「警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件」~事件の記録と捜査の証言

「警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件」(山本兵衛監督、Netflix)はイギリス人女性、ルーシー・ブラックマンさん(当時二十一歳)が二000年、東京で失踪し、その後遺体で見つかった事件のドキュメンタリーで、事件の経過、内情とともに犯罪捜査がどのようなものかがよく描かれた作品です。

もう半世紀ほど前になりますが、退職した元刑事の方と話をする機会があり、たまたま話題が松本清張に及んだとき、その方は、清張の短篇小説群のなかで捜査のリアリティという点では「張込み」がいちばん優れていて、野村芳太郎監督の同名映画化作品もそこのところがよく描かれているとおっしゃっていました。

それから先、ときどき「張込み」に匹敵する捜査のリアルを描いたノンフィクションは何だろうと自問することがあり、しかし寡聞にしてなかなか答えが見つかりませんでした。だからでしょう「ルーシー・ブラックマン事件」を観て、たちまちこれは捜査のリアルという点で高く評価できるドキュメンタリーだと思いました。

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捜査に当たった警察関係者を主に被害者の家族や職場の同僚などの証言が引き出され、重ねられてゆきます。携帯電話の通話記録を確認し、容疑者が自室に残していた買い物の領収書を集めてそこから足取りを割り出していく。なかにはいまだからこそいえることがらも含まれています。そのひとつ。他の班の捜査報告書に不信を覚えた別の班の捜査員が報告書を丹念にチェックする。もちろん口にできることではなく、人目を避けなければならないから、深夜庁舎でひとりになったときにするほかありません。そうした諸々の捜査を踏まえながらだんだんと犯人が絞られてゆきます。

捜査といえばルーシーさんの父親の映像からは当時の日英の捜査のあり方の違いが見えて興味深い。父親は娘の失踪をマスコミを通じて大きく訴えようとしますが、警視庁はルーシーさんの生死が判明していない段階ではかえって危険だと判断します。

父親はまた「イギリスでは日本製の監視カメラがたくさん備え付けられているのに、どうして日本ではこんなに監視カメラが少ないのか、と疑問を覚えています。いまわが国の監視カメラの実態がどうなっているのかは知りませんけれど、当時は監視カメラとプライバシーの問題は日英両国でずいぶん開きがありました。大きくいえば文化ギャップといえるでしょう。

文化ギャップといえば、ルーシーさんは事件当時、六本木のクラブでホステスとして働いていたのですが、このホステスという職業がイギリスでは理解されにくく、山本監督はインタビューで、事件発覚後、ホステスは売春婦なのかとか、何かスキャンダラスな仕事をしていて、やくざの犯罪に巻き込まれたんじゃないかとかいう臆測がメディアで出ていて、このホステスについては理解が行き届くようNetflixから要請があったと語っています。

事件から二十年以上経過した現在、事件当時の捜査員のなかにはいまも遺体が発見された神奈川県三浦市の海岸近くにある洞窟にお参りに行っている方がいらっしゃいます。イギリスにルーシーさんの墓参に行った元刑事の姿もあり、事件に向き合った心情がよく伝わってきました。