ブランデンブルグ門

一七三四年プロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム一世はベルリンの街の要塞廃止を命じ、代わって市街地全体を取り囲むように十四か所の関税門を設けた。ベルリンのシンボル的存在であるブランデンブルグ門もそのひとつだった。
門の上には四頭の馬が戦闘馬車(チャリオット)を牽く銅像が置かれている。これをナポレオンはベルリンを制圧したとき戦利品として持ち去ったが、後年ナポレオン戦争プロイセン軍がパリを占領したとき持ち帰り元の位置におさまった。

門は東ベルリンに位置していてベルリンの壁がつくられるまえは活発な往来がみられたが壁が築かれてからは門前を壁が通っていたために通行できなくなった。
一九八七年六月十二日ベルリン七百五十周年記念式典が催され、レーガン大統領は演説で「この壁を壊しなさい」と当時グラスノスチペレストロイカを推進していたゴルバチョフ書記長に呼びかけた。大統領の前には東ベルリンの狙撃者を警戒して二枚の防弾ガラスが設置されていた。そのときの写真が門の広場に掲示されていた。

ベルリンの壁が崩壊したのはこのスピーチが行われた二年後一九八九年の十一月九日だった。マスメディアは二十九か月前のレーガン大統領の演説をさほど大きくは取り上げなかったが、壁の崩壊により一気に広く知れ渡り、レーガン大統領のもっとも有名な演説となった。振り返って新たな意味や意義が浮かび上がるところに歴史の面白さがある。