新コロ漫筆~不要不急

在職中から隠居志向が強く、退職後は受忍できる貧乏であれば甘受して自由な時間を過ごしたいと願っていた。おかげさまで定年退職してからこれまでのおよそ十年を無職渡世一筋、安穏に過ごすことができた。

定年後再就職する人に較べるとわたしのようなタイプは少数に属するだろう。再就職は必ずしも生活費を稼ぐためばかりではなく、仕事のよろこび、社会貢献、交際交流の充実、なかには老後が長すぎるからもっと働く、じっとしていられないという方もいる。いずれにしても立派なものだ。

老いの時間を働いて過ごす意思を持たないからか、テレビやラジオでコロナ禍のなか不要不急の外出をしないようにと聞くと、不要不急にみょうに反応してしまうときがある。

不要不急すなわち、さしあたっては必要なく、急いでする必要もない、これに外出ではなく人がくっついて不要不急の人となると自身にほかならず、みょうに反応するというのはこの謂で、そういえば古今亭志ん朝さんは長屋ののんきな連中を、世の中ついでに生きている人たちでして、と語っていた。

新型コロナの問題を機にパンデミック(世界的大流行)、ロックダウン(都市封鎖)、クラスター(集団感染)、トリアージ(緊急度に応じて治療の優先順位をつけること)などこれまでご縁のなかった言葉を知った。知らないままでいられたらどんなにかよかったと思うけれど。

とりわけ気になるのはトリアージで、 感染拡大で日本もトリアージの可能性は否定できないという。感染しても入院できず自宅待機している方が激増していて、都内の保健所の担当者は「年齢、基礎疾患などを加味して優先順位をつけて入院先を探すが、特に年末年始は大変だった」と語っている、また神奈川県では臨月妊婦は6、糖尿病は2、肥満は1といった具合にポイント制を採用して優先度を決めている。この先にあるのが生命の選択、トリアージである。

世界には棄老の風習や伝説があり、 深沢七郎楢山節考』にあるようにわが国も例外ではない。家族の貧困と飢えを少しでも軽減するために老人が棄てられるのはトリアージの原型なのかもしれない。

仮におなじ年頃の高齢者で病状も同程度、しかし二人のうち一人しか治療できない事態を想定してみよう。付け加えると一方は不要不急の人、他方は労働力として役立っている。結果は明らかで労働力が優先され、世の中ついでに生きているような連中は「控えおろう」となるだろう。そうならないよう不要不急組は一層の感染予防に努めるほかない。