荷風日記の二人の女優〜高清子と西条エリ子

先だって思いがけず「週刊新潮」誌上に高清子の名前を見た。
同誌に著名人が調べものについて広く問い合わせをする「掲示板」という頁があり、二0一三年七月四日号に筒井康隆氏が高清子について情報を提供してほしい旨の記事を寄せていて、「彼女の出演映画はPCL時代の『エノケンの魔術師』『エノケンの千万長者』、東宝映画の清水金一主演『電撃息子』です。踊って歌えて演技もでき、舞台女優としてもすばらしく、左翼運動もしていたそうです」とその経歴も添えられていた。
高清子は永井荷風お気に入りのダンサー、女優で『断腸亭日乗』にもしばしば名前が見えている。荷風の読者としては気になる存在で、長らくその面影に接したいと願っていたが叶わなかった。
ところが筒井さんの記事が呼び水になったのか、高清子の写真が「二村定一発掘」というブログに掲載されていますよと教えてくれた方がいて、ようやく念願が叶った。わたしにとっては「事件」である。(写真は同ブログより引用させていただきました)

断腸亭日乗』に高清子を見てみよう。
「(浅草オペラ館)閉場後舞踏家高清子及び永井智子菅原君と共に森永に飲む。余大酔して新橋の旧事を語る」(昭和十三年五月二十一日)
「(オペラ館)閉場後永井高清子等と銀座コロンバンに一茶す」(昭和十三年七月八日)
「オペラ館の閉場するを待ち高杉智慧子高清子竹久よし美等と酉の市を歩み仲の町茶屋浪速屋に飲む」(同年十一月一日)
なお上の昭和十三年五月二十一日のオペラ館は荷風原作のオペラ「葛飾情話」が上演されていて、記事中の永井智子は主役の歌手(のちに作家永井路子が実母であることを明らかにした)、「菅原君」は「葛飾情話」の作曲者で、永井智子の夫の菅原明朗である。太平洋戦争末期、夫妻は荷風とともに空襲を避けながら身辺の面倒をみた。
高清子は戦後の日記にも登場する。
「午後常盤座楽屋。或新聞社写真記者あり。その請ふに任せ、女優桜むつ子高清子其他七八人と一座にて撮影す」(昭和二十三年四月二十日)
薄暮常盤座楽屋。偶然戦争前オペラ館女優なりし西川千代美に逢ふ。伊豆伊東にて踊師匠をなし居れりと云。桜むつ子高清子等と福島に喫茶してかへる」(同年十二月二十三日)
大正二年浅草の生まれで、エノケン一座の看板女優だった時期もある高清子は、荷風日記にあるように浅草のオペラ館でも活躍し、戦後は常盤座や日劇小劇場で活動をつづけた。
夫は正邦乙彦。高清子と彼女に遅れてエノケン一座に入団した正邦はすぐいい仲になり昭和十年エノケンの媒酌で結婚式を挙げている。
正邦乙彦はヘレン滝、ジプシー・ローズといった人気ストリッパーのマネージャーとして知られ、とくにジプシー・ローズとは内縁関係がつづき、昭和四十二年四月二十日に亡くなったときは正邦が内縁の夫として最期を看取った。
そのかん、高清子は正邦の母の世話をし、正邦とのあいだの一男三女を育てた。昭和五十七年五月二十四日孫の目前で心臓麻痺を起こし、亡くなったという。
近藤啓太郎『裸の女神 ジプシー・ローズの生涯』によると、荷風は親しいストリッパー園はるみにジプシー・ローズを紹介されたことがあった。つんつるてんの背広に下駄履きの老人が買物籠をさげているのを見て「いったい、どこの親父よ。あんまり変なの、紹介しないでよ」といぶかしがるジプシーに、園はるみは「あら、何をおっしゃるの、ジプシーちゃんは。ニフウ先生じゃないの、有名な・・・・・・」と言って引き合わせた。
このとき荷風が、高清子、正邦、ジプシーの三者の関係を知っていたかどうかはわからない。
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断腸亭日乗』昭和十年十月十五日。新聞広告で雑誌「婦人公論」が女性文化二十年という特集を組んでいるのを見た永井荷風は、他日何かの参考資料になるかも知れないので記事の題名だけでも記しておこうと三十ほどのテーマを書き抜いた。
よく知られているものでは、松井須磨子の自殺、柳原白蓮女史の家出、有島武郎波多野秋子の心中、大杉栄伊藤野枝の殺害、日本人女性初のオリンピックメダリストとなった人見絹江の活躍などがある。
それらのなかに「増田富美子と西条エリ子」という一項がある。後者の西条エリ子はダンサー、女優だが増田富美子は調べがつかずわからない。
西条エリ子も高清子とともに気になる存在で、彼女を意識したのは『断腸亭日乗』ではなく野口冨士男の作品を通じてだった。
戦前の松竹歌劇団(SKD)のスターで『いま道のべに』に野口冨士男は「西条エリ子ほどきれいなレビューの踊子は空前絶後」であり「舞台姿はもちろんのこと、すぐ傍で見てもぞくぞくするほど美しかった」と回想している。野口は昭和八年の九月からおよそ二年間、紀伊國屋書店の出版部に勤めており、仕事でSKDの舞台稽古を見る機会があった。
それにしても「空前絶後」の形容は凄い。
野口冨士男を読むようになったのは荷風を通してだったから西条エリ子の名前が双方の著作にあるのはうれしい。ただしこれほどの美女だもの、つぎに会うのは活字ではなく、写真でお目にかかりたいと願っているがまだその機会を得ない。
待てば海路の高清子の写真だった。西条エリ子にもそのうちきっとお目にかかれると期待している。