中正記念堂の庭園で(2015初夏台湾 其ノ九)


一九七六年の中国の旅で、上海に泊まったのが錦江飯店というホテルだった。准海路から入った市内の中心地にある当地随一のクラシックホテルで、現地の通訳の方から「日中国交正常化のために訪中された田中角栄先生もここに滞在されました」と説明を受けたときはすこしばかりおどろいた。いま中国を旅しても北京飯店や錦江飯店はわたしには高嶺の花以上の存在だろう。
一九七二年九月二十九日田中角栄周恩来両首相が「日中共同声明」に署名、調印した。その前年の十月には中華人民共和国政府が国連に加盟し、台湾は残留する道もあったがみずから去った。わたしは主に中国政治とその関連で中国語を学習する大学生だった。その頃、中国文学者の竹内好が、自分が野党の議員なら、中華民国の政権を中国唯一の正統政府としてきた日本はどうして台湾政府とともに国連総会場を退場しなかったのか、わが日本には国際連盟を脱退した輝かしい歴史があるではないかと質問する、と言っていたのを思い出す。