「梨泰院クラス」讃

英語学習テキストOXFORD BOOKWORMSでチャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパーフィールド』を読み、引き続き岩波文庫の訳書全五巻に進み、第一巻を読み終えた。学習用テキストのおかげで呑み込みも早く快調に進んでいる。

OXFORD BOOKWORMSでは次にトーマス・ハーディFar from the Madding Crowdが掲載されているが長篇小説の連続はきつそうで、おなじく英語学習用にリライトされた『シャーロック・ホームズの冒険』を読むこととした。コナン・ドイルのホームズ作品は原書ですべて持っているのに、学習用テキストからのスタートはトホホだな。

岡本綺堂は三歳にして、元幕臣でイギリス公使館に書記として勤務していた父から漢文素読、九歳から漢詩を学び、叔父と公使館にいた留学生から英語を学んだ。やがてシャーロック・ホームズ作品を読み、そこから『半七捕物帳』の執筆に至った。いま学習用テキストでホームズを読むわたしとしては学力不足を嘆くほかない。

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ドナルド・キーンはアーサー・ウェーリーによる英訳『源氏物語』で日本文学の素晴らしさを知った。日本の優れた古典文学にはそれに見合う優れた現代語訳がある、古典の勉強はそこからはじめよ、 外国語でも教えるかのようにはじめから原文にあたって文法を暗記させるのは味気ない、まずは文学としての面白さを教えるべきだ、とキーンさんは主張していた。

ドナルド・キーンの東京下町日記』にある「『世界のオザワ』を見習う」にキーンさんは「小澤(征爾)さんは、オペラをかみ砕いて子どもに食べやすくした。それを見習って、(日本の)古典も敷居の低い現代語訳で始めるべきだと強く思っている」と書いている。

わたしは大学で中国語を学んだがいま中国への関心はほとんど失せた。胡耀邦共産党の総書記だったころ、改革開放期の文学を興奮して読んだのもいまは昔。そこでふと思いついて英語の学び直しに取りかかった。英語学習用にリライトされた『シャーロック・ホームズの冒険』にはいささか忸怩たる気持はあったけれど、キーンさんの、敷居の低いところからはじめよ、に意を強くした。

ドナルド・キーンと日本の古典についてもうひとこと。

キーンさんは若いころ『徒然草』の翻訳に熱中しているうち自分が兼好法師になったと思ったという。その英訳は自身の翻訳のなかで、いちばん好きで、よくできていると自負していた。二0一九年四月十日、キーンさんのお別れの会で喪主を務めた養子誠己(せいき)さんはあいさつで「軽井沢の別荘で父は若い頃、タイプライターに向かって『徒然草』の翻訳に熱中しておりました。そのときは六月で、やはりシトシトと雨の降る梅雨の時期だったそうです。そして、父は、まさに自分が兼好法師になったと、そんなふうに思ったそうです。その英訳は父自らが、『これは僕の翻訳の中で、一番好きで一番よくできている英訳だと思います』と自負しておりました」と述べている。

これはゲットしなくてはと探したところ Essays in Idleness ありました。生涯の愛読書『徒然草』を英語でも楽しめるなんて、これまで思ってもみなかった。

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もし年収二十ポンドある人が十九ポンド十九シリング六ペンスで済ませて使う分には幸せにやってられるけど、二十ポンド一シリング使ってしまえば、みじめな結果になってしまうんだよ、とミスター・ミコーバーは、デイヴィッド・コパーフィールドに言った。

その舌の根の乾かないうちにミコーバーは黒ビールが飲みたいからとディヴィッドから一シリングを借り、奥さんへ支払いをよろしくと指示書類を書くと、元気いっぱいになった。このときミコーバーは債務者監獄に囚われの身で、 ディヴィッドは面会に来ていた。犯罪者ではなく債務者だからビールはよろしいという理屈なのだろう。

暑さのなかこの箇所を読んだところで黒ビールを飲まずにはいられなくなり、さっそく神保町のビアホール、ランチョンへ足を向けた。美味しかったなあ。

篠田一士が『世界文学「食」紀行』に「まあ、女のことはぼくにはわからないし、それほどの感興もよばない」「それよりも、ぼくは詩や小説を読むときには、食べ物に注目する」と書いている。及ばずながら大いに見習いたい。

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おなじく『ディヴィッド・コパフィールド』で、コパフィールドの伯母さんが「いいの、いいの、ビールさえあれば、極楽、極楽」と口にする。大いに共感したが、じつは伯母さんは「坦々と、温めたビールをティースプーンで飲んだり、ちぎったトーストをそれに浸して食べたりしている」のだった。

ホットビールは、ビールの本場、ドイツでも古くから親しまれてきた飲み方だそうだが、わたしに冒険心は起こらず、冬になればためしにやってみようという気にさえならない。そういえば寒い季節のドイツでホットワインを飲んだが、一度でたくさんだった。

ネットでどなたかがホットビールについて、キンキンに冷えたビールが好きな人や、ビールはのどこし!という人からすれば「温めて飲む」なんて発想は邪道に聞こえるかもしれません、けれどこちら、イギリスの寒冷地ではごく一般的な飲み方なんですよ、と書いておられた。ラガーではなくエールビールが適しているとの由。

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八月十日。夏が来れば思い出す。『徒然草』第五十五段「家の作りやうは、夏をむねとすべし」を。そして西陽が斜めに射すわが部屋で、文句をいってはキリがない、近くの上野公園を散歩し、不忍池のほとりでジョギングできる贅沢もあるんだからと自身を慰める。ちなみにドナルド・キーン英訳の五十五段を直訳すると「家は心に夏を思って建てるべきである」。  

第二次岸田改造内閣が発足した。どなたが入閣しようが、党の役員になろうがどうでもよく、あとは勝手に棕櫚箒で、こうして歳をとるのはよいものである。しかしながらウクライナや台湾がどうなろうとわがことにあらずという気分ではないからまだ枯れきってはいない。

「世に立つは苦しかりけり腰屛風まがりなりには折りかがめども」荷風

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八月十一日。「山の日」の夕方、上野公園を散歩し、とちゅう不忍池のベンチに腰掛けチェーホフ作品集のあちらこちらを開いてみた。猛暑日ながら五時半頃には陽は翳り、池の水と桜の葉裏はそよ風に揺れ、気持すこぶるよし。

「無能だというのは小説の書けない人のことではない、書いてもそのことが隠せない人のことだ」とチェーホフ。このブログを書いている人もおなじで、そうとわかっていてもまだ続けている。どれほどの無能か、あきれるばかりだ。

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暑さが厳しい。昨夏まではビールの箱買いはせず、飲みたくなればその都度買っていたのに、もうそんなこといっていられなくなり、自宅ではあまり飲まなかったビールを毎度口にするようになった。焼酎、ウイスキーにビールが加わり、これからの人生、きみたちとともに仲良く過ごしたいと心でささやいた。暑さが結ぶ恋である。

晩酌しない日はノンアルコールビールを飲んでいてこの夏はふたつとも必需品に格上げした。暑さに対する耐性が劣化し、ビールの箱買いを戒めていた堤防が決壊し、同時に欲望が解き放たれ、一瞬ではあるが、これからの人生、酒にはじまり、セックス、品物、現ナマ、もう遠慮しないと決意した。

先日は シネマート新宿で金大中の大統領選挙運動を素材にした実録映画「キングメーカー 大統領を作った男」を観たあと、晩酌には間があったので喫茶店で休んでいるとビールが恋しくて、恋しくて……精神的には完全に依存症状態である。

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しばし暑さを忘れさせてくれるTVドラマはないかなと探していたところ週刊誌で韓国のテレビドラマ「梨泰院クラス」(イテウォンクラス)が日本でリメイクされるとの記事を読み、さっそく元版をNetflixで視聴をはじめいま第四話を終えた。ストーリーの展開の魅力に加えパク・ソジュン演じるパク・セロイ(朴世路)が、韓流ハードボイルドの趣きがある。二人のヒロイン、キム・ダミ、クォン・ナラも素晴らしい。二人の女優の役柄を喩えると前者は変化球型、ベンチャー企業のマネージメントに優れ、後者は直球型で、大企業のキャリアウーマン、双方のバランスも取れている。いま一人「長家」専務役のキム・ヘウンも魅力の女優だ。

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週刊文春」のいつだったかの号で作家の下重暁子氏(86)が「75歳以上が『後期高齢者』って、誰が決めたの? 私はけしからんと思っているんですけどね(笑)。数字なんかで人間をくくっちゃいけません」と語っていた。

長距離走大好きで、まもなく七十二歳となるわたしは、できれば後期高齢者まではフルマラソンの大会に出場したいと思っているけれど、それこそ「数字なんかで人間をくくっちゃ」だめなんだ。走れなくなればそのときのこと。ハーフマラソンをはじめ長距離走はいくらでもある。七十五歳からは後期高齢者、こういうのを人為的高齢者論というのだろう。

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「梨泰院クラス」が中間点まで来た。NetflixのTVドラマのベスト10に常時顔を出しているのも納得だ。いろんな出来事を契機として人間関係が変化する、その変化の様相がこのドラマの大きな魅力で、今後の展開は不明ながら面白さに磨きをかける仕込は十分と見た。

寺田寅彦は「病室の花」で造花について「不規則な乾燥したそして簡単な繊維の集合か、あるいは不規則な凹凸のある無晶体の塊である」としたうえで、生花については「複雑に、しかも規則正しい細胞の有期的な団体である」と述べた。真実とまがいもの。甘みにも砂糖があるいっぽうにサッカリンがある。

造花と生花。寅彦は「美しいものと、これに似た美しくないものとの差別には、いつでもこのような、人間普通の感覚の範囲外にある微妙な点があるのではあるまいか」という。人間関係の揺れ、裏切り裏切られの描写は一級品の「梨泰院クラス」、生花そのものだ。

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七十七回目の「八月十五日」を迎えた。

「戦後、日本人は一人も戦死していない。素晴らしいことだ。不戦を誓う憲法九条のおかげであり、世界が見習うべき精神である。ところが、日本は解釈改憲で『理想の国』から『普通の国』になろうとしている」。

「私は戦争体験者として、国際問題の解決に軍事行動をとるべきではないと思っている。遺体が無造作に転がる戦場に立てば、その悲惨さ、むなしさは明らかだ。それに、日本にふさわしい平和的な国際貢献の方策はいくらでもある」

いずれもドナルド・キーン『東京下町日記』より。初出は二0一四年七月六日東京新聞。 つい先日までの日本人の平均的な考え方といってよいと思うが、いまはどうだろう。国会で改憲に積極的な政党が占める比率から考えると、それほど「理想の国」ばかり求められても困ってしまいます、がいまの国民感情なのかな?

国際問題の解決に軍事行動をとるべきではない。しかしウクライナでの「遺体が無造作に転がる戦場」報道を見るとそうとばかりいっていられない、しかも火元は国連安保理常任理事国である。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」(憲法前文)はいえない事態となっている。

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『デイヴィッド・コパフィールド』を読み終えた。一介の孤児がさまざまな体験を経て立身出世の人生を送るサクセス・ストーリーを骨格にさまざまな人物が散りばめられて、はじめ長いのが不安だったが難なく読めた。祝!

語り口はなじみやすく、それに人物造形と描写が見事で、ドーラ、ミスター・ミコーバー、ベッツィ伯母さん、ペゴティーとその兄のミスター・ペゴティー、ユライア・ヒープなど、わたしのような記憶力の衰えた者の脳裡にも長く印象に残りそうだ。

訳者の石塚裕子氏は解説でこの作品の魅力を「やはり、この小説の面白さの真髄は、様々な個性豊かな人物たちが、あちこちに登場してきては捲き起こす喜劇や悲劇の場面場面にある」と述べている。初出は月刊分冊で一八四九年五月から翌年十一月にかけて。読むうちにときどき同時代の日本、幕末維新期の社会を意識した。

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「梨泰院クラス」1シーズン、16エピソードの鑑賞を終えた。大満足、出色の韓流ドラマだ。韓国のトップの外食産業の御曹司に父を殺された息子の復讐を軸に恋愛、企業買収、内部告発トランスジェンダー等を絡ませた作劇術は見事なもので、これほどテレビドラマにはまったのは「ハウス・オブ・カード」以来だ。

ここしばらくの間に視聴した韓流ドラマは「愛の不時着」「未成年裁判」「イカゲーム」そして「梨泰院クラス」。NHKでやっている韓流歴史ドラマには全然食指が動かないが、Netflixの現代ドラマはこれからも追ってみたい。ヒット作品が日本で放送されているという事情はあるにしても、いずれもレベルは高い。