瞬間日記抄(其ノ十四)


先日小生の小さい頃を知る八十数歳の婦人に会ったところ、思い出話になって、あなたは昔から映画の好きな子供だった、南奉公人町という町名の入った木切れを、南町奉行所の看板だとか、「伊豆の踊子」を「いまめのおどりこ」と言っていたのを覚えていると言われ赤面した。
その「いまめのおどりこ」を新文芸坐田中絹代特集で観た。正式には「恋の花咲く 伊豆の踊子」。斎藤裕子さんの活弁付き。川端康成の原作はずいぶんと改編され、明るく、積極的な踊子「薫」であり、また一高生の「私」も孤独感にさいなまれた様子はない。「恋の花咲く」と付いた所以か。


弁士の斎藤裕子さんは澤登翠さんのお弟子さん。彼女のブログによると、この映画のラストの名活弁〜愛の証のシャープペンシル、波間に「ラブ」と書いては消えた、消えて儚い青春の、夢が流れる潮風に、落ちる涙のひとしずく〜は往年の弁士たちが用いた活弁の「定番」の如きものだったとか。






新文芸坐田中絹代特集、もう一本は日本初のトーキー作品「マダムと女房」、昭和六年の作品である。「恋の花咲く 伊豆の踊子」は昭和八年なのにこちらはサイレント。いずれも日本映画史上に名を刻む作品なのだが、これまで出会いの機会なく未見のままだったから、この企画はうれしかった。

「恋の花咲く 伊豆の踊子」「マダムと女房」ともに五所平之助監督作品。しっかりした技量、ほどよい緊張感をよしとする演技指導、肩肘張らない姿勢できっちりと仕上げる監督であり、今回観た二つの作品についてもおなじように感じた
「白痴」や「生きものの記録」に見られる黒澤監督のハイ・テンション、まなじりを決し声を荒げる一本調子の表現がわたしは体質的に適わない。感情が暴走しているとしか映らない。そんなとき脳裡に浮かぶ監督の一人が五所監督だ。「生きることは一筋がよき寒椿」。久保田万太郎に師事した俳人でもあった。




「マダムと女房」は郊外の借家に引っ越してきた劇作家(渡辺篤)が脚本執筆にとりかかるが、子供の夜泣きや隣家のバンド演奏ではかどらず、隣に苦情を言いに行ったところマダム(伊達里子)に篭絡され、ともに酒と音楽とあいなる。すると妻(田中絹代)が機嫌を損ね小市民家庭にさざなみが立つ。

田中絹代の和風奥さんと伊達里子の洋風マダムの対象的な配置に昭和初期の時代相が窺われる。日本の伝統も西洋のモダニズムもともに肯定され、両者は微妙なバランスで調和している。トーキーという技術と小品喜劇とジャズが醸し出す雰囲気が昭和の小春日和というイメージを連想させる。
師岡宏次『東京モダン』に「スピード時代」という一章がある。昭和初期の一円で乗れるタクシー、円タクは自動車モータリゼーションの開幕を告げた。東京大阪間の定期航空路が開設されたのは昭和四年八月だった。昭和初期は現代に繋がるスピード時代のはじまりだった。
(『東京モダン』より)







「マダムと女房」では、原稿を書きあぐねていた劇作家が、酒とジャズの刺激で急に筆が進むようになる。映画の主題歌は「スピード時代」と「スピードホイ」。スピード化によるハッピーエンドという次第で、時代の雰囲気と生活のリズムの変化が感覚的にわかったような気がした。

(同上)