「オズの魔法使い」(一九三九年)やミッキー・ルーニーとのコンビでミュージカル映画に出演していたころの回想とともに描かれたジュディ・ガーランドの晩年、ロンドンでの日々。
彼女が四十七歳で歿したのは一九六九年六月二十二日、当時大学一年だったわたしは「オズの魔法使い」のドロシーと知るだけだったが、ほどなくしてジャズにめざめ、アメリカのスタンダードナンバーをずらりと並べた彼女のカーネギーホールにおけるコンサートのライブ録音盤がこれに加わった。
やがてビデオ機器の普及とリバイバル上映のブームとで彼女の出演する映画に接する機会は増え、「ザッツ・エンターテインメント」で案内役の一人ミッキー・ルーニーがそれらの映画のアンソロジーを披露したときは、ジュディがいっしょに案内役を担当してくれていたらどれほどか素晴らしかっただろうと思うようになっていた。
なおこの映画にはレニー・ゼルウィガー演ずるジュディが、ミッキー・ルーニーっていまはボーリングの球のように太っているけど、いっしょに映画に出ていたころは好きだったと告白するシーンがある。
わたし自身の思い出とともにみたこの作品に批評めいた言葉を添えたり、採点したりする気持はない。ハリウッドの生んだ偉大な女優、エンターテイナーであり、また当時の過酷な食事制限や薬の服用の強要をふくむスタジオシステムの犠牲者だった彼女を讃え、悼むばかりだ。ただしウエルメイドな作品だからこそこのような気持になったことはいっておかなければならない。
劇中歌ではフレッド・アステアが「バンドワゴン」で歌った「バイ・マイ・セルフ」を「イースターパレード」で共演したジュディが歌っていたのはうれしい選曲だった。おなじくロンドンでステージをしくじったあとスイッチが入った彼女が歌う「降っても晴れても」、そしてラストの「虹の彼方に」。
以下、先日読んだドナルド・L・マギン『スタン・ゲッツ』 (村上春樹訳)にあったエピソードです。
一九六九年の春ジュディ・ガーランドはロンドンのナイトクラブでひどい失敗をやらかした。映画にもあったように酒とドラッグで頭はぼんやりして歌詞が思い出せず客席からスティック・パンや吸殻を投げつけられた。
それから少しして彼女はスタン・ゲッツが出演するロンドンのクラブを訪れ、スタンは彼女を敬意を込めて紹介し、ステージに上げた。
スタンに紹介されたジュディはストゥールに腰掛けて二曲を歌った。スタンに静かなオブリガードをつけてもらったジュディの歌はとても素敵だった。
そのあとジュディの一行とスタンのミュージシャンたちはクラブの経営者ロニー・スコットの招きで中華料理店へ行った。そのときジュディはジンとライムを一リットル飲んだ。
ロンドンの自室で死んでいる彼女が発見されたのはその二か月後だった。
(三月六日TOHOシネマズ上野)