「夢の通ひ路」

三月二日。東京マラソンのエントリーに東京ビックサイトに行ったところ外国人がずいぶんいてコロナ明けを実感した。昨年秋の東京レガシーハーフはそれなりの成績でフィニッシュできたから、その余勢で今回も!とはいえ、加齢とともに弱気に陥りやすくなるのは避けられない。

衰えを自覚するのが嫌ならレースは止せ、タイムを気にするなら出場するなと家族からは説教されている。おっしゃる通りで、しかしレースがなければ気力は湧かない。何だかんだいっても、明日か明後日には、どうなとなれの開き直りにたどり着くはずで、明日は日比谷の映画館で「逆転のトライアングル」を楽しもう。多少は気も紛れるだろう。

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三月五日。東京マラソン2023の一日。今回はスマホの携行が義務付けられ、よい機会だから太鼓や東京音頭のパフォーマンスの写真を撮ろうと思っていたが、わたしの運動能力ではそこまでの余裕はなく(ウェアーだけは一丁前ですが、笑)わずかに都庁前でスタート時の写真を撮った。そして「事件」は起こった。

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まずまず快調と判断していたところ、ハーフを過ぎたあたりから太ももの筋肉が痛みだし、足が上がらなくなり、30km手前の関門が越えられずリタイアした。七十二歳にしてはじめての経験で、バスに乗りゴールの近くで降りると、メダルを掛けた完走者たちの喜ぶ姿があり、これまで想像すらできなかった気持になった。畏れ多いことながらこの遙かな延長線上には、新しいタイトル保持者の誕生を祝う光景を見ている失冠した棋士の気持があると思った。

帰宅時はひと駅乗り越して千駄木の銭湯へ、そして自宅で一週間断っていたビールと焼酎に再会し、身体と心を癒してもらった。ともに涙が出るほどの有り難さであった。

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三月六日。足を上げると太腿の筋肉が痛く、三度目にしてようやくズボンに足を通すことができた。

いまふだんのトレーニング(6km~10km)では1kmを5分台後半か6分台のはじめで走っていて、つるべ落としとまではいわないけれどこの十年で1km平均1分余遅くなった。

一九九七年四月、四十六歳のとき書いた長距離走についての一文が残っていて、大略以下のことが書いてあった。

《先月はあるマラソン大会に出場、順位は総合で2696名中474位、三十歳から四十九歳の中年男性1049名中284位だった。距離は13.6キロメートル、タイムは1時間54分40秒だから1キロ平均は4分49秒。自分でいうのは気が引けるけれど、タイムはまだまだ伸びる余地ありと思っている。》

ああ、なんと夢と希望に満ちていたことだろう。

リタイアした瞬間は、自転車のタイヤがパンクしたような気持だった。しばらくすると、長いあいだマラソンという夢のなかにいて、関門を越えられなかったのを機に夢から醒め、もう夢のなかに戻れないかもしれないという嘆きと不安の状態に陥った。

「住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ 藤原敏行朝臣

(住之江の岸に寄せる波の「寄る」という言葉ではないけれど、夜でさえ、夢の中で私のもとへ通う道でさえ、どうしてあなたはこんなに人目を避けて出てきてくれないのでしょうか。)

ラソンという夢に戻る路、「夢の通ひ路」がどこにあるのかわからない。 

留意していたつもりだったけれど、足を上げる大きな筋肉である大腿四頭筋の力がこんなことになるとは思いもよらなかった。これからどうすればよいのかわからない。とりあえずいまはこの年齢までレースに出られた自分を慰めるほかない。

西洋の先哲キケロは「こうして人生は知らぬ間に少しずつ老いていく。突如壊れるのではなく、長い時間をかけて消え去っていくのである」と教えてくれている。むやみに嘆かず、見つめ、味わえということか。

フルマラソンは難しくてもハーフマラソンなど他の長距離走には挑戦できるけれど、そうするかどうかは筋力の具合や気力を見ながら判断することになるだろう。いずれにせよ痛みが取れてからの話になる。退職して十二年、ライフスタイルを見直すのによい時期かもしれない。

午後は日比谷の映画館で「ワース 命の値段」を観た。9.11同時多発テロ発生から間もなく政府が設立した補償基金の責任者を依頼された弁護士(マイケル・キートン)がおよそ七千人にのぼる犠牲者遺族たちの話を聞き、難題の解決に奔走する、実話に基づく佳作だ。 

ズボンは穿きづらくても映画へは出かけられるからよしとしておこう。

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風と共に去りぬ』を読み終え、映画に進んだ。三度目の鑑賞で、この前はいつだったか記憶にないほどのむかしだ。222分の作品をテレビで観るのはどうかなあと心配したがいささかのダレもなく、原作を読んだことで、タラの自宅、大農園の佇まいやスカーレットの妊娠の回数など双方の相違がよくわかった。

マーガレット・ミッチェルは映画の出来具合にひどく落胆していて、 ハリウッド版の古めかしい南部像に嫌気がさしていた。戦前の「本当の南部」は原作や他の作家の作品を読んで窺うほかない。 

原作と映画とでいちばん異なるのはメラニーの人物像にある。オリヴィア・デ・ハヴィランド演じるメラニーは優しく品格のある聖女タイプで、繊細、脆弱、社会的活動とは無縁だが、原作のメラニーは身体は弱いもののアトランタの女性サークルや慈善団体のリーダーとしてときにタフなところを見せる。

スカーレットとアシュリーのキスシーンが発覚してスキャンダルとなったとき、彼女は「わたしの夫(アシュリー)と義姉(スカーレット)のことで(不倫の)デマを広められると思わないでほしいわね。アトランタではまともに顔をあげて歩けないようにきちっとけじめをつけてやりましょう。それに、彼女たちの言うことを信じたり、家にあげたりした人は、だれであれわたしの敵よ」(鴻巣友季子訳)と言ったのだった。

南部の白人富裕層のロマンスという観点からすると奔放なスカーレットに比べ、旧来の淑女で高潔ながらか弱く、新しい事態に適応できないのが映画のメラニーである。しかし小説では肉体は弱くても精神は強靭、そうしてスカーレットには欠ける慎重な判断力を備えている。

訳者の鴻巣友季子さんはメラニーを評して「本当のメラニーは強いだけではない。『悪』がわからないどころか、人々の罪深さを人一倍鋭く見抜いているのである。場合によっては声高にそれを暴きすらするのだ」と述べている。

ついでながらスカーレットとアシュリーのスキャンダルの渦中でレット・バトラーはスカーレットに「わたしに同衾の歓びを潔癖に拒否するが、かく言うきみ自身は心でアシュリ・ウィルクスに欲情している。〝心で欲情する〟のは姦淫とおなじだ」(マタイ福音書五:二十八より)と語った。心で思うだけでいけないのだから、アシュリーとスカーレットのキスはもってのほかで、実事じゃないからなどという言い訳は通用しない。みだらな思いで女性を見るなら、それだけでもう心の中では姦淫したことになるのだから二人のキスはたいへんな街の噂となる。

むかしロバート・マリガン監督の名作「思い出の夏」を妻にお勧めしたところ、不評で、こういう映画を激賞するのは、男の助平心の表れだとされた。少年の美しい人妻への憧れと、ひと夜の思い出、こういうことを思うだけで、みだらな心が示されているというわけだ。

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Essays in Idleness。無為退屈のなかに人生の味はあることが伝わってくるドナルド・キーン訳『 徒然草』の英訳名である。 

愛聴するアルバム「上海バンスキング」に収める「レージー・ボーンズ」で吉田日出子は歌う。朝は遅くまでゆっくり寝て、齷齪とは無縁、毎度月給の稼ぎはないくせに泰然自若、と。いまのわたしはこの歌そのもの。年金生活の不安は否定しないが、退職とはまことにありがたいものである。無理して難解な本を読んだり、映画を観たりするのは止して、そんな暇があるなら心はおいしいご馳走、旨い酒に向かう。そう、泰然自若なのだ。

「どんなことでも事務的にやれば楽めないもので、食べるものでも、食べなければならないから食べたり、目の前に食べるものがあるから食べたりするのでは、充分にいい気持になるのは難しいのである」「無意味に生きてゐること以外に生きてゐることに意味はない」吉田健一。つれづれや無意味を楽しもう。

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ことしになって読書が快調だ。『風と共に去りぬ』のあと、いまはアレクサンドル・デュマモンテ・クリスト伯』を読み進めている。電車に乗っているときとか予定しているテレビ番組を待っているときとかの隙間時間にせっせとスマホを開いて少しでも読むようにしていて、別の機器と同期できるのでまことに便利だ。

多くの方は『風と共に去りぬ』『モンテ・クリスト伯』ともに中学生か高校生のとき『世界文学全集』で読んでいらっしゃるだろう。残念ながら超晩稲のわたしは古稀を過ぎての読書で忸怩たるものがあるが、自分にはいまが読みごろなのだろう。ただ『風と共に去りぬ』についていえば、トランプ前大統領のときにあらわになった米国の分断とこの本がリンクしたことで頁を繰る力はずいぶんと強くなった。

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三月十一日。ご近所散歩をしていたところ、根津神社の裏門坂に沿って植えられている辛夷(コブシ)の木に花が咲きはじめていた。

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桜の開花にわずかに先行して咲く、芳香のある白い六弁花、その多数あるところでは「青空に喝采のごと辛夷咲く 白濱一羊 」といった光景が見られる。

そして辛夷の花に藤澤清造根津権現裏』を思う。この作者と作品を知ったのは、多くの方とおなじく清造の「没後弟子」を自称した西村賢太を通じてだった。二0一一年『苦役列車』で芥川賞を受賞した西村賢太は昨年二月五日心疾患で急逝した。享年五十四。

一九二二年四月、藤澤清造(1889~1932)は友人で『雪之丞変化』の作者として知られる三上於菟吉の世話で長編小説『根津権現裏』を日本図書出版株式会社から刊行し、これが代表作となった。このころ権現裏に辛夷は咲いていたのだろうか。

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風と共に去りぬ』に続いて『モンテクリスト伯』( 新庄嘉章訳、講談社文庫 )を読み終えた。なにしろ長いので、無事着地できるか心配したが全然無用で、遅読のわたしがこの長編小説を三週間足らずで読んだほどに面白かった。ご承知のように明治の昔の黒岩涙香による翻案『岩窟王』をはじめとしてわが国でも翻案、翻訳は多くを数えていて、よく納得できました。

「しかし、わたしは決して同胞のことなど気にかけたことはないのです。また、わたしを保護してくれないような、さらに申せば、一般に、わたしに害を加えようとする時しかわたしのことなどかまってくれないような社会を保護しようとは決していたしません」

これは「巌窟王」として痛めつけられたモンテ・クリスト伯の、個人が社会とどのように距離を取るかについての考えで、おそらく作者自身の見識だっただろう。永井荷風個人主義と通じているような気がする。荷風のフランス留学体験と併せてフランスの個人主義を思った。

モンテクリスト伯』のあとは懸案だった『アンナ・カレーニナ』に進もうと考えたがサマセット・モームが『読書案内』で『戦争と平和』のほうが優れていると述べていて、同書から取り掛かることとした。

ナポレオン戦争を時代背景とする『戦争と平和』でふと、ナポレオンはロシアに侵攻し、懐へ懐へと入り込まされ、冬の到来とともに潰された。ヒトラーがやられたのもおなじパターンだった。つまり敵が入って来てからの盛り返す力は強い。他方、自分から出かけて行く戦争は小国相手に手こずったり、火事場泥棒さながらの「満洲」侵攻だったりで、こちらはそれほどでないかもしれない。

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三月二十日。上野公園の桜はまもなく満開となるこの時季、午前九時くらいになるとはやけっこうな人出である。ここはわたしのジョギングまた散歩コースで、きょうは人出が多くなるまえにスマホを提げてトレーニングとお花見をした。

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下の写真はわたしのお気に入りの、また隠れた人気スポット。建物は東京藝大の校舎です。

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OXFORD BOOKWORMS最終レベル6でサッカレー『虚栄の市』を読み、残るはウィルキー・コリンズ『白衣の女』(びゃくえのおんな、The Woman in White) のみとなった。これでいわゆるリーダーの教科書は終了する。ただし『虚栄の市』は次に控えているコリンズの名作に早く行き着きたくて、止むに止まれず、ずいぶん粗い読みとなってしまったた。

『白衣の女』は発表と同時に大ブームを巻き起こし、書店に行列ができ、ときの大蔵大臣(のち首相)グラッドストーンは友人と約束していたオペラ鑑賞をすっぽかして読みふけったという。またT・S・エリオットは「最高の人間描写」を含んでいると激賞した。

訳書ははじめ国書刊行会から、のちに別の訳者で岩波文庫で刊行された。どちらもいま絶版また手許になくて、さっそく古書店に註文し、同時におなじ著者の『月長石』も購入、こちらは創元推理文庫で健在だ。ほかに未読の短篇集が岩波文庫から出ていて、この機会に読まなくては、いやーコリンズ・マイ・ブームである。

モンテーニュは『エセー』に「書物はおもしろいものである。しかしこれにふけることからわれわれの至上の宝ともいうべき陽気さと健康とを失うくらいなら、むしろはじめからこれを捨てようじゃないか。わたしは、その効果はとうていその損失を償うにたらないと考える者の一人である」と書いている。 けれど ウィルキー・コリンズを読んで 陽気さと健康とを失うなんて絶対ありえない。