フランス的ケチ

イギリス人がコンドームのことを俗語で「フランスの手紙」というのはよく知られている。英仏両国の不仲から生まれたことばで、反対にフランスでは「イギリスのレインコート」といっているそうだからこれでおあいこ。

フランス人は世界に冠たる倹約家、始末屋といわれているが、フランスでケチの代名詞といえばスコットランド人を指すそうだ。もっともこれはフランス人が自画像をスコットランド人に置き換えたにすぎない。

フランス人は成金趣味をきらう、身分不相応を愚劣なことと考える、自分のことは自分で始末すべきであって他人を頼ることはできない、また頼ってはならないというのがかの国のケチのあり方であると河盛好蔵先生が「フランス人のケチ哲学」で解説してくれている。ただし半世紀以上前に書かれた随想だから、いまもおなじとは保証の限りでない。

それはともかく、このケチ哲学を実践した永井荷風三島由紀夫は「永井荷風先生は日本における最高のフランス的ケチであり、ハイカラもここまで行かなければ本物ではありません」と評価した。三島のいうフランス的ケチは河盛先生によると成金趣味や身分不相応の否定にとどまらず、他人を頼ることなく自分のことは自分でするという大いなる独立心を重要な要素としていた。

じじつ荷風はシャツや足袋のほころびは自身針と糸で繕った。昭和二年に書かれた日記体の随筆「歌舞伎座の稽古」では、衣服と食物は女の手を借りないよう日頃より心掛けておくと、ときに女の色香に迷い深味に陥ったりしても後悔することは少ない、また現在日本の女性は都会地方、階層の上下を問わずいずれも怠け癖がついて家事をつかさどる能力は落ちており、男子たるものこれに対し相応の心掛けは必要であると述べている。

女性の家事能力云々はともかく、男も女もまずは自立を心がけなければならず、その際、性的役割分業は妨げとなる。結果として、独立心が旺盛で、他人に頼るのを嫌うフランス的ケチは荷風の長生きの秘訣となった。

ところで最近わたしはブリア=サヴァランが『美味礼讃』で「酒を変えてはいけないと主張するのは一つの謬説である。舌というものは飽和するものである。とびきり上等の酒でも、三杯目からは鈍い感覚を呼び覚ますにすぎない」といっているのを知った。

晩酌をしない日はノンアルコールビールを飲む。350mlの缶ではいささか淋しいときがあって、そのときは炭酸水を飲む。500ml缶にしなくても「舌というものは飽和するものである。とびきり上等の酒でも、三杯目からは鈍い感覚を呼び覚ます」のだから。

まだ試していないのだが、おそらくふつうのビールでも350mlの缶と炭酸水で500ml缶の代用品となるだろう。それだけ節約となる。

そしてルイ十五世もしくはタレーランの言葉と伝えられる「人がフランスの名酒を飲む栄誉を持つときには、それを眺め、その香りをかぎ、その香気を吸いこみ、ゆっくりと味わって、そのあとで、その酒について話す」のまねごとでもしていれば十分であろう。

もうひとつ「フランス人のケチ哲学」にあったフランスのことわざ。

「貧乏が戸口からはいってくると、愛は窓から逃げ出す」。

愛情を長く保つためには金銭を大切にしなければならない。