、と国民に訴え、また、外国からの新規入国を停止する措置について「先手先手で対応するために指示した」と語った。

年が明けて、一月八日からの東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県への緊急事態宣言発令をめぐって、緊急事態がひと月で収まらなかった場合はとの問いかけに「仮定の話にはお答えできない」と口にするのみだった。

答弁は差し控える、お答えできないは毎度のことで、一国のリーダーの姿としては情けないし、真摯な対話のないところによい知慧は浮かぶまい。

それにしても「先手先手」を指示するならば、いろんな場合を考えた対応策が必要だから「仮定の話にはお答えできない」はないだろう。図らずもまったく先を読んでいないことを露呈した格好だ。

先を読むとしても上手くいくことだけを予想している、天気予報でいえば晴れマークの場合しか念頭にないから、雨、嵐への備えはない。GoToトラベルにしても、感染状況に影響するエビデンスはなく、これで経済活性化の一助になるとしか思っていなかっただろう。

「多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない」(ユリウス・カエサル

          □

できるだけ外出は控えているが床屋はそうもいかず、散髪をしてもらったあとスターバックスに座り、ふとお客さんたちを眺めると若者、中年ばかりで、どうやらわたしが最高齢であった。そのうち外出老人を専門に取り締まる自警グループが活動をはじめるかもしれないと苦笑。

帰宅してたまたまテレビを見ると相変わらず国会では審議中に寝ている議員が散見された。「最善のプレーを尽くせば、夜もぐっすりと眠れる」うえに昼間もよく眠っていらっしゃる先生方である。

          □

昨秋七十歳になったのを機に『荷風全集』の再読をはじめた。荷風ファン×東京在住下層年金生活者としてありがたいのはアメリカとフランスへの西遊を別にすると作品の舞台となる地は東京に限られ、多くが簡単に訪れることができ、荷風文学の地誌に親しむことができる。国内旅行は京都、大阪、長崎、それと戦時中に疎開した岡山や敗戦直後の東京への帰還が叶わなかったときの熱海くらいのものだ。

荷風が若き日を回想しながら、礫川つまり小石川を散歩した際の随筆に「礫川徜徉記」がある。過日久しぶりに読み、ゆかりの場所を散策した。

根津神社裏門坂を上がって本郷通りへ出て白山に向かい、白山神社にごあいさつして近くの蓮久寺を訪れ荷風の友人で、唖唖と号した井上精一の墓に参った。井上唖唖が歿したのは大正十二年七月十一日、享年四十四、破滅型の文士は酒で命を縮めた。「礫川徜徉記」は大正十三年に発表されていて、荷風が訪れたときはまだ一周忌を迎えていなかった。

f:id:nmh470530:20210127132239j:image
f:id:nmh470530:20210127132235j:image

「門に入るに離離たる古松の下に寺の男の落葉掃きゐたれば」といった光景は過去のものとなっているが「世に竹馬の交をよろこべるものは多かるべしといへども、子とわれとの如く終生よく無頼の行動を共にしたのは稀なるべし」と語った友人は「井上家之墓」に眠っていて墓碑銘に「俗名精一」と刻まれている。

よい機会だから荷風「十日の菊」にある唖々のことばをしるしておこう。

「此の頃の若い女はざつと雨が降つてくるのを見ても、あらしもよひの天気だとは言はない。低気圧だとか、暴風雨だとか言ふよ。道をきくと、車夫のくせに、四辻の事を十字街だのと言ふよ。ちよいと向のお稲荷様なんていふ事は知らないんだ。御話にやならない。大工や植木屋で、仕事をしたことを全部完成ですと言つた奴があるよ。銭勘定は会計、受取は請求といふのだつたな」云々。

井上唖唖の墓参のあと、もうひとりおなじ白山の本念寺にある蜀山人太田南畝の墓を訪れた。

f:id:nmh470530:20210127132517j:image
f:id:nmh470530:20210127132511j:image

大正三年八月「文章世界」臨時増刊に載る「趣味と好尚」というアンケート「好きな歴史上の人物は?」に荷風は「大田南畝」と回答している。

その人間的魅力については「葷斎漫筆」に、儒学に造詣深く、狂歌稗史をつくる奇才あるものの名声に恋恋としない、古今の典礼故実に通じながら博識を誇らしげにしない、芸妓娼妓の巷に出入りしても酒色に溺れない、心が広くときに人の意表に出ることはあっても謙譲の徳を失わない、これらが人をして南畝を尊敬、また慕わせると説いた。

ちなみに上のアンケートでは「一番幸福に思ふことは?」に「訪問記者の来らぬ日」、「一番不幸に思ふ事は?」に「銭のないこと」と答えている。

その十年後、荷風は「礫川徜徉記」に「われ小石川白山のあたりを過る時は、必本念寺に入りて北山南畝両儒の墓を弔ひ、また南畝が後裔にしてわれらが友たりし南岳の墓に香華を手向くるを常となせり」と書いた。

 

 

新コロ漫筆~「必ずやる」

新型コロナウイルスの第三波が猛威をふるうなか、七月二十三日から予定されている東京オリンピックパラリンピックの開催をめぐる議論が熱を帯びてきた。世論調査では国民の八割以上が中止もしくは再延期の意向だから風当たりが強くなってきたといってよいだろう。

こうしたなか菅首相は「人類がコロナウィルスに勝利した証として東京オリンピックを開催する」、自民党二階幹事長は「東京オリ・パラを開催して、スポーツ振興を図ることは国民の健康にもつながる。『開催しない』という考えを聞いてみたいくらいだ」と語り、二月二日には東京オリンピックパラリンピック組織委員会森喜朗(前)会長が自民党本部での会合で、今夏の開催について「私たちはコロナがどういう形であろうと必ずやる」「一番大きな問題は世論とコロナ」「やるか、やらないか、という議論ではなく、どうやるか」と明言した。菅、二階、森、お三方の揃い踏みで、賛成はしかねるけれど覚悟のほどはよくわかった。

賛成しかねるというのは菅首相、二階幹事長、森会長が感染状況、世論の動向を踏まえたうえで、最低限こういう条件下であれば実施できると結論したプロセスがわからない不安から来ている。天気予報でいえば晴れマーク頼みで、曇り、雨、嵐のときどうするかがまったく見えず、ユリウス・カエサルがいったように「見たいと欲する現実しか見ていない」としか思われない。

昭和十九年三月、多くの反対を押し切ってインパール作戦を強行した牟田口司令官は軍需品について増強を要請した連隊長・松木熊吉中佐を「第33師団は、軍の補給が遅れているから前進出来んというのか。インパールに突入すれば、食糧なんかどうにでもなる」と叱責したという。

まさかオリンピックに突入すればコロナはなんとかなると考えてはおられないだろうが「私たちはコロナがどういう形であろうと必ずやる」という言葉から浮かんでくるのはオリンピック・パラリンピックという祭典にまなじりを決し、特攻の覚悟で臨む姿にほかならない。祭典はたのしく催すものじゃないか。

わたしはいま七十歳、お三方はいずれも年上で、新型コロナウイルスを怖れぬ意気軒昂ぶりはたいしたもの、たとえ陽性になっても本懐であろうし、高齢者という不安材料はあるがいざというときはすぐに入院でき、最高最良の治療が受けられる。当方は陽性になっても病床逼迫であれば入院できるかどうかさえわからない身の上であり、いまの世界の感染状況のなか開催となると自衛を図らなければならず、まずは疎開を考えることになるだろう。何よりも「われらの安全と生存を保持」(日本国憲法)することが大切である。

 

新コロ漫筆~「お答えを差し控える」

先日のテレビのニュースの一場面、医療提供体制の不備を謝罪する菅首相に「そんな答弁だから言葉が伝わらないんですよ。そんなメッセージだから国民に危機感が伝わらないんですよ」と蓮舫参議院議員が語気を強めたのに対し首相は「少々失礼じゃないでしょうか」と気色ばんだ。

あのシーンを見た限り、蓮舫議員は気持の高ぶりと声の大きさ、鋭さが比例している方らしく、わたしが連想したのは感情の高揚を絶叫で表現するしかない出来の悪い日本映画だった。誰とは言わぬが予告編でその役者さんを見るたびにいつも叫んでいて気の毒なほどだ。役者が悪いのではなくそうした演出しかできないスタッフの問題で、たとえば二00九年の奇跡的な生還劇として知られるUSエアウェイズ1549便不時着水事故を描いた『ハドソン川の奇跡』を絶叫、怒号大好きな監督で映画化するととんでもない作品になってしまっていただろう。クリント・イーストウッド監督のあの映画で機長役のトム・ハンクス が絶叫するシーンはなく、機長に求められたのは自身の感情をコントロールして乗客を安全に脱出させる方策であり、感情失禁状態でキャンキャン吠えていてはあるべき方策など望むべくもない。話が映画のほうへ寄ってしまったけれど、わたしは感情激昂タイプの質問ぶりが苦手というだけのことだ。

それでも菅首相の口から「失礼」という言葉を引き出したのはよしとしなければならない。念のため申し上げておくと、菅首相のしゃべり方をまずいと思ったことはない。立板に水の如くペラペラしゃべる御仁とか、慇懃無礼、他人を小馬鹿にし巧言令色を掛け合わせたタイプより好感が持てる。むかし大平正芳首相は、口を開けばアー、ウーというので鈍牛と揶揄されたが、かえって愛嬌があると親しまれてもいた。

そのうえで「失礼」を問題にしたい。国会は与野党の議員が討議討論を通じて法律や政策を決定する場であり、議員の背後には国民がいる。蓮舫議員のいう「そんな答弁」であれ別の答弁であれ、首相にとっては言葉と誠意を尽くして議員及び国民の理解を図り、説得する場でもある。そこでの「答弁は差し控える」「お答えできない」の連発は答弁を求める議員はもとよりその背後にいる国民にたいし「失礼」である。

立命館大産業社会学部の桜井啓太准教授が国会答弁で出た「お答えを差し控える」の回数を調べたところ、直近五年は毎年三百を超える「異常事態」になっていて、なかでも安倍政権下の二0一七年~一九年が毎年五百件と突出している。桜井氏はいつからこんなに国会は答えなくても許される場所になったのか?と思い調べたと語っている。(二0二0年十一月六日朝日新聞)そうして安倍内閣官房長官だった菅義偉氏は首相に就任すると、さっそく使い慣れた「お答えを差し控える」を連発しているわけだ。

やがて新型コロナワクチンの接種がはじまる。そこまでの段取りや接種後の体調の変化などさまざまな問題が予想されるが、それこそお答えを差し控えられたりすればわたしたちの生命に関わりかねない。

国会で質問する議員、答弁する閣僚、いずれも国民の代表であることを踏まえると、「お答えを差し控える」というその場限りのやり過ごし、討議討論の中抜きが国民の無視につながるのはいうまでもない。

議会はたんに賛否を問う場ではなく、議員の先生方が自由闊達に意見を出し合い、存念を語り合い、討議討論を通じて説得を試み、ときに異なる意見を組み合わせて合意形成を図る場であり、それを可能にするのは言葉のやりとりである。その意味で「議会政治は『申しがら』の芸でたつ」「議会政治は人類文明の花である」。(京極純一『文明の作法』)

お答えを差し控えていては芸は磨かれず、花は咲かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新コロ漫筆~会食

一月八日、政府は東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県を対象に緊急事態宣言を再発令した。 新型コロナ対策のまずさで各社世論調査での内閣支持率は急落していて、 再発令に追い込まれた感は否めない。菅首相はこんなはずはないと思っているかもしれないが、これまでのところ国民の期待外れ、落胆の度合は大きい。

プロ野球の新人たちはスカウトや監督という目利きの審査を経ている。ここではプロがプロを選ぶ仕組みである。政治家の輩出はその反対で、政治を職業としない一般の国民、いわばアマチュアが政治のプロ、職業政治家を選出する。厳しいプロの目を経たドラフト会議一位の選手でさえ当てが外れる事例はままあり、政治家の選出における有権者の目はドラフト会議に較べるとだいぶんゆるいから当て外れは茶飯事レベルとはいわないがそれなりの数はある。

そうはいっても例外を認めたうえで選ばれた方々は政治のプロであり、議院内閣制のもとでは、このプロたちが内閣総理大臣を選ぶ。とりわけ多数党のトップの選出は重要で、期待外れは避けなければならず、与党の先生たちは候補者の政治力や政治家としての経歴、人間性などを参考に首相候補を担ぐことになる。長年官房長官をこなしてきたから首相職も大丈夫だろうといった具合に。

そこから先はプロ野球の新人とおなじ運命が待っている。

トップの補佐役としてそつなく務めた方が後を継いでトップになってみるとそれほどでもなかった、酷いのになると余技か旦那芸クラスだったというのは政界のみならず職業人の世界ではときに見られる現象で、政治学者の故、京極純一先生は名著『文明の作法』で「本業が下手な人の多い世間である」と喝破した。しかも「自分が上手と売りこむ人たちが、ほんとに、上手かどうか。やらせてみなければ、本人にも他人にもわからない」のだから難儀な話である。

菅首相のGoToトラベル推進の選択は感染拡大防止にはよくなかったと思う。しかしわたしはそれ以上にGoTo一時停止を決め、五人以上の会食は避けるよう国民に求めたすぐあと銀座のステーキ店で二階幹事長ら八人で会食したことを重く見る。会食事案はこの人の goかstopか、onかoffかを判断する力を疑わせ、GoTo という政策の修正よりこちらを正すほうがよほど難しいと考えるからだ。

くわえて新型コロナ対策を担当する西村大臣が、五人以上の会食は一律に禁止したものではないと開き直りの釈明をした。以後首相には気をつけていただくよう進言しますとか、料亭等での会食は自粛していただき、必要なら少数で、官邸へ仕出し弁当を取って情報収集していただきますといえば、もっと軽く収まっていた気がするけれど、掟破りのトップに、開き直りの補佐役ではまことに「本業が下手な人の多い世間である」と自分のことは棚に上げたうえで思わざるをえなかった。コロナ禍のいまでなくても、職業としての政治に会食やパーティの比重が高くなるのは望ましくなく、余技とか旦那芸の政治になっては国民が迷惑する。

いま感染が拡大するなか、菅首相も西村大臣も、昨年の緊急事態宣言のときよりも緊張感はゆるんでいる、一層の引き締めが必要だと語っている。言葉としてはその通りではあるが、会食に赴く姿や、一律に禁止したものではないがややもすれば脳裡をよぎる。

ちなみに期待通りの成果が上がらないプロ野球の選手にはファームという調整の場所があるけれど、政界にはないのが厄介である。

 

 

 

新コロ漫筆~感染症につけ入る隙

嫌いなものと問われてすぐに思い浮かぶのは健康診断で、在職中はやむなく法律で定める最低限の健診は受けたものの、胃検診や宿泊付きの詳しい検査には見向きもしなかった。症状がないのに胃にバリウムやカメラを入れられてはたまらない。

自覚症状がない限り病院には行かず、これまで特段のことはなかったからありがたいことこの上ない。ただし健康ですかと問われてはい、と答える自信はなく、健診を受けていないから身体に何が潜んでいるかわからない。

それでもわたしは 早期発見早期治療よりも「知らぬが仏」を選ぶ。仮に重い病気に罹り、健診の有無と因果関係があったとしても自己責任としてあきらめる。そのうえで行き着くところまでは美味いものを喰い、好きな酒を飲み、本と映画と音楽に親しみ、長距離レースを走る。そして健診を受けなかったことを後悔せず粛々と諦念をかみしめる。

余談になるがそんなわたしも一昨年MRIを含む脳についてのいろいろな検査をした。健診ではなかったが内容はおなじようなものだろう。某大学病院の事務方の知り合いに頼まれて、高齢者の認知症についての研究の臨床実験台に上がりデータを提供した。一日一万円の謝金を下さると聞くと、たちまち応じた。お金ですぐ転んでしまう健診検査嫌いである。

閑話休題

「人間万事天命のいたす所なり。花魁にして孕むものあり、戦争に行つたとて十人が十人死ぬものと限らず、直る病は打捨つて置いても直るなり」「医者は建築家にあらずして修繕の大工なり。下手な大工来たりて無闇に土台の根つぎなぞすれば建付け却って悪くなる事ままあり」と永井荷風が随筆「何ぢややら」に書いている。

わたしの健診嫌いもここに通じていて、これからもこのスタンスを維持していきたいと願っているけれど、感染症には別の事情が絡む。

落語の「死神」では蝋燭の一本が人の寿命であり、火が消えるとき寿命は尽きることになっている。どんなにあがいても火が消えるときは消える。感染症が火を消すのも天命である。しかし生来の体質の影響が大きい生活習慣病なんかよりも感染症はつけ入る隙が大きいのではないか。感染防止に努めればひょっとして火が消えるのを先延ばしできる、天命を修正できるかもしれない。ときに間抜けな死神もいるのだから。

それに努めるといっても手洗い、うがい、マスク、三密を避けるなど簡単なことばかりで、酒や煙草を止すよりずっとやさしい。なかには会食を自粛するとストレスが溜まるという困った人もいるそうだが、なに、そういう手合には近づかず、放っておけばよろしい。

新コロ漫筆~不要不急

在職中から隠居志向が強く、退職後は受忍できる貧乏であれば甘受して自由な時間を過ごしたいと願っていた。おかげさまで定年退職してからこれまでのおよそ十年を無職渡世一筋、安穏に過ごすことができた。

定年後再就職する人に較べるとわたしのようなタイプは少数に属するだろう。再就職は必ずしも生活費を稼ぐためばかりではなく、仕事のよろこび、社会貢献、交際交流の充実、なかには老後が長すぎるからもっと働く、じっとしていられないという方もいる。いずれにしても立派なものだ。

老いの時間を働いて過ごす意思を持たないからか、テレビやラジオでコロナ禍のなか不要不急の外出をしないようにと聞くと、不要不急にみょうに反応してしまうときがある。

不要不急すなわち、さしあたっては必要なく、急いでする必要もない、これに外出ではなく人がくっついて不要不急の人となると自身にほかならず、みょうに反応するというのはこの謂で、そういえば古今亭志ん朝さんは長屋ののんきな連中を、世の中ついでに生きている人たちでして、と語っていた。

新型コロナの問題を機にパンデミック(世界的大流行)、ロックダウン(都市封鎖)、クラスター(集団感染)、トリアージ(緊急度に応じて治療の優先順位をつけること)などこれまでご縁のなかった言葉を知った。知らないままでいられたらどんなにかよかったと思うけれど。

とりわけ気になるのはトリアージで、 感染拡大で日本もトリアージの可能性は否定できないという。感染しても入院できず自宅待機している方が激増していて、都内の保健所の担当者は「年齢、基礎疾患などを加味して優先順位をつけて入院先を探すが、特に年末年始は大変だった」と語っている、また神奈川県では臨月妊婦は6、糖尿病は2、肥満は1といった具合にポイント制を採用して優先度を決めている。この先にあるのが生命の選択、トリアージである。

世界には棄老の風習や伝説があり、 深沢七郎楢山節考』にあるようにわが国も例外ではない。家族の貧困と飢えを少しでも軽減するために老人が棄てられるのはトリアージの原型なのかもしれない。

仮におなじ年頃の高齢者で病状も同程度、しかし二人のうち一人しか治療できない事態を想定してみよう。付け加えると一方は不要不急の人、他方は労働力として役立っている。結果は明らかで労働力が優先され、世の中ついでに生きているような連中は「控えおろう」となるだろう。そうならないよう不要不急組は一層の感染予防に努めるほかない。

 

マッカーシズムとトランピズム

一九五0年代のアメリカ合衆国アメリカがいちばんアメリカらしかった時代だったとの見方がある。第二次世界大戦に勝利し、ヨーロッパ、アジアと異なり悲惨な戦場とはならず、戦後は政治、軍事、経済、文化いずれも世界トップの位置を占め、安定と繁栄がもたらされたというのがその歴史像である。

いっぽうで戦後から五十年代半ばにかけての米国にはマッカーシズムの席巻という暗い歴史がある。共和党上院議員のジョセフ・マッカーシーにより「共産主義者である」と批判を受け、レッテルを貼られた連邦政府職員やマスメディア、映画関係者たちはその地位を追われ、チャーリー・チャップリンまでもが容疑者とされアメリカを離れなければならなかった。冷戦期とはいえあまりに常軌を逸していた。

アメリカの五十年代をさまざまな面から論じたデイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ1』(ちくま文庫)で著者はマッカーシズムについてこう述べている。

マッカーシーはこう主張した。アメリカを悩ませる国内の破壊活動は、民主党によって容認、推奨されている」

「世界でアメリカの望まぬ事態が起こったとき、その裏には必ず何らかの陰謀が存在している」。

この二つの文のアメリカをトランプと読み替えるとトランプ大統領の言動と瓜二つ、マッカーシズムとトランピズムは一卵性双生児のようだ。

マッカーシズムが猛威を振るうなか、ある民主党議員はマッカーシーを「でっちあげとペテン……アメリカ国民のヒステリーと恐怖に、かつてない規模で火をつけようとした企み」と批判した。トランプ大統領はこの一月六日、彼を支持する集会で参加者に連邦議会議事堂に向かうよう促し、建物はおよそ三時間にわたり占拠され、バイデン時期大統領を正式に選出する会議を中断させた。「 アメリカ国民のヒステリーと恐怖に、かつてない規模で火をつけようとした企み 」という点でもトランプ大統領マッカーシー上院議員の顰に倣っていたようだ。

『ザ・フィフティーズ1』に戻るとデイヴィッド・ハルバースタムは、米国の差別、偏見の核を「外国人と、移民と、アメリカで三世代を経過したと証明されていないすべてのものに対する恐怖、不信、嫌悪」だと指摘している。マッカーシズムはこれらを噴き出させ、トランプは継承して、この四年をその第二楽章とした。

「文明とは礼儀を知る事であらう。交るにも礼儀を以てし又争ふ事であらう。今古人物の美徳を敬慕し誠実に之を称揚することであらう。常に心地よく胸襟を開いて、わが思ふ処を忌憚なく打明けると共に、人の云ふ処を誤解なく聴取る事であらう」。

永井荷風「文明発刊の辞」にあるこの一節を踏まえていえば議会制民主主義とその誠実な運用は人類文明の花のひとつであり、連邦議会議事堂への乱入はこの花を踏みにじる行為だった。