合ハイ、合コン

昨年モンテーニュ『エセー』を読み、来年はフランス・ルネサンス関連でフランソワ・ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』に挑戦しようと決めた。年が明け新型コロナ感染症、緊急事態宣言とたいへんな波が押し寄せはや半年以上が過ぎ、のんびり構えていてはいけないとようやく取り掛かった。

ラブレーの物語はSFふう壮大なほら話のなかに笑いと風刺を織りまぜた傑作大長篇として知られるが、SF、ファンタジーとのおつきあいはほとんどなく 、いまだに「E.T.」という映画のよさがわからないほどホラ話にたいして感度のよくない自分に向いているとは思えないと危ぶんだとおりハードルが高すぎ、興味の持てそうなわずかの箇所のほかは飛ばし読みして終えた。歯が立ちそうにない本は適当に頁を繰り、面白そうなところだけを拾い出して終わりというのがほめられたものではないと承知していても、いま一度立ち向かう気力はない。読む、見るいずれも歯が立たなければご縁がなかっただけの話だ。

こうなるとしばらくは読むのに骨の折れそうな作品には近づきにくい。ガルガンチュアとパンタグリュエルという颱風が一過したところで、楽しさ、面白さ保証附の池波正太郎鬼平犯科帳』を手にした。今回読んだのは十二巻、十三巻で全二十五巻だからようやく半分まで来た。

三十年近くまえ、政治学京極純一先生の旧制高校時代からの畏友美馬敏男先生が「京極は鬼平を全巻読んだそうだ」とおっしゃっていたのが鬼平を意識したはじまりで、退職してから少しずつ読みはじめた。京極先生ご自身からはユングをお薦めいただいたがこちらは手つかずのまま、せめて鬼平全巻読破は見習いたい。

鬼平』のあとはのどかで心が安らぐエッセイ集を読みたいなと思った。映画でいえば小津安二郎「お早よう」とか清水宏「按摩と女」といった。そうして書架の未読書コーナーを眺めていると小沼丹『小さな手袋/珈琲挽き』(みすず書房)が目に止まり、たちまちいい人、いい随筆集に巡り会ったとピンときた。

じっさい読みはじめるといまのわたしのリクエストにぴったりでうれしくなった。なかに「帽子の話」というのがありわずか四ページのなかで新しく帽子を買ったところがどこかへ忘れ、仕方がないので新しいのを買い、その帽子をかぶってなじみの酒場へ行くと失くした帽子を保管してあるといわれ、二つを重ねてタクシーに乗ると運転手に他の人の帽子までかぶって来たんじゃないですかと問われ、そうこうしているうちにこんどは新しい帽子を失くしてしまい、ところがこれが思わぬところから出て来て、といったささやかな帽子騒動、ヒッチコック監督「ハリーの災難」の帽子版ですね。

おなじく「窓」というエッセイに「勤務先の七階の部屋に這入つて、窓のブラインドを揚げると、正面右手にある病院の高い建物が眼に入る。二十何階とか聞いたが、正確な所は知らない」とあり、 大学生のとき一度だけ参加した合ハイ のことが思い出された。

そのときのお相手が小沼先生の部屋の窓からみえる病院の、当時の言葉では看護婦さんもしくは准看護婦さんを養成する学校の方たちだった。

合ハイについてはなんの記憶もないけれど、 どんくさい大学一年生だったわたしはクラスメートが 相手の学校へ行き、話をまとめてきたのにびっくりし、とても敵わないと思ったのはおぼえている。

ついでながら在学中の一九七二年旧日本陸軍の兵士横井正一さんがグアムで発見され、帰国して入院していたのがこの病院だった。

それから四半世紀ほどのち、看護師さんたちと楽しいお酒を飲んだことがあった。県外出張の夜、いずれも四十代後半の男、たしか三人で飲んでいるうちに、 隣にいた三十代とおぼしい三、四人の女性たちと成り行きで会話し、いっしょにお酒を飲んだ。聞けば看護師さんたちで、明るくノリがよく、おかげで楽しいひとときを過ごさせていただいた。旅先での思いもよらない合コンだった。

のちに看護師さんたちは病気、死と向きあう職業柄飲むときはほがらかに、楽しく!のタイプが多いと聞いた。新型コロナ感染症禍のいま医療従事者はたいへんな状態にあるが、せめてひとときお酒を飲むときはあのときの合コンの看護師さんたちの雰囲気であってほしいと願っている。

こうしてラブレーから池波正太郎、そして小沼丹という気ままな乱読の道が合ハイと合コンの思い出につながったしだいである。

 

「オフィシャル・シークレット」

映画のもととなったのはイラク戦争を前に米英側の暗部をリークしたキャサリン・ガンの事件、その再現にしっかり努めた作品です。わたしは事件を知らなかったために興味関心、ことの行方を追う度合は増し、スクリーンに見入っていました。何がさいわいするかわからないものです。

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二00三年、イギリスの政府通信本部の職員として働いていたキャサリン・ガンはある日、アメリカとイギリスが国連の安全保障理事会イラクにたいする軍事制裁を決議したい、そのためには非常任理事国からも賛成票を集めなくてはならず、両国の諜報機関非常任理事国の動向を把握すべく通信を傍受することに決したと書かれたメールを目にします。事情によっては脅迫の材料とするためです。

イラク戦争を不当な戦争だと認識していた彼女は、この裏工作をどうしても看過できず、やむなくメモ書きを報道機関に漏らしたのでした。情報漏洩の追求は厳しく、同僚たちが詰問される姿に耐えきれなくなった彼女はみずからの行為であることを告白します。待っていたのは「裏切り者」にたいする法の裁きとクルド人の夫への圧力でした。

司法取引による減刑を勧めてくれる人はいましたが彼女はあくまで無罪を主張します。その支えとなったのは、自分は政権ではなく国民に仕えている身だという思いでした。そんな彼女を扶けたのが人権派の弁護士ベン・エマーソンです。

情報漏洩者にたいする法廷劇と裏で進行する戦争への政治過程はキャサリン役のキーラ・ナイトレイや弁護士役のレイフ・ファインズたちの演技と相まって見応え十分。 イラク戦争にブレア首相がのめり込んで行った要因、過程を暗示したフィクションに「ゴーストライター」があり、これに事実をベースとした「オフィシャル・シークレット」が加わり、ともにイラク戦争をイギリス側から描いた優れた好一対となったのは喜ばしいのですが、 イラク大量破壊兵器の保持を理由とする戦争でありながら物証、決定的証拠は見つからなかったというとんでもない虚構の棘は国際政治に刺さったままです。

裁判でベン・エマーソン弁護士はある公文書を重要な資料として用いようとします。政府には不都合な真実です。この文書の扱いで裁判は意外な展開をたどります。イギリス政府は公文書を出したくなければ安倍首相に教えてもらえばよいのにと思って苦笑し、いささかの怖さを覚えました。

(九月一日TOHOシネマズシャンテ)

「ファヒム パリが見た奇跡」

難民問題とチェスを上手に組み合わせた社会派エンターテインメント作品です。もっともその前にモデルとなったチェス選手ファヒム・モハマンドの実話を見いだしたところでこの映画の成功はなかば約束されていた気もします。あとはゲージュツなどに色気を出さず、事実に即して素直に撮ればよかったのですから。

これに加えてバングラデシュからやって来た父子に心を寄せ、支える周囲の人々の心暖まるエピソードがフランスの市民の良心を示していてうれしい気分にさせてくれました。

ちょっとうらぶれた感じのチェス教室の先生(ジェラール・ドパルデュー)、その教室の年配の女性の事務長(といってよいのかな?事務にはほかに人はいないんですけど)、チェス教室の子供たちとその家族の話も事実に添ったものと信じたい。

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二0一一年ファヒムの父は治安当局から目をつけられたのを機に、チェスで注目を浴びる八歳の長男に不測の事があってはいけないと二人でバングラディシュからフランスへ渡ります。あとで妻子を呼び寄せるといっても、難民申請が認められるかどうかは不明です。先の見通しの立たない行動に駆りたてたのはひとえにチェスに向き合う息子ファヒムの姿でした。

しかしフランスへやってきたものの、父は適応力は乏しく、フランス語になじめないままとまどうばかり、そして難民申請は不許可となります。いっぽう息子のほうはたちまちフランス語に慣れ、周囲の支援を受けてチェスのフランス選手権十二歳以下の部で勝ち進みます。

こうして父は本国へ送還、長男は里親か施設で育てられようとする決定的な瞬間にチェス教室の事務長がラジオで首相に質問をする機会を得たのでした。

「フランスは人権を尊重する国でしょうか、それとも人権を尊重すると宣言しただけの国なのでしょうか」。

フラン市民の真骨頂を発揮した爽やかで、重みのある問いかけです。

解答欄に答えを書くのは難しくありません。しかし現実は簡単ではなく、世界の、とりわけヨーロッパの国々は自国民の生活の防衛と難民の受け入れとのあいだのどこに均衡があるのかの苦悩が続いています。

映画を観たあと浮かんできたのは、ファヒムくんとは異なり、社会的に価値ある実績、技術、才能などをもたない多くの難民のことでした。映画の製作陣の視線の行方はバングラディシュからやって来た父子の処遇のもうひとつ先にあるこれらの人々にあったのかもしれません。

(八月二十五日ヒューマントラストシネマ有楽町)

緊急事態宣言後の初レース

原作と映像(テレビドラマ、映画)の二方面でアガサ・クリスティ攻略作戦を展開している。なにしろ作品が多いので、読んでいると思っていたのがテレビドラマをみていただけだったり、この作品を読もうと決めたあとで既読とわかったりするからまずは整理をしっかりしておかなければならない。

いずれ作戦終了するころになれば記憶力はますます減退し、作戦内容の大半は忘れているだろうからはじめからやり直し、つまりクリスティを生涯たのしむことになるわけだ。今回の作戦は遅ればせながら彼女のデビュー作にしてエルキュール・ポアロがはじめて登場した『スタイルズ荘の怪事件』、ドラマはみているが原作との異同をチェックするのがまた一興だ。

一八九0年生まれのアガサ・クリスティは一九二0年にこの作品で作家デビューした。その十二年まえ彼女はインフルエンザで病床にあり、もう読む本がなくなったと母親に訴えると「それなら、自分で書いてみたら」と母は答えたというエピソードがマシュー・プリチャード「『スタイルズ荘の怪事件』によせて」にある。病床にあった少女がミステリーの女王になるのにインフルエンザが一役かっていて、ここにも感染症が関わった歴史がある。

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七月二十五日。10キロヴァーチャルレースに参加した。緊急事態宣言のあとはじめてのレースだ。ヴァーチャルというのは六時から十二時のあいだに各自が定めたコースをGPS付アプリで計測、送付し、主催者(東京マラソン財団)が集計するスタイルで、わたしはホームグラウンドとする不忍池周回コースを走った。 

上野公園は紫陽花が終わり蓮の花が咲きはじめていて、公園での散歩やジョギングは、まあまあ安全だと聞くけれど、東京では連日二百人、三百人と感染者が出ていて不安は小さくはなく、できるだけ外出は控えている。うれしいのは朝のジョギングで、公園での走りも控えるようにといわれてはもたない。毎朝のジョギングと一日おきの晩酌がいまのわたしを癒してくれている。

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家にいる時間が多くなると口腹のたのしみが増して晩酌に愛しさを覚える。ビールのあとに焼酎、ウイスキーのいずれかを飲む。どちらの組合せにしてもお酒がおいしくてたまらない。 ジョギングやレースを考えて一日おきとしているから晩酌のない日はさびしく精神的には依存症だろうが、それをいえばジョギングについても依存症である。いずれにせよわたしに酒は涙でもため息でもなく、晩酌のない日が涙であり、ため息である。

「山あれば山を観る/雨の日は雨を聴く/春夏秋冬/あしたもよろし/ゆふべもよろし」(山頭火)。これに酒と料理が彩りを添えてくれる幸せを求めたい。昨年の暮れにマルタ共和国へ行ってから海外旅行が途絶えた。贅沢いってはキリがないが、はやく外国でも山を観て、雨を聴きたい。

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『スタイルズ荘の怪事件』に続く本と映像作品によるアガサ・クリスティ攻略作戦は『復讐の女神』だ。本作は『カリブ海の秘密』の続篇にあたるがこちらの作戦は完了している。

『復讐の女神』にあったミス・マープルの友人の一人の挿話、なんと彼女はタクシーの事故が四回、自家用車事故が三回、鉄道事故に二回遭っていて、友人のなかには彼女といっしょにタクシーに乗るのをことわっている人がいる。

「事故に遭いやすい人」に同情しながら先日みたウディ・アレン監督の新作「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」で用いられていた「Everything Happens To Me」というジャズのスタンダードナンバーを思った。デートでゴルフの予定を立てると必ず雨、パーティが佳境というとき決まって上の階からうるさいと苦情がくる、といった歌詞だ。

わたしとしてはせめて禍福は糾える縄の如しほどであってほしいと願う。いまデクスター・ゴードンの「ニューヨークの秋」を聴いていて、ふと乾いた枯葉を踏み、その音を耳にして歩くシーンを想像した。枯葉、落葉にさびしい思いを懐く人もいるだろう、けれどそれはひそやかな新旧交代の証なのだからさびしさ一色の現象ではない。

もうひとつ『復讐の女神』からの話題で、同書に「グレトナ・グリーン」についての記述があった。スコットランドにある村で、むかしイングランドの駆け落ちカップルが、ここへやって来て結婚した、というのはスコットランドの法律は親の承認のない「非正規結婚」を認めていて、二人の証人のもとで誓いがなされていれば、ほとんど誰であろうが結婚式が挙げられた。重要な役割をしたのは鍛冶屋で、グレトナの鍛冶屋は「金床の司祭」と呼ばれ、駆け落ちカップルを溶接したのだった。

わが国には夫の横暴に泣く女性救済のための縁切寺東慶寺満徳寺など)はあったが、結婚駆け込み寺はどうだったかな?

縁切寺もグレトナ・グリーンも由来はアジールにあると想像されるのだが、いっぽうが縁切りで、他方が縁結びというのが興味深い。お国ぶりなんだろうか、気になる問題である。

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緊急事態宣言中に読んだ半藤一利『幕末史』(新潮文庫)に、戊辰戦争が終わり明治という新しい時代がはじまったとき幕末の薩摩藩で最高実力者だった島津久光は「わしはいつ将軍になれるのか」と側近に訊ねたというエピソードがあった。ゴシップだとしても近代国家の建設はそっちのけで猟官に奔走する殿様はほかにもいただろう。これを黙らせるには天皇を立てるしかなかったのかな。

明治二年二月、城戸孝允が岩倉具視三条実美に宛てた手紙に、皇国だとか御一新だとか掛け声だけは盛んだが「多くはただ己れに利を引き候ことのみにて、この儘にては四方小幕府の相集り候様の姿と相なり」と書いていて、「わしはいつ将軍になれるのか」といった話は突飛なものではなかった。とすれば「上からは明治だなどといふけれど治まるめい(明)と下からは読む」という狂歌は鋭く時代を読んでいて、けっこう多くの人が次の幕府は薩摩か長州かと睨んでいたのだった。

半藤氏はまた江戸幕府最後の将軍徳川慶喜について、鳥羽伏見の戦いのあと江戸へ逃げ帰った慶喜は、孝明天皇の異母妹で徳川家茂正室だった静寛院宮(和宮)に、自分はこのまま謹慎し恭順の意を表するので、宮様のお力で朝廷への謝罪の斡旋をお願いしたいと嘆願したのではないかと推測している。それを窺わせる静寛院宮の倒幕軍東海道先鋒総督橋本実梁に宛てた手紙がある。

「この度の一件は、兎も角も慶喜これ迄重々不行き届の事故(ゆえ)慶喜一身は何様にも仰せ付けられる、なにとぞ家名立ちゆき候様、幾重にも願いたく」云々。

悪事不埒失礼を重ねてきた慶喜はともかくとして、徳川の家はなんとかしてあげて頂戴というわけ。

見方にもよるだろうが徳川慶喜は弁は立つが、肝っ玉の小さい、腰の定まらない人で人望人気はイマイチだったみたい。かれを押したてて徳川家再興を図ろうとする勘定奉行小栗忠順らの家臣や会津藩やこれを支援する奥羽越列藩同盟を袖にして、皇女だった和宮に自身の助命嘆願の斡旋をお願いするのは見苦しい。これら将軍や殿様たちエライさんの姿を知ると、白虎隊の少年たちがひとしお哀れになってくる。

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わたしの叔父は土木専門の地方公務員で自身も野球人だったからプロ野球のキャンプを迎える自治体の責任者もしていて、その関係でときに大相撲の花相撲が催される際にもお世話に当たっていた。野球と違い相撲の話題は苦手だったかもしれないが、あるとき接待の席で某横綱に、ずいぶんモテたのではと話題を振ったところ、横綱は接待側の面々やキャバレーのホステスたちを相手に、角界に入ったときからのさまざまな女性関係を微に入り細に入り延々と語ったそうで、これは困った人だと呆気に取られていたところ、案の定のちに不祥事を起こしてしまい、やっぱりなと思ったといっていた。

日本相撲協会の会食自粛を無視して夜の店に出向き、親方から休場を命じられた阿炎のニュースで思い出したのがうえの叔父の話で、研修会のあと報道陣に「寝ていたので何も聞いていない」ってコメントして協会から注意された阿炎が新コロガイドラインを無視したのは必然の成行きだが、あの横綱がおなじ立場にあったらなんと答えただろう?

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梅雨が明け、本格的な夏を迎えて、浮かんだ季語が「蚤虱」だった。

萩原朔太郎は『郷愁の詩人与謝蕪村』に「僕は、昔から和歌が好きで、万葉や新古今を愛読していた。和歌の表現する世界は、主として恋愛や思慕の情緒で、本質的に西洋の叙情詩とも共通しているものがあったからだ」と書き、このあと俳句嫌いであったが蕪村だけは好きだったと議論を展開する。

そこで朔太郎が好きだった古今、新古今の世界にいちばんふさわしくないのは「尿」だろう、ところが俳句では「蚤虱 馬の尿する 枕もと」(『奥の細道』)を思い出すまでもなく「尿」はけっこう重きをなしている、なんて思っているうちに 夏の季語「蚤虱」を思った 。

ちなみに芭蕉のこの句の読みは「しと」と「ばり」のふたつの説があり、他の句では「いばり」の読みもある。

山頭火に「星空の土へ尿する」があり、このばあいは語調からして「いばり」と読むのだろう。歳時記の「谿へ尿すはてきらきらと万緑へ」(加藤楸邨)に谿「たに」、尿「いばり」と註記があった。草田男の「夏蝶白し憤りの日尿にごる」には「しと」のルビがある。難しいものです。

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NHKBS1スペシャル「コロナ看護師たちの闘い 東京医科歯科大学の120日」をみて医療従事者の努力にあらためて頭が下がった。

七月下旬の新型コロナウイルスをめぐる東京都のモニタリング会議で、杏林大学の山口芳弘先生は「赤(モニタリングの指標で最も悪い段階)ではないが、医療関係者をはじめ都の職員、保健所、ホテル、様々な人の努力や苦労によってオレンジ(の段階)で踏ん張っている、こらえていると知事にはご理解いただきたい。こうした現場の労苦に対する想像力を持たない方に、赤ではないということで『大丈夫だからみなさん遊びましょう、旅しましょう』という根拠に使われないことを切に願います」と発言した。「コロナ看護師たちの闘い 」はこの発言にある「踏ん張っている、こらえている」姿にほかならない。

いっぽう朝日新聞の報道で、政府が新型コロナウイルスの感染防止策としてはじめた布マスクの配布事業は、介護施設保育所などに向けさらに約八千万枚を配る予定であると知った。わたしはいただいたマスクはなにかのときの備えに置いてあるが、役に立ちそうにない小さめの布マスクをしている人を安倍晋三氏のほかに知らない。

政府は批判を受けて備蓄とするそうだが、それにしても税金のむだ使いに変わりなく、マスクを備蓄するのであればまずは第二波、第三波に備えた医療用のマスクをと願う。このチグハグ、ピントのずれた施策の原因は何か?

医療従事者、環境衛生に携る方々に感謝を、というのであればせめて勤務する方々に例年より多いボーナスが支給されるようにしてほしい。それをするのが政府の仕事だろう。税金の使い方がまことに拙く、この前も書いたのだがGoToキャンペーンのキャンセル料やアベノマスクの経費が効果的に使われていればと惜しまれる。

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将棋のタイトルを最年少で獲得した藤井聡太棋聖について、「中学生棋士」の大先輩、加藤一二三 九段が「こんなに早くタイトルを取るとは思っていなかった。快挙ですし、見事だと思います」とたたえていた。そしていま棋聖木村一基王位に挑戦している。

小沼丹のエッセイ集『井伏さんの将棋』(幻戯書房)に当時八段だった加藤一二三氏の姿がみえていた。

井伏鱒二小沼丹が将棋をしていて、小沼は惨敗を喫した。小沼によるとそのときは最悪のコンディションだったのが理由だが、あいにく傍で加藤一二三八段が見ていて、あとで二人は腕に相当の開きがあると漏らした。そこで井伏は小沼にいった。「君、加藤八段は見所があるね」。 

昭和二十九年、当時史上最年少の十四歳七か月でプロ入りした最初の「中学生棋士」で、「神武以来の天才」と呼ばれた棋士にほめられて、見所あると評した井伏鱒二のちょっといい話。

『井伏さんの将棋』の最初の章は井伏鱒二について、風貌を伝えるエッセイや文学全集の解説が収められている。ゆるやかな時間が流れるエッセイ集を読みたいなと思って小沼丹にたどり着いたのは正解だったが困ったことに『厄除け詩集』ほか二、三を除き井伏の作品を読んだことがない。いずれ読むことになるだろう。

小沼丹井伏鱒二の文章について「姿がいい」と述べている。「文章は姿がよくなくちやいけない」「大言壮語、怒号、号令、あるいはこれに類する文章の如きは、すべて姿を打ちこわしてしまふ」。近年の日本の映画について、過度な感情表現や怒号が溢れかえっているようで気になっている。姿がよくないのである。

 

 

 

 

 

 

「ジョーンの秘密」

夫に先立たれ、仕事からは引退し、イギリス郊外でつつましく一人暮らしをしているジョーン・スタンリーが突然訪ねてきたMI5に、半世紀以上前にソ連KGBに核開発の機密情報を漏洩したという容疑で逮捕されます。二000年五月のことで、外務事務次官のW・ミッチェル卿の死後に見つかった資料などから、彼女のスパイ活動が明らかになったというのです。

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ジョーンのモデルとなったのはメリタ・ステッドマン・ノーウッド(1912~2005)、彼女は一九三七年に非鉄金属研究会という研究機関に採用され、退職した一九七二年まで公務員として知り得た情報を KGBに渡していました。ことが露見したきっかけは一九九二年旧ソビエト連邦からイギリスに亡命した元KGBの幹部ワシリー・ミトロヒンが ソ連から持ち出した膨大な機密文書でした。

二0一三年ジェニー・ルーニーがノーウッドの人生をもとにした小説 "Red Joan" を出版し、本書を原作として製作されたのが「ジョーンの秘密」(原題:"Red Joan")です。 メリタ・ステッドマン・ノーウッドは共産主義者として長らくスパイ活動を続けた確信犯でしたが映画の ジョーン・スタンリーはコミュニストではなく、その点だけでも人物像はずいぶん異なっています。あくまで事実に触発された作品として、原作や実在の人物にとらわれず鑑賞するのがよいと思いました。

それはともかくスパイ、諜報戦を描いた映画といってもこの作品はスパイたちが繰り広げる情報争奪戦ではなく、争奪戦に関わった人たちの忠誠心をめぐる物語なのです。

忠誠の対象はひとつは国家とイデオロギーであり、一方はソ連共産主義に忠誠を誓い、他方は自由主義、反共産主義の立場をとります。主人公ジョーンはこのいずれでもなく、自身は第三の立場にあったと強調します。その内容は映画でどうぞ。

忠誠のもうひとつの対象は、恋人、家族、同僚など具体に関わりをもつ人間です。

国家、イデオロギーへの忠誠が恋人や家族への忠誠と重なるとは限りません、それどころか両者はときに相反するものとなります。一方の極に国家、イデオロギーのためなら親しい人間であっても騙し、裏切るのが当然とする考え方があり、その対極には恋人や家族を守るためには信念を棄て、国家を裏切る立場があり、この映画には両極のあいだで揺れ、活動する人たちの姿が描かれています。

情報を取るためには俗にいう色仕掛けもある世界で、ジョーンも辛酸を舐めました。しかし彼女はどのような目に遭っても二人の恋人には忠誠(愛情)を尽くしました。そこのところはジョーンを演じた二人の女優(現在のジョーン役ジュディ・デンチ、その若き日はソフィー・クックソン)が演じ切っています。 どうしてこんな男にあやつられたりするんだと苛立つこともありましたが。

問題は国家、イデオロギーへの忠誠なのです。ジョーンは上に述べた第三の立場を言葉では説明をしてくれるのですが、恋人たちへの心が見えるようには、わたしには見えなかった。メロドラマの要素が強くなったぶん彼女の政治観や政治思想の掘り下げが浅くなった気がします。

たとえば弁護士である彼女の息子は思いもよらないかつての母の活動をはじめ卑怯な裏切り行為と強く批判するのですが、最後は母の弁護を決意します、そこにどのような心境、考え方の変化があったのか、あるいはソ連という欠陥だらけの国家がその本質を露わにしていない時代のなかでとった彼女の行動は現代の人の目にどんなふうに映っているのかといったところがもっと描かれていればジョーンの忠誠はよりくっきりと見えたでしょう。その点で少し残念な気がしました。

若き日のジョーンのファッションや職場の光景が大戦中の風俗をよくとらえています。

(八月十八日TOHOシネマズシャンテ)

『大江戸の飯と酒と女』~『政談』のあと

享保十一年(一七二六年)荻生徂徠は八代将軍徳川吉宗の諮問にこたえ時代に即応する政策体系を論じた『政談』を書き上げた。(成稿の年は平凡社東洋文庫版『政談』校註平石直昭による)

徳川家康征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開いて百二十年余り、貨幣経済が浸透また進展し、社会のありようが大きく変化しようとするなか徂徠は変化の具体を究明し、それに即した政策指針を吉宗に献じたのだった。

麦粟稗などの雑穀は米に代わり、味噌のない食事から味噌を食するようになり、濁り酒から清酒へと嗜好は高級化し、枯葦で火を起こしていたのが薪となり、むしろやこもを敷いて寝起きしていたのが畳の上の生活へと変わり、もともと田舎の家にはなかった障子や唐紙が普及し、高位の武家が用いていた品々を百姓町人も購入するようになった、というふうに徂徠は時代の生活の変化を具体的に指摘した。

そのうえで、都市の生活様式の広がりと生活レベルの向上が幕政の根幹を揺さぶり、貨幣経済の発展、社会的流動性の高まりが幕藩体制を大きく動揺させる可能性を持つと判断した。その芽を摘むため徂徠は吉宗に二点の最重要の献策をおこなった。

すなわち(一)江戸に住んで十年にならない者は在所に返す人返し(二)旗本を江戸ではなく知行所に住まわせる、の二つである。

江戸のにぎわいを抑え、経済における商品と貨幣の機能を低くすることを狙いとした献策であったが、その後の歴史は徂徠の狙いとは真逆に江戸はにぎわい、商品と貨幣の機能は重要性を増した。実現可能性という点で献策は失敗だった。しかしながら策を立案するに至った道筋、つまり世の中の観察と考察が上に述べたようにしっかりしているので『政談』を読むと「豊かな社会」に向かおうとする時代の実態とそのことが幕藩体制にもたらす問題点がじつによく理解できる。

安藤優一郎『大江戸の飯と酒と女』(朝日新書2019年)は江戸時代の後期を主に江戸の人々の暮らしがどのようなものだったのかを窺い知るのに便利で、読みやすい好著であり、そのことは『政談』が提起した問題の行方を探ることにほかならない。

本書の切り口は太平の世を謳歌する三つのシンボルとしての飯と酒と女、具体には野菜、果物、魚、獣肉や調味料など多彩となった食、米の生産量の上昇とともに酒造米の消費量も上がり、人々が口にするようになった清酒、そして飲食を楽しむ男女の姿である。

たとえば味噌。江戸時代以前は味噌は自家製がもっぱらだったのが蕎麦屋、天ぷら屋、鰻屋など外食産業が発展すると味噌の売買も行われるようになる。そして味噌は郷土色豊かなものだから、郷土色を付加価値とする製品が市場に出廻る。一例として仙台藩のばあい、参勤交代で江戸詰となった武士が江戸の味噌は口に合わないからと藩の下屋敷で仙台味噌の醸造をはじめ、その味噌を食べた藩外の人から評判が立ち、そこに目を付けた江戸の味噌問屋がいわば代理店として仙台味噌を扱うようになった。こうしておなじ味噌でもブランド化、差別化が図られてゆく。

もしも徂徠先生が知ったならば、商品経済にうつつを抜かしてはならぬ、と怒っただろう。いや、ひょっとすると藩の財政再建に感心されただろうか。

おなじく野菜では練馬大根、小松菜など、果物では紀州蜜柑、甲州葡萄などのようにブランド化、差別化は進んだ。これら商品作物の栽培収穫を可能にしたのは主食である米の収穫量の増加であった。また米が豊作になると酒造用の米も増える。

ターニングポイントとなったのが享保期で(一七一六年~一七三六年)吉宗は享保の改革を通じて倹約と増税による行財政改革を図ったが、皮肉なことに大規模な新田開発が進行し米価の低落傾向を招いたため、市中に出回る米の量を減らして米価を安定させ、余剰の米の用途として酒造を奨励した。もちろんここでもブランド化、差別化が図られる。

清酒については関東でも関西産(下り酒/くだりざけ)の人気が高く、享保の頃から樽回船という回船問屋が大量の下り酒を関東一円に運んでいて、その量は元禄十年(一六九七年)に年間六十四万樽、田沼時代には百万樽に及んでいた。(池波正太郎鬼平料理帳』)

下り酒に対抗して関東の豪農たちも酒造業に進出した。幕府としても江戸の富を上方に持って行かれるのは好ましくなく、幕府、豪農いっしょになった酒造りプロジェクトが発足する。酒の消費量は増え、清酒を飲めない階層は値段の安い濁酒や焼酎をたしなむようになり飲酒の多様化が進んだ。庶民は屋台、床店、居酒屋で酒や食事を手軽に楽しみ、富裕層のあいだでは高級化路線が進展した。

荻生徂徠の思惑とは反対に時代は贅沢の方角に向かって行った。

もうひとつ、料理、酒は脇役で、売り物は性というセックス産業も多様化した。江戸でいえば官許の吉原、非公認ながら実態は遊女商売が横行していた深川、上野、浅草、芝、音羽、根津(註)などの岡場所、品川、板橋、千住、内藤新宿など宿場町の旅籠屋には飯盛女が性サービスにあたっていて、女たちの悲惨な生活を犠牲にしてセックス産業は繁栄した。

ときに風紀取締りが強化され非公認の岡場所が標的にされたが寺社の門前や境内を管轄するのは寺社奉行であり、町奉行所の取締りは不十分になりがちで、それに当の寺社も遊女商売から利益を得ていたから取締りに手心を加えるよう圧力団体としての活動も行っていて、町奉行所による岡場所の摘発はなかなか進まなかった。

料理、酒、女が牽引した消費経済、これらは都市化、人間関係の多様化、いろいろな出会いの機会の増加をもたらした。そのひとつとして男女の逢引の場としての出会い茶屋があった。逢引は独身者どうしとは限らない。不倫のカップル、当時の言葉でいえば不義密通、わけありの男女の密会からは妻の操の管理面での不備、ほころびにとまどう夫の姿も見えてくる。

ここで喜田川守貞『近世風俗志』(岩波文庫、原題『守貞謾稿』)により補足をくわえておくと、密会の場所は江戸では出会茶屋、京阪では盆屋と呼ばれた。京阪では揚屋、茶屋、呼屋で盆屋を兼ねるところもあったが、そのばあいは大書した屋号の傍らに「かし座敷」と細書があった。蕎麦屋の二階もよく使われている。

男と男の逢引の場もあり「江戸出会茶屋は八丁堀代地の男色屋を第一」としていた。その構造はといえば、店の後ろに小道、左右に路地があり、人知れず入りやすいように、四面に出入口を設けてある。二階への階段も、三、四箇所ある。「密会故に尋ね来る人ある時、逃れ去るに便とす」というわけだ。京阪の盆屋では男女が店に入るとすぐに履物を隠した。これも尋ねて来る人にバレないための措置だった。江戸の出会茶屋の建て方、京阪の盆屋での履物の置き方、いずれも日本人の細やかな心遣いを表している。

荻生徂徠は本書『大江戸の飯と酒と女』にある貨幣経済の発展と社会的流動性の高まりが幕藩体制を揺るがせると見抜いていた。恐るべき洞察力であり、その慧眼は体制の動揺とともに人妻のよろめきやはびこる男色も視野に入っていたにちがいない。

 

(註)

永井荷風に「上野」と題した随筆がある。初出は一九二七年(昭和二年)七月一日「中央公論」第四十二年第七号。ここで荷風は明治から関東大震災まえにかけての上野界隈を、有名、無名の諸家が遺した史料を用いて回想している。いまいう「谷根千」、谷中、根津、千駄木をふくむ「上野」だから、わたしの住む根津のかつての姿もある。

根津遊廓については史料が少ないとして松子雁「餘歌余譚」という珍しい史料が紹介されており「昔日ハ即根津権現ノ社内ニシテ然モ久古ノ柳巷(イロザト)ナリ。卒ニ天保ノ改革ニ当ツテ永ク廃斥セラル。然レドモ猶」云々とあり、天保の改革で閉じられた根津遊郭であったが、吉原が火災に遭うたびにここを仮住まいとしていたといった事情が述べられている。表向きはともかく営業は続いていたようだ。

慶応年間に正式に復活した根津遊郭について荷風は「根津権現の社頭には慶応四年より明治二十一年まで凡二十一年間遊女屋の在つたことは今猶都人の話柄に上る所である」と述べたうえで箕作秋坪「小西湖佳話」から神社前の「八重垣町須賀町、是ヲ狭斜ノ叢トナス。此地ノ狭斜ハ天保以前嘗テ一タビ此ヲ開ク」を引いている。ちなみに、わたしの住む処は上の、いまはない町名、須賀町にあたる。

明治二十一年に閉じられた根津遊郭は洲崎への移転を命じられた。近くに東京帝国大学があり学生の風紀上問題があるというのが理由だったといわれている。なお、本郷の帝大の学生で、なじみとなった根津遊郭の女郎さんを妻にした人に坪内逍遥がいた。

 

「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」

新型コロナウイルスは高齢者に厳しいから緊急事態宣言が解除されてからも映画館へ行くのは控えていたのですがウディ・アレン監督の新作「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」が公開されたと聞くとそうとばかりはしていられず四か月ぶりに映画館へ足を運びました。ドキドキ。

ニューヨークでロマンチックな週末を過ごそうとしている大学生のカップル、ギャツビー(ティモシー・シャラメ)とアシュレー(エル・ファニング)。きっかけはアシュレーが学校の課題で有名映画監督にマンハッタンで会ってインタビューをするチャンスに恵まれたことでした。

生粋のニューヨーカー、ギャッツビーはアリゾナ生まれのアシュレーのために街を案内するプランを練り、アシュレーも心待ちにしています。さあ、行動開始、おっとそのまえにインタビューがありました。そこで待ち合わせの場所と時間を決めて解散したところからハプニングが続出して混線、錯綜した物語が繰り広げられます。

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手馴れたウディ・アレンの作劇術を美しく撮影されたセントラルパークやカーライルホテル、メトロポリタン美術館、雨のニューヨークの街路などが彩ります。その映像は若いカップルの経験する、軽いとはいわないけれど深刻にはならない悩みやとまどい、嫉妬、冒険といった心模様によくマッチしていて、観る者の心をくすぐり、よい気持にしてくれます。

音楽でいえば調和のとれたコード進行で奏でられるメロディ、聴きなれた心地よいリフナンバーといったところでしょうか。たくさん用いられている楽曲のなかのメインはジャズのスタンダードナンバー「Everything Happens To Me」、待ち望んでいたニューヨークでの週末なのに期待はずれなことがつぎつぎと押し寄せてくる、マイナーな出来事ならなんでもありといった物語がとりあえず収まるところに収まって、そこに「Misty」が流れて、霧に包まれた若者たちのこれからが観客の想像に託されるのでした。

(七月十四日ヒューマントラストシネマ有楽町)