「雨に咲く花」

「およばぬこととあきらめました、だけど恋しいあの人よ…」

井上ひろしが歌った「雨に咲く花」(作詞:高橋掬太郎、作曲:池田不二男)のレコードは一九六0年(昭和三十五年)七月に発売され百万枚を売り上げたという。ちなみにフランク永井の「君恋し」は翌年リリースされ大ヒットし、第三回日本レコード大賞グランプリに輝いた。

当時の歌謡界のリバイバルブームを代表する曲で、ただ、そのころ小学生だったわたしが、いずれも昭和初期のヒット曲と知っていたかどうかはわからない。

「雨に咲く花」については忘れ難いシーンがある。

塾からの帰り道だったから一九六二年、小学六年生のことである。ある日、塾を終えて、別の小学校のKくんと歩いていると焼き芋を売っているお店(屋台だったかもしれない)があり、どちらともなく食べたいね、という話になり、ポケットを探ってみたがともに持ち合わせはなくあきらめるほかなかった。するとKくんが「雨に咲く花」の替え歌を口ずさんだ。

「およばぬポテト、あきらめました」。

それを聞いてわたしが笑ったか、茫然としたかは記憶にないけれど、確かなのはこの瞬間「雨に咲く花」はKくんのユーモアとともに忘れられない一曲となったことだ。

Kくんもわたしもおなじ私立中学を受験したが、Kくんは合格、わたしは不合格で異なる進路となったからその後の交際はなかった。でも、いまでもときに、なんてユーモア感覚に溢れた、冴えた人だったんだろうと、うらやましさとともに思い出す。わたしが生涯身につかなかった当意即妙、機転の利いた即座のリアクションで、身につかなかったのは実直で真面目な性格のためといいたいところだが、それもいえないのが難儀である。

井上ひろしの「雨に咲く花」は甘いバラード調の曲だった。のちに、おそらく二十年くらいしてようやくオリジナルを聴いた。関種子が歌うタンゴのリズムの「雨に咲く花」は甘くそれでいて凛とした雰囲気のあるソプラノ歌手の名唱で、一聴たちまち魅せられてしまった。昭和戦前の女性歌手が歌ったタンゴの歌謡曲でこれに比肩できるのは松島詩子の「マロニエの木陰」、ミス・コロンビアの「並木の雨」といったところか。

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なお「雨に咲く花」は一九三五年(昭和十年)十月に公開された映画「突破無電」(未見)の主題歌で、レコードは同年十二月に発売されている。このオリジナルは日系米人のあいだでずいぶんと好まれ、歌われていて、一九九0年製作のアメリカ映画「愛と哀しみの旅路」に挿入歌として用いられた。第二次世界大戦を背景に、アメリカ人男性と日系人女性の夫婦が体験した、日系人収容所を含む過酷な日々を描いたアラン・パーカー監督の佳作で、日本では翌年三月に公開された。

奇しくも関種子はこの映画が製作された年の六月に八十二歳で亡くなった。いっぽう井上ひろしは五年前の一九八五年に四十六歳で歿していた。