「ラッキー」

ハリー・ディーン・スタントンが「パリ、テキサス」で主役を務めたのは五十八歳のときだった。個性派俳優の記念碑的作品となったこの映画から三十余年、かれは「ラッキー」を遺作として二0一七年九月十五日、老衰のため九十一歳で亡くなった。
遺作はスタントンに当て書きされており、その実人生と思いをバックボーンとしている。あえていえばそこには演技ではなくてありのままのスタントンがいる。かれをよく知るジョン・キャロル・リンチ監督(「ファーゴ」で名を知られるようになった名脇役のはじめての監督作品)や長年にわたる盟友デビッド・リンチをはじめとする出演者たちに囲まれ、本作で掉尾を飾ったその役者人生は見事というほかない。

ずばり、これはアメリカ版『徒然草』だ。
ひとり暮らしの九十歳、目覚めるとコーヒーを飲み、タバコをふかし、クロスワードパズルを解く。なじみのバーで知り合いたちと酒を飲む。結婚生活はなく、孤独という人もいるが自身はそうは思わない。「孤独と一人暮らしは同じじゃない」。
ある日、ラッキーは気を失う。懇意の医者の診察と検査を受けたが、結果は、異常なく、年齢を重ねるとともにそんなことも起こる、というものだった。
よき友として、物くるる友、智慧ある友、医者(くすし)を挙げたのは吉田兼好だが、こういうむやみな医療行為に奔らない医師が近くにいるのはありがたい。医療と精神は通じ合っていて、この体験はラッキーに人生の最後の時間のあり方を考えるきっかけをもたらした。自身の過去を振り返り、また周囲の人たちとのやりとりのなかでかれは思いをめぐらせる。
そんなある日、ラッキーはよく利用するエスニック系のコンビニに勤める女性から息子の誕生日のパーティに招かれ、そこで演奏していたマリアッチのバンドに閃くものがあったのだろう、ふいとスペイン語で歌をうたいはじめると、バンドのメンバーがコーラスを付ける、その姿に『徒然草』の「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」の一節が心に浮かんだ。
日にちが経つとともに静かな感動の度合が高まっている。
(三月三十日ヒューマントラストシネマ有楽町)