ゲシュタポ本部跡

長年「ニューズウィーク」誌にあって国際報道に従事したアンドリュー・ナゴルスキの著書『ヒトラーランド』(北村京子訳、作品社、訳書は2014年、原著は2012年刊)は副題に「ナチの台頭を目撃した人々」とあるように、ジャーナリストを主とする在独アメリカ人がヒトラーとナチの台頭期から第二次世界大戦直前にかけての姿をどう見たかについての優れたノンフィクションである。
日の出の勢いにあったヒトラーとナチを目の当りにしたアメリカ人は著者がいうように「民主主義的かつ実利的な国からやってきて、狂気のイデオロギーのもとでおぞましい変貌を遂げつつある社会に投げ込まれた」人たちだった。
もっとも「おぞましい変貌」はあとからいえることで、リアルタイムにおける認識はそれほど簡単な話ではなく、軍備増大、人種差別政策とユダヤ人迫害、幼稚な反知性主義、暴力や力による支配、領土拡張策などを前にしてなお困難だった。とくに政権を掌握した一九三三年から五年間ほどはヒトラーがそれなりに自制していたこともあって見極めはむつかしく、合衆国とは比較にならないほど直接の影響が及ぶイギリスでさえ、チェンバレン首相は一九三八年九月の時点でなお訪問したベルリンで逆卍旗とユニオンジャックとが仲よく並ぶ大通りを車に乗って進み、続くヒトラーとの会談では融和を図る姿勢に終始した。
対照的に異国にあって慧眼を示した人に永井荷風がいて『断腸亭日乗』のなかでヒトラーを「狒虎」と表記し(昭和十六年三月二十四日)、またナチの支配するドイツを「侵略不仁の国」と評した(昭和十五年九月二十八日)。
「侵略不仁の国」の総本山が総統官邸であり執行機関の中枢がゲシュタポ(秘密国家警察)本部であり、ここは親衛隊(SS)と国家保安本部(RSHA)の本部も兼ねていた。建物は空襲で破壊されたが遺構はあり、それに面して「トポグラフィー・オブ・テラー博物館」が建てられ、ナチスによる支配の具体相が展示されている。ともに国家としてあの戦争にどう向き合うかを示すところとなっている。
 
なお『ヒトラーランド』の著者は日本の読者にあてたあとがきで「破滅的な被害をもたらした第二次世界大戦の悲劇から長い年月が過ぎたいま、日本社会はドイツ社会に比べて、戦時中にみずからが行った行為の厳しい現実に向き合うことに対し、はるかに消極的だ。あの時代の現実から学ぶよりも、それを否定しようとする動きが、また中国や韓国などで日本軍が行なったひどい行ないを軽く見ようとする動きが、いまもあまりに多く見受けられる」と述べている。わたしは日本の課題としてそれは認める。他方、ドイツでは二000年から七年間にわたり極右グループNSU(国家社会主義地下組織)いわゆるネオナチが八つの都市で連続テロ事件を起こしており、おまけに警察はトルコ人同士の抗争を疑い、十一年間もネオナチを捜査対象としなかった。こうした動きを考えると、上の日独の比較にはわだかまりを持つ。