手芸と料理のじょうずな力士

Amazon Prime Video魅惑のモロクロラインナップで「死の十字路」(一九五六年日活)を鑑賞した。原作は江戸川乱歩、この作者がこのようなスリラー作品を書いているのを知らず、ほかにおなじ系統のものがあれば併せて読んでみたいと思った。

夫は商事会社の社長、妻は新興宗教に凝り固まった財産家。夫は秘書を愛人としていて、不倫の現場に妻が訪れたところで諍いが生じ、夫は誤って妻を殺してしまう。

夫は妻の死体を遺棄しようと車でダムに向かうが、そのとちゅう、とある十字路で事故を起こしてしまい、警察署で事故処理をしているあいだに車にはもうひとつ死体が乗せられていた。

どうです。パトリシア・ハイスミスヒッチコックのファンなら堪えられないでしょう。とりわけ前半は優れもの。死体遺棄の全体が浮かび上がる後半は偶然に頼るご都合がマイナス点となるけれど、そこがまた往年の週替わり、プログラムピクチュアの味覚である。

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週刊新潮」九月八日号に、日大危機管理学部先崎彰容(せんざきあきなか)教授の安倍元首相国葬についてのコメントがあった。

国葬の是非はその人物個人への好悪ではなく、遺した実績で測られるべき。その観点から見れば、安倍元総理は憲政史上最長の政権を維持し、外交において数々の実績を遺した。国葬で見送ることは決しておかしなことではない」

国葬賛成派は最長政権と外交について言い立てるが、内政面の具体には触れない。触れると「桜を見る会」をめぐる百回を超す事実と異なる国会答弁や財務省による公文書改竄で職員が自殺した問題が絡んでくるからだろう。国葬に処せられても民主主義への誠実を欠いた事実は消えない。

台湾との友好や、欧米と協調し全体主義を排する点で、わたしは安倍氏に共感するけれど、プーチンとの会談を通じ北方領土問題を解決しようとしたのは判断ミスだったと思う。台湾、朝鮮半島、「満洲国」など領土問題の処理は敗戦によるもので、自主的返還ではなかった。自国もできなかったことをプーチンに求めても結果は明らかだろう。

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九月十一日。チケットをゲットしながら所用で行けなくなった友人からチケットを頂戴し、NHKホールでのNHK交響楽団の演奏会に行った。 

指揮は新たにN響首席指揮者に就任したファビオ・ルイージ交響楽団に加えて四人の歌手と新国立劇場合唱団によるヴェルディ「レクイエム」。合唱付のコンサートははじめてで、まことによい機会となった。

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コンサートホールで聞く素晴らしいオーケストラと歌手と合唱。歳末には恒例でフルトヴェングラー指揮、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団の「第九合唱付」のCDを聞くけれど、ことしの年末はN響の第九をなまで聞いてみたいな。

チケットをプレゼントしてくれた友人にあらためて感謝し、代々木公園の並木道をあるくのが心地よかった。

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九月十七日。明治四十四年三月にオープンした帝国劇場のプログラムに載ったキャッチコピー「今日は帝劇、明日は三越」にならい、昨日は歌舞伎座で観劇、今日は国技館で大相撲観戦。

二代目中村吉右衛門心不全で亡くなったのは昨年二0二一年十一月二十八日。今回の歌舞伎座播磨屋の一周忌追善公演である。

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大相撲は正面二階の枡席、ここでビールを飲みながら観戦するのはわたしの至福のとき

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十月十六日の東京レガシーハーフマラソン2022に出走を予定していて、そろそろ距離を延ばそうと16㎞を走った。心肺がハーハーゼーゼー状態になると長距離レースは断念しなければならないが、いまのところその状態にはない。もっとも若いときのように他人様との闘いどころではなく、いまは自分との闘いで精一杯である。

ひとりで走るのはせいぜい20㎞、それ以上はレースを含め、お仲間と走るのを何よりとしている。学校体育では身体能力を馬鹿にされ、嗤われた自分ができるのは雑念を排し愚直に走るだけである。そうと知りながら、古稀をすぎてなおタイムや順位を気にしているのは人間ができていない表れだろう。

ありがたいことに劣った身体能力の割に体力、スタミナはあったから、いまもレースに出場できている。こんな身体に産んでくれた父母に感謝するばかりだ。

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徳富蘆花大逆事件について論じた「謀叛論」を読んだ。ここで蘆花 は、幸徳秋水はじめ被告人には反省悔悟の機会を与えるべきで、死刑は不当と論じ、「物の役に立つべき面々は皆他界の人になって、廟堂にずらりと頭を駢(なら)べている連中には唯一人の帝王の師たる者もなく、誰一人面を冒して進言する忠臣もなく、あたら君徳を輔佐して陛下を堯舜に致すべき千載一遇の大切なる機会を見す見す看過し」た輔弼の臣の至らなさを嘆いている。さらには、せめて明治初年の山岡鉄舟木戸孝允がいれば状況は変わっていたかもしれない、それに「もし皇太子殿下が皇后陛下の御実子であったなら、陛下はお考があったかもしれぬ。皇后陛下は実に聡明恐れ入った御方である」とのちの大正天皇に言及している。

やんごとない方面についての発言は戦後になって公表されたものではなく大逆事件被告十二名が処刑された一週間後、蘆花が招かれて一高の演壇にたったときの草稿である。こういうのを読むと戦前の言論のあり方のイメージが変わる。

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森茉莉『卵料理』よりパセリのオムレツ。「これはフランスのオムレット・オ・フィーヌ・ゼルブの日本流で、フランスのは香い草入りオムレツといって、いろいろな匂いのいい葉類を入れて焼くのである。ただパセリを青い汁が出るほど細かく刻んで卵にまぜて焼くだけである」。これなら自分でもできそう。

「まず、木綿豆腐を一丁、冷蔵庫でよく冷やしておく。葱(タマネギではない)を刻んで、晒しておく。トウフを取り出して皿に置き、その上にネギをたくさん載せ、塩とゴマ油をかけて、手早く混ぜる。トウフの形が崩れないようにするのと、ゴマ油の数滴、なによりのコツは塩だけの味加減である」吉行淳之介『贋食物誌』より。

著者がある中国のコックから教えてもらった豆腐料理だそうだ。

自分でなんとかなりそうなお酒のつまみをつくるのが好き。「心に通ずる道は胃を通っている」というイギリスのことわざがある。プロの料理人の奥深い料理も、下々のそれなりの料理もおなじく胃を通って心に通じているのが人生である。

慶安の頃、大酒として知られた地黄坊樽次は「南無三宝あまたの樽を呑干て身は空樽にかへるふるさと」と辞世をよんだ。食を通して家族や友人たちと心を通わせ、お酒で羽化登仙し、やがてふるさとへ帰る。素敵な人生。

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「家にゐて女房のヒステリイ面に浮世をはかなみ、或は新聞雑誌の訪問記者に襲はれて折角掃除した火鉢を敷島の吸殻だらけにされるより、暇があつたら歩くにしくはない。歩け歩けと思つて、私はてくてくぶらぶらのそのそといろいろに歩き廻るのである」

「独酌、独吟、独棲、何でも世は源水が独楽の如く独りで勝手にくるくる廻るにかぎり申候。(中略)なまじ子供なぞつくり候へば行末小説家になりはせぬかとついつい青年の自由をも圧迫致したくなるものに候間寧ろ独身にて子供につぎ込むべき学資養育費貯蓄し置かば老後の一身は養育院に行かずとも済み可申候」

前者は永井荷風「日和下駄」、後者は同「大窪だより」の一節で、並べてみると荷風と散歩と家庭の図式が見えてくる。

荷風は市中を散歩する際は嘉永版の江戸切図を携行していた。蝙蝠傘を杖に日和下駄を履き、江戸切図を懐中にしていたのは石版刷りの東京地図を嫌ったのではなく、歩きながら昔の地図と引き比べていけばおのずと江戸の昔と東京の今とが比較対照できるからだった。

そのうえで文明批評家としての荷風は誰が、何が東京の変貌をもたらしたのかの問題を追及した。「江戸伝来の趣味性は、九州の足軽風情が経営した俗悪蕪雑な『明治』と一致することが出来ず」(「深川の唄」)といったふうに。

西行芭蕉は旅人だが、対して荷風は散歩者である。種田山頭火は旅人ではあるが散歩者、歩く人のイメージも強い。

「私が欣求してやまないのは、悠々として迫らない心である、渾然として自他を絶した境である。その根源は信念であり、その表現が句である、歩いて、歩いて、そこまで歩かなければならないのである」。 

山頭火の日記の一節は精神的なあゆみと足の運びを一体としていて荷風の歩きとは趣が異なるが、ここにもひとつの歩きがある。

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 九月二十五日。大相撲秋場所、元気一杯の三十七歳十ヵ月、玉鷲関の優勝を讃えたあと、図書館で雑誌をあれこれ読んでいると「クロワッサン」十月十日号に、玉鷲関と編み物作家横山起也さんとの対談があった。紹介によれば玉鷲関は手芸愛好家で、見事な刺繍やマスコット作りのほか、料理上手でも知られている。

なかで玉鷲関は趣味は手芸としたうえで「手芸をしているときは集中していて、時間を忘れてしまいます。手芸をしているあいだは自分で時間をコントロールできる。とても幸せな時間です」と語り、横山氏は「無心でいられることで、リカバリーできるものがあります」と応じていた。優勝に手芸がひと役買ったかな。

なお三十七歳十ヵ月での優勝は一九五八年に年六場所制となって以降の最年長記録となる。

料理にも関心を懐いている玉鷲関は、現代の食の状況について「今の人たちは『食べるために生き』ていますね。『生きるために食べる』のではなくて」と述べている。食と生が逆になってしまっているのである。力士生命を長く保つためにも食について考察と実践を重ねているとみた。

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二人のフランス文学者の著作集を架蔵している。『河盛好蔵 私の随想選』全七巻(新潮社)と『渡辺一夫著作集』全十四巻(筑摩書房)。後者は学術論文を含むから全巻通読はとても無理だが難しい著作のなかに『フランス・ルネサンス断章』所収の文章があったりして、時々、飛び飛びに渡り歩いている。

河盛好蔵 私の随想選』は先年フランスとベルギーを旅行した直後、たまたま早稲田の古書店でみて旅の記念に購入し、このほどようやく第七巻『私の茶話』を読んだ。著者の単行本は読んだことはあるが、こうして集成された随想集を読むのはうれしい。フランス文学、日本文学の専門的な論文を読むのは難しいができる限り全巻通読をめざしたい。

わたしはフランス文学の日本語訳の金字塔、渡辺一夫訳『ガルガンチュワとパンタグリュエル』に挫折した。再チャレンジはないだろう。他方、河盛好蔵の訳書は監訳『フランス革命下の一市民の日記』、共訳『歓楽と犯罪のモンマルトル』、『落日のモンマルトル』(前著の続編で河盛の名前は記載されていないが、ひと連なりの作品)そして単著『藤村のパリ』が書架に並ぶ。いよいよ読みごろか。

その河盛好蔵先生のコラム「新しい大臣たち」に、フランスでは内閣が代ると新大臣が過去十年ほどのあいだに公の場所で発表した言葉を新聞が発表することになっている、とあった。執筆は一九五八年だからいまはどうか知らない。日本の新聞にも大臣紹介でチラとエピソードが紹介されるが、それとは別だろう。

大臣たちの過去十年にわたる発言を並べることで、その大臣がどのような思想の持主であるか、終始一貫しておなじ政見を持っているか、それとも変節常なき人間であるかを理解することができる、まことに当を得たやり方であって、インチキ政治家の登場をある程度まで防ぐことができる、と河盛先生はいう。

安倍元首相の事件以来、世界平和統一家庭連合、旧略称統一教会と政治家との関係が取り沙汰されている。故人ならびに第二次岸田内閣の大臣たち、各政党の大幹部に絞ってでよいから、過去十年にわたる統一教会との関係と関連発言をまとめてみたら如何だろう。下手な論評より、その人物を雄弁に語ってくれるはずだ。

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プーチン大統領は九月二十一日、ウクライナ侵攻をめぐり予備役の「部分的な動員令」を発動、そのあとセルゲイ・ショイグ国防相が軍務経験のある予備役30万人を召集、ロシアの予備役2500万人の1%にあたると説明した。

種々の報道によるとじっさいは30万人よりはるかに多数で、なかには100万人とする記事もあった。

それから一週間、いまロシアでは市民生活への影響の大きさから一部に徴兵反対の動きが起きている。全体主義国家、悪の帝国におけるこの動きをわたしは予想していなかった。筋金入りの反プーチン派は別に、徴兵反対に動いた人たちのなかにはウクライナ国民が殺されようがどうなろうが関係ないと思っていた人もいたはずで、みずからに影響が及ぶとなるとそうもゆかなくなったのだろう。また一部の連中はウクライナ国民がどれほど悲惨な体験をしようと自身に影響が及ばないあいだはプーチンを英雄視していただろう。

そこであらためて思う、他人の痛みにはいくらでも耐えられる。いくらきれいごとを並べ、ヒューマニズムを訴えてもたかが知れている。わたしも、ことにあたる国連の職員だって。

岸田首相が熱心に国連改革を訴えている。いまロシアにペナルティを課せられない国際組織なんて存在意義を疑うのは当然で、改革はまっとうな議論だ。そういえばわが国には国際連盟を脱退した輝かしい歴史がある。この際、ショック療法で国連脱退というのはどうだろう。国連はもっともっと批判を受けなければならない。批判のないところに改革はない。プーチンがそうであるように。

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朝はNHKBS1の世界のトップニュースを見て世界情勢を知るようにしていたが、ロシアの侵略がはじまって以来ウクライナの人々が気の毒で見ていられなくなり、ラジオをもっぱらとした。戦局が少し好転したので久しぶりにテレビに戻ると「映画で見る世界のいま」のコーナーで藤原帰一先生が「デリシュ!」を紹介していて、さっそく日比谷のTOHOシネマズシャンテで鑑賞。よい作品を教えていただきました。