緊急事態宣言後の初レース

原作と映像(テレビドラマ、映画)の二方面でアガサ・クリスティ攻略作戦を展開している。なにしろ作品が多いので、読んでいると思っていたのがテレビドラマをみていただけだったり、この作品を読もうと決めたあとで既読とわかったりするからまずは整理をしっかりしておかなければならない。

いずれ作戦終了するころになれば記憶力はますます減退し、作戦内容の大半は忘れているだろうからはじめからやり直し、つまりクリスティを生涯たのしむことになるわけだ。今回の作戦は遅ればせながら彼女のデビュー作にしてエルキュール・ポアロがはじめて登場した『スタイルズ荘の怪事件』、ドラマはみているが原作との異同をチェックするのがまた一興だ。

一八九0年生まれのアガサ・クリスティは一九二0年にこの作品で作家デビューした。その十二年まえ彼女はインフルエンザで病床にあり、もう読む本がなくなったと母親に訴えると「それなら、自分で書いてみたら」と母は答えたというエピソードがマシュー・プリチャード「『スタイルズ荘の怪事件』によせて」にある。病床にあった少女がミステリーの女王になるのにインフルエンザが一役かっていて、ここにも感染症が関わった歴史がある。

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七月二十五日。10キロヴァーチャルレースに参加した。緊急事態宣言のあとはじめてのレースだ。ヴァーチャルというのは六時から十二時のあいだに各自が定めたコースをGPS付アプリで計測、送付し、主催者(東京マラソン財団)が集計するスタイルで、わたしはホームグラウンドとする不忍池周回コースを走った。 

上野公園は紫陽花が終わり蓮の花が咲きはじめていて、公園での散歩やジョギングは、まあまあ安全だと聞くけれど、東京では連日二百人、三百人と感染者が出ていて不安は小さくはなく、できるだけ外出は控えている。うれしいのは朝のジョギングで、公園での走りも控えるようにといわれてはもたない。毎朝のジョギングと一日おきの晩酌がいまのわたしを癒してくれている。

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家にいる時間が多くなると口腹のたのしみが増して晩酌に愛しさを覚える。ビールのあとに焼酎、ウイスキーのいずれかを飲む。どちらの組合せにしてもお酒がおいしくてたまらない。 ジョギングやレースを考えて一日おきとしているから晩酌のない日はさびしく精神的には依存症だろうが、それをいえばジョギングについても依存症である。いずれにせよわたしに酒は涙でもため息でもなく、晩酌のない日が涙であり、ため息である。

「山あれば山を観る/雨の日は雨を聴く/春夏秋冬/あしたもよろし/ゆふべもよろし」(山頭火)。これに酒と料理が彩りを添えてくれる幸せを求めたい。昨年の暮れにマルタ共和国へ行ってから海外旅行が途絶えた。贅沢いってはキリがないが、はやく外国でも山を観て、雨を聴きたい。

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『スタイルズ荘の怪事件』に続く本と映像作品によるアガサ・クリスティ攻略作戦は『復讐の女神』だ。本作は『カリブ海の秘密』の続篇にあたるがこちらの作戦は完了している。

『復讐の女神』にあったミス・マープルの友人の一人の挿話、なんと彼女はタクシーの事故が四回、自家用車事故が三回、鉄道事故に二回遭っていて、友人のなかには彼女といっしょにタクシーに乗るのをことわっている人がいる。

「事故に遭いやすい人」に同情しながら先日みたウディ・アレン監督の新作「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」で用いられていた「Everything Happens To Me」というジャズのスタンダードナンバーを思った。デートでゴルフの予定を立てると必ず雨、パーティが佳境というとき決まって上の階からうるさいと苦情がくる、といった歌詞だ。

わたしとしてはせめて禍福は糾える縄の如しほどであってほしいと願う。いまデクスター・ゴードンの「ニューヨークの秋」を聴いていて、ふと乾いた枯葉を踏み、その音を耳にして歩くシーンを想像した。枯葉、落葉にさびしい思いを懐く人もいるだろう、けれどそれはひそやかな新旧交代の証なのだからさびしさ一色の現象ではない。

もうひとつ『復讐の女神』からの話題で、同書に「グレトナ・グリーン」についての記述があった。スコットランドにある村で、むかしイングランドの駆け落ちカップルが、ここへやって来て結婚した、というのはスコットランドの法律は親の承認のない「非正規結婚」を認めていて、二人の証人のもとで誓いがなされていれば、ほとんど誰であろうが結婚式が挙げられた。重要な役割をしたのは鍛冶屋で、グレトナの鍛冶屋は「金床の司祭」と呼ばれ、駆け落ちカップルを溶接したのだった。

わが国には夫の横暴に泣く女性救済のための縁切寺東慶寺満徳寺など)はあったが、結婚駆け込み寺はどうだったかな?

縁切寺もグレトナ・グリーンも由来はアジールにあると想像されるのだが、いっぽうが縁切りで、他方が縁結びというのが興味深い。お国ぶりなんだろうか、気になる問題である。

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緊急事態宣言中に読んだ半藤一利『幕末史』(新潮文庫)に、戊辰戦争が終わり明治という新しい時代がはじまったとき幕末の薩摩藩で最高実力者だった島津久光は「わしはいつ将軍になれるのか」と側近に訊ねたというエピソードがあった。ゴシップだとしても近代国家の建設はそっちのけで猟官に奔走する殿様はほかにもいただろう。これを黙らせるには天皇を立てるしかなかったのかな。

明治二年二月、城戸孝允が岩倉具視三条実美に宛てた手紙に、皇国だとか御一新だとか掛け声だけは盛んだが「多くはただ己れに利を引き候ことのみにて、この儘にては四方小幕府の相集り候様の姿と相なり」と書いていて、「わしはいつ将軍になれるのか」といった話は突飛なものではなかった。とすれば「上からは明治だなどといふけれど治まるめい(明)と下からは読む」という狂歌は鋭く時代を読んでいて、けっこう多くの人が次の幕府は薩摩か長州かと睨んでいたのだった。

半藤氏はまた江戸幕府最後の将軍徳川慶喜について、鳥羽伏見の戦いのあと江戸へ逃げ帰った慶喜は、孝明天皇の異母妹で徳川家茂正室だった静寛院宮(和宮)に、自分はこのまま謹慎し恭順の意を表するので、宮様のお力で朝廷への謝罪の斡旋をお願いしたいと嘆願したのではないかと推測している。それを窺わせる静寛院宮の倒幕軍東海道先鋒総督橋本実梁に宛てた手紙がある。

「この度の一件は、兎も角も慶喜これ迄重々不行き届の事故(ゆえ)慶喜一身は何様にも仰せ付けられる、なにとぞ家名立ちゆき候様、幾重にも願いたく」云々。

悪事不埒失礼を重ねてきた慶喜はともかくとして、徳川の家はなんとかしてあげて頂戴というわけ。

見方にもよるだろうが徳川慶喜は弁は立つが、肝っ玉の小さい、腰の定まらない人で人望人気はイマイチだったみたい。かれを押したてて徳川家再興を図ろうとする勘定奉行小栗忠順らの家臣や会津藩やこれを支援する奥羽越列藩同盟を袖にして、皇女だった和宮に自身の助命嘆願の斡旋をお願いするのは見苦しい。これら将軍や殿様たちエライさんの姿を知ると、白虎隊の少年たちがひとしお哀れになってくる。

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わたしの叔父は土木専門の地方公務員で自身も野球人だったからプロ野球のキャンプを迎える自治体の責任者もしていて、その関係でときに大相撲の花相撲が催される際にもお世話に当たっていた。野球と違い相撲の話題は苦手だったかもしれないが、あるとき接待の席で某横綱に、ずいぶんモテたのではと話題を振ったところ、横綱は接待側の面々やキャバレーのホステスたちを相手に、角界に入ったときからのさまざまな女性関係を微に入り細に入り延々と語ったそうで、これは困った人だと呆気に取られていたところ、案の定のちに不祥事を起こしてしまい、やっぱりなと思ったといっていた。

日本相撲協会の会食自粛を無視して夜の店に出向き、親方から休場を命じられた阿炎のニュースで思い出したのがうえの叔父の話で、研修会のあと報道陣に「寝ていたので何も聞いていない」ってコメントして協会から注意された阿炎が新コロガイドラインを無視したのは必然の成行きだが、あの横綱がおなじ立場にあったらなんと答えただろう?

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梅雨が明け、本格的な夏を迎えて、浮かんだ季語が「蚤虱」だった。

萩原朔太郎は『郷愁の詩人与謝蕪村』に「僕は、昔から和歌が好きで、万葉や新古今を愛読していた。和歌の表現する世界は、主として恋愛や思慕の情緒で、本質的に西洋の叙情詩とも共通しているものがあったからだ」と書き、このあと俳句嫌いであったが蕪村だけは好きだったと議論を展開する。

そこで朔太郎が好きだった古今、新古今の世界にいちばんふさわしくないのは「尿」だろう、ところが俳句では「蚤虱 馬の尿する 枕もと」(『奥の細道』)を思い出すまでもなく「尿」はけっこう重きをなしている、なんて思っているうちに 夏の季語「蚤虱」を思った 。

ちなみに芭蕉のこの句の読みは「しと」と「ばり」のふたつの説があり、他の句では「いばり」の読みもある。

山頭火に「星空の土へ尿する」があり、このばあいは語調からして「いばり」と読むのだろう。歳時記の「谿へ尿すはてきらきらと万緑へ」(加藤楸邨)に谿「たに」、尿「いばり」と註記があった。草田男の「夏蝶白し憤りの日尿にごる」には「しと」のルビがある。難しいものです。

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NHKBS1スペシャル「コロナ看護師たちの闘い 東京医科歯科大学の120日」をみて医療従事者の努力にあらためて頭が下がった。

七月下旬の新型コロナウイルスをめぐる東京都のモニタリング会議で、杏林大学の山口芳弘先生は「赤(モニタリングの指標で最も悪い段階)ではないが、医療関係者をはじめ都の職員、保健所、ホテル、様々な人の努力や苦労によってオレンジ(の段階)で踏ん張っている、こらえていると知事にはご理解いただきたい。こうした現場の労苦に対する想像力を持たない方に、赤ではないということで『大丈夫だからみなさん遊びましょう、旅しましょう』という根拠に使われないことを切に願います」と発言した。「コロナ看護師たちの闘い 」はこの発言にある「踏ん張っている、こらえている」姿にほかならない。

いっぽう朝日新聞の報道で、政府が新型コロナウイルスの感染防止策としてはじめた布マスクの配布事業は、介護施設保育所などに向けさらに約八千万枚を配る予定であると知った。わたしはいただいたマスクはなにかのときの備えに置いてあるが、役に立ちそうにない小さめの布マスクをしている人を安倍晋三氏のほかに知らない。

政府は批判を受けて備蓄とするそうだが、それにしても税金のむだ使いに変わりなく、マスクを備蓄するのであればまずは第二波、第三波に備えた医療用のマスクをと願う。このチグハグ、ピントのずれた施策の原因は何か?

医療従事者、環境衛生に携る方々に感謝を、というのであればせめて勤務する方々に例年より多いボーナスが支給されるようにしてほしい。それをするのが政府の仕事だろう。税金の使い方がまことに拙く、この前も書いたのだがGoToキャンペーンのキャンセル料やアベノマスクの経費が効果的に使われていればと惜しまれる。

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将棋のタイトルを最年少で獲得した藤井聡太棋聖について、「中学生棋士」の大先輩、加藤一二三 九段が「こんなに早くタイトルを取るとは思っていなかった。快挙ですし、見事だと思います」とたたえていた。そしていま棋聖木村一基王位に挑戦している。

小沼丹のエッセイ集『井伏さんの将棋』(幻戯書房)に当時八段だった加藤一二三氏の姿がみえていた。

井伏鱒二小沼丹が将棋をしていて、小沼は惨敗を喫した。小沼によるとそのときは最悪のコンディションだったのが理由だが、あいにく傍で加藤一二三八段が見ていて、あとで二人は腕に相当の開きがあると漏らした。そこで井伏は小沼にいった。「君、加藤八段は見所があるね」。 

昭和二十九年、当時史上最年少の十四歳七か月でプロ入りした最初の「中学生棋士」で、「神武以来の天才」と呼ばれた棋士にほめられて、見所あると評した井伏鱒二のちょっといい話。

『井伏さんの将棋』の最初の章は井伏鱒二について、風貌を伝えるエッセイや文学全集の解説が収められている。ゆるやかな時間が流れるエッセイ集を読みたいなと思って小沼丹にたどり着いたのは正解だったが困ったことに『厄除け詩集』ほか二、三を除き井伏の作品を読んだことがない。いずれ読むことになるだろう。

小沼丹井伏鱒二の文章について「姿がいい」と述べている。「文章は姿がよくなくちやいけない」「大言壮語、怒号、号令、あるいはこれに類する文章の如きは、すべて姿を打ちこわしてしまふ」。近年の日本の映画について、過度な感情表現や怒号が溢れかえっているようで気になっている。姿がよくないのである。