「瞳をとじて」

劇場が明るくなるとともに三時間近く続いた心地よい緊張と鑑賞後の余韻に身を浸していました。ビクトル・エリセ監督三十一年目の新作にして集大成と喧伝されている「瞳をとじて」ですが新作や集大成といった売りの形容がなんだか余計に感じてしまうほど魅せられました。

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映画監督ミゲル・ガライ(マノロ・ソロ)が「別れのまなざし」の撮影を進めているさなか、主演俳優フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)が突然の失踪を遂げます。映画は頓挫し、それから二十二年が過ぎて、ミゲルのもとに人気俳優失踪事件の謎を追うテレビ番組を企画したからと出演依頼が舞い込みます。

取材への協力を決めたミゲルは、親友でもあったフリオと過ごした若き日々の記憶を手繰り寄せ、自身の半生を振り返ります。そうしてフリオを知る人々にインタビューを試みます。そのなかのひとりにフリオの娘アナ(「ミツバチのささやき」で当時五歳で主演したアナ・トレント!)もいました。

人気俳優失踪の未解決事件をめぐる番組は完成し、放映されました。そして番組終了後、フリオに似た男が海辺の高齢者施設にいるとの情報が寄せられます。
いろいろな解読や解析が可能でしょう。ただわたしには何よりもビクトル・エリセ版 The Long Goodbye でした。蟹は甲羅に似せて穴を掘る。これがハードボイルド大好きなわたしの甲羅なんです。映像も語り口も素晴らしい、それ以上にハードボイルドタッチのストーリーが惹きつけてやまないのです。

レイモンド・チャンドラーの元版は物語が終わったとき長い別れがはじまったのですがビクトル・エリセ・バージョンでは二十二年の別れのあとテレビ番組の企画を機にもう一度事件が浮上します。海辺の高齢者施設にいる男は何者なのか、どのような人生の軌跡をたどってきたのか。男は自分を有名なタンゴ歌手ガルデルと思いこんでいるふしがあり「カミニート」や「ジージーラ」を口ずさんでいる。どうしてアルゼンチンタンゴなのか。

そうそう音楽といえばミゲルが親しい仲間たちとギターを伴奏に「ライフルと愛馬」を歌うシーンがありました。ハワード・ホークス監督の「リオ・ブラボー」で、また「赤い河」でも歌われていたと記憶しています。ホークス監督へのオマージュだったでしょう。嬉しかった。

(二月十三日ヒューマントラスト渋谷)