合ハイ、合コン

昨年モンテーニュ『エセー』を読み、来年はフランス・ルネサンス関連でフランソワ・ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』に挑戦しようと決めた。年が明け新型コロナ感染症、緊急事態宣言とたいへんな波が押し寄せはや半年以上が過ぎ、のんびり構えていてはいけないとようやく取り掛かった。

ラブレーの物語はSFふう壮大なほら話のなかに笑いと風刺を織りまぜた傑作大長篇として知られるが、SF、ファンタジーとのおつきあいはほとんどなく 、いまだに「E.T.」という映画のよさがわからないほどホラ話にたいして感度のよくない自分に向いているとは思えないと危ぶんだとおりハードルが高すぎ、興味の持てそうなわずかの箇所のほかは飛ばし読みして終えた。歯が立ちそうにない本は適当に頁を繰り、面白そうなところだけを拾い出して終わりというのがほめられたものではないと承知していても、いま一度立ち向かう気力はない。読む、見るいずれも歯が立たなければご縁がなかっただけの話だ。

こうなるとしばらくは読むのに骨の折れそうな作品には近づきにくい。ガルガンチュアとパンタグリュエルという颱風が一過したところで、楽しさ、面白さ保証附の池波正太郎鬼平犯科帳』を手にした。今回読んだのは十二巻、十三巻で全二十五巻だからようやく半分まで来た。

三十年近くまえ、政治学京極純一先生の旧制高校時代からの畏友美馬敏男先生が「京極は鬼平を全巻読んだそうだ」とおっしゃっていたのが鬼平を意識したはじまりで、退職してから少しずつ読みはじめた。京極先生ご自身からはユングをお薦めいただいたがこちらは手つかずのまま、せめて鬼平全巻読破は見習いたい。

鬼平』のあとはのどかで心が安らぐエッセイ集を読みたいなと思った。映画でいえば小津安二郎「お早よう」とか清水宏「按摩と女」といった。そうして書架の未読書コーナーを眺めていると小沼丹『小さな手袋/珈琲挽き』(みすず書房)が目に止まり、たちまちいい人、いい随筆集に巡り会ったとピンときた。

じっさい読みはじめるといまのわたしのリクエストにぴったりでうれしくなった。なかに「帽子の話」というのがありわずか四ページのなかで新しく帽子を買ったところがどこかへ忘れ、仕方がないので新しいのを買い、その帽子をかぶってなじみの酒場へ行くと失くした帽子を保管してあるといわれ、二つを重ねてタクシーに乗ると運転手に他の人の帽子までかぶって来たんじゃないですかと問われ、そうこうしているうちにこんどは新しい帽子を失くしてしまい、ところがこれが思わぬところから出て来て、といったささやかな帽子騒動、ヒッチコック監督「ハリーの災難」の帽子版ですね。

おなじく「窓」というエッセイに「勤務先の七階の部屋に這入つて、窓のブラインドを揚げると、正面右手にある病院の高い建物が眼に入る。二十何階とか聞いたが、正確な所は知らない」とあり、 大学生のとき一度だけ参加した合ハイ のことが思い出された。

そのときのお相手が小沼先生の部屋の窓からみえる病院の、当時の言葉では看護婦さんもしくは准看護婦さんを養成する学校の方たちだった。

合ハイについてはなんの記憶もないけれど、 どんくさい大学一年生だったわたしはクラスメートが 相手の学校へ行き、話をまとめてきたのにびっくりし、とても敵わないと思ったのはおぼえている。

ついでながら在学中の一九七二年旧日本陸軍の兵士横井正一さんがグアムで発見され、帰国して入院していたのがこの病院だった。

それから四半世紀ほどのち、看護師さんたちと楽しいお酒を飲んだことがあった。県外出張の夜、いずれも四十代後半の男、たしか三人で飲んでいるうちに、 隣にいた三十代とおぼしい三、四人の女性たちと成り行きで会話し、いっしょにお酒を飲んだ。聞けば看護師さんたちで、明るくノリがよく、おかげで楽しいひとときを過ごさせていただいた。旅先での思いもよらない合コンだった。

のちに看護師さんたちは病気、死と向きあう職業柄飲むときはほがらかに、楽しく!のタイプが多いと聞いた。新型コロナ感染症禍のいま医療従事者はたいへんな状態にあるが、せめてひとときお酒を飲むときはあのときの合コンの看護師さんたちの雰囲気であってほしいと願っている。

こうしてラブレーから池波正太郎、そして小沼丹という気ままな乱読の道が合ハイと合コンの思い出につながったしだいである。