「藤十郎の戀」

一九三七年(昭和十二年)松竹の若手時代劇スターだった林長二郎は同社を退社し東宝に移籍しました。移籍の原因はいろいろ取沙汰されていますがここでは触れません。いずれにせよ反響は大きく、マスコミは世話になった松竹を裏切った「忘恩の徒」と非難し、そのうえ二人の暴漢が彼を襲いカミソリで左頬を切りつけるという事件が起こりました。

翌年、林長二郎は芸名を本名の長谷川一夫と改め、巧みに傷跡をメイキャップで隠し、東宝入社第一作「藤十郎の戀」の撮影に臨みました。監督は山本嘉次郎。製作主任黒澤明

山本監督はわたしが小学生だったころよくNHKのクイズ番組の解答者としてテレビ出演していたのをおぼえています。 黒澤明本田猪四郎谷口千吉たちを育て、代表作に高峰秀子を主役とした「綴方教室」「馬」、「エノケンのちゃっきり金太」をはじめとする一連のエノケン作品、戦時中の「ハワイ・マレー沖海戦」「加藤隼戦闘隊」などがあり、 粋で達者な随筆の書き手でもあると知ったのはテレビで見かけたときよりずいぶんのちのことでした。

といったふうに同監督についてはひととおりのことは知っているつもりだったのですが「藤十郎の戀」についてはノーマークで、芸道ものにして、男女の心理の機微を描いたこれほどの名作もあったのかと驚きました。

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濡事の二枚目として人気を得ている坂田藤十郎ですが、いっぽうで、芸ではなく人気に頼る役者は脆い存在であると人知れぬ不安を抱えています。芸風に行き詰まりを覚えている、その自覚が不安をますます大きなものにしていました。藤十郎はこの現状を打ち破るため近松門左衛門に新作狂言を依頼し、芸風の刷新を目指します。

近松から届いたのは「大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)」。主人の内儀、おさんとの不義密通を疑われた手代の茂兵衛がだんだんとおさんへの愛を自覚し、二人で逃亡を図り、刑死する物語です。

狂言は仕上がったのですが、藤十郎は手代と内儀の濡事の場面の演技に工夫がつかず悩んでいます。そうした折り、 幼なじみで、五年前に夫を亡くしいま茶屋の後家となっているお梶(入江たか子)の美しい姿をみた瞬間にあるアイデアが浮かびます。それは台本の台詞で以て彼女を口説く試みでした。

藤十郎が精魂込めて言い寄るうちにお梶が涙する。藤十郎は演技者であり、同時に冷徹な観察者であり、そして藤十郎とお梶の姿は舞台を映す鏡となりました。演技と舞台を映す鏡に観察者は納得し舞台の工夫演出は成ったと確信します。こうして舞台は大評判をとりましたが、偽りの告白と知ったお梶は自害します。 

座椅子に背もたれして、机上のノートパソコンでみていたわたしは、口説き寄る長谷川一夫とそれ受ける入江たか子の、日本映画史上の見事な濡場として過言でないこのシーンで、気がつけば座椅子から身を離し、背筋を伸ばし凝視していました。