「白貂を抱く貴婦人」〜「シンドラーのリスト」に思う(其ノ四)

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品のうち一人の女性を描いた肖像画は「モナ・リザ」「ミラノの貴婦人の肖像」「シネーヴラ・デ・ベンチの肖像」「白貂を抱く貴婦人」の四点が現存していて、なかで「白貂を抱く貴婦人」はクラクフの美術館に展示されている。モデルはチェリア・ガッレラーニ。ルネサンス華やかなりしミラノの宮廷で「花のように美しい」と讃えられたという。
この絵画とポーランドとの係わりは一七九八年にポーランドのチャルトルスキ公爵家が購入したことにはじまる。その後、戦禍を避けるため同家は隠匿し、ドレスデンやパリに運び、一八八二年になってようやくクラクフに帰って来た。

クラクフの美しさに爆撃を止したと伝えられるナチスも芸術品には容赦せず、この作品もドイツに送られ、第二次大戦後、連合国兵士によりバイエルンで発見され、ふたたびクラクフに戻った。
ジョージ・クルーニー監督『ミケランジェロ・プロジェクト』はナチスに略奪された美術品を回復するため、ルーズベルト大統領から任務を託された「モニュメンツ・メン」の物語で、戦後ジョージ・クルーニー演ずるフランク・ストークス博士がナチスから取り返した作品をスライド上映する場面では「白貂を抱く貴婦人」も映されていた。
一九三九年九月一日ドイツ軍はポーランドへ侵攻した。九月三日にはイギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦となった。
チャーチル第二次世界大戦』に「十二個旅団あるポーランド騎兵隊は、群がり寄せて来る戦車と装甲車に対して勇敢に突っ込んだが、剣と槍では傷を負わせることもできなかった」とあるようにポーランドとドイツの軍事力の差は大きかった。ドイツの九個戦車軍団を迎え撃つのにポーランド軍は装甲一個旅団しかなく、空軍は二日で事実上潰滅した。そうしてドイツ軍は一週間のあいだにポーランド領内深く攻め入った。
ポーランドは苦悩の底に沈み、フランスはかつての勇武の影も薄らぎ、ロシアなる巨人ももはや同盟国ではなく、中立国ですらなく、あるいは敵に変じる可能性もあった。イタリアも友邦ではなく、日本も同盟国でなかった。果たしてアメリカはふたたび参戦してくれるだろうか?」とチャーチルが不安を吐露したほど、開戦時のドイツは優勢だった。
ドイツの破竹の勢いに乗ってオスカー・シンドラーが一旗揚げようとクラクフへやって来て琺瑯容器工場を買い取ったのが開戦の翌月十月だった。ところがゲットーに押し込められたユダヤ人へのナチスの残虐な行為を目にして、彼は工場の利益をユダヤ人救出のためにつぎ込むようになる。
「白貂を抱く貴婦人」がいつドイツに持ち去られたかは調べてみたがわからなかった。手嶋龍一『スギハラ・サバイバル』(新潮文庫)によるとヒトラーゲーリング、それにポーランド総督ハンス・フランクは「白貂を抱く貴婦人」を含む絵画の傑作をわがものにしようと醜い争いを繰り広げていて、一時期ハンス・フランクは「白貂を抱く貴婦人」をベルリンからクラクフへ持ち帰り、執務室に飾ってあったという。
わたしはこの作品を前にした瞬間、シンドラー氏もこの絵に接したことがあったのだろうかと憶測をめぐらしていた。