「クーリエ:最高機密の運び屋」

モスクワの高官でMI6に内通協力するオレグ・ペンコフスキー(メラーブ・ニニッゼ)がもたらす最高機密をロンドンへ持ち帰らなければならない。担当するのは諜報活動の経験のない、グレヴィル・ウィン(ベネディクト・カンバーバッチ)というフツーの市民、セールスマンです。

 MI6は商用でしばしば東欧を訪れている彼なら怪しまれることはないと判断し、依頼したのです。このとき一九六0年、それから二年間ウィンはペンコフスキーのよこす情報を運搬し続けます。ちなみに米国がU2の偵察飛行により、ソ連キューバにミサイルと原子兵器を配備していると認めたのは一九六二年十月十六日で、この映画は核戦争が回避された裏事情を事実に基づいて描いた作品です。

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ウィンが任務を引き受けるやたちまちモスクワでの彼とペンコフスキーの動きがKGBに察知されることはないか、機密情報がロンドンへ無事に持ち帰られるのか、ハラハラドキドキのしっぱなし、そして事態が明るみになりはじめると、運び屋は帰国できるのか、協力者の高官と家族は亡命できるのかをひたすら心配することになります。

スリルとサスペンスという尺度でいえば一分の緩みもない出色の出来映えで、仮に星五つ満点でちょっと気取って四個半なんてすると恥ずかしくなりますよ。もちろんわたしはドドーンと五個ですね。

ただし現代史の秘話ですからそれでは済みません。一気に高まった核戦争の危機を回避できたのには流された汗と血があり、エンタメ礼讃に終始することはできないのです。

その点を踏まえたうえでの話になりますが、この秘話は冷戦期、情報技術のあゆみでいえばアナログ時代のスパイストーリー、エスピオナージュの大花火だと思います。デジタルの現在とは異なり、対面による情報の授受の比重が途方もなく高かったころ、秘密の出会いはきわめて危険ではありましたが、そこには血の通う人間関係が生まれる素地がありました。ウィンとペンコフスキーのように。

ややグレーがかったモスクワの風景とノスタルジックな音楽が六十年代はじめの共産圏のたたずまいをよく表しています。

(九月二十八日 TOHOシネマズ日比谷)