『風と共に去りぬ』にのめり込んで

二月一日、横浜市保土ヶ谷区において歩行者の男性が切りつけられた事件で、六十二歳の男が逮捕された。容疑が事実とすれば、なかなか悪のエネルギーをもつ六十二歳だが、平成令和の六十代のイメージだと特段の驚きはない。

松本清張『黒い画集』(新潮文庫)所収「凶器」に「六右衛門は六十一歳の老人であった」「猪野六右衛門は六十一歳だが、若い時は町の祭礼の相撲では大関格を張っていただけに、いまだに、頑丈な身体をもっていて、年齢に似合わず元気である」との記述がある。初出は「週刊朝日」昭和三十四年十二月六日号 ~同月二十七日号で「六右衛門は六十一歳の老人であった」はいかにも昭和である。

おなじ『黒い画集』の「紐」でのやりとり。

「もう、鉄道は、お長いのですか?」

「三十年になります。来年が、停年ですよ」

「五十五歳で停年というのは、間違いですね。近ごろの働きざかりはこれからですよ」

この「紐」も「凶器」とおなじ昭和三十四年の「週刊朝日」に連載されていて、五十五歳定年を見直そうという気運がうかがわれる。

つい先日、元の上司の訃報に接した。享年八十一はまだ早い感は否めない。

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古典落語に「禁酒番屋」という噺がある。家中の侍が酒に酔って決闘し、亡くなったのを機に殿様がすべての藩士に禁酒を命じた。なかで密かに飲み屋で一杯きこしめた侍が、店の亭主に自宅へ一升届けてくれるよう頼み込む。しかし侍屋敷の入口には番屋があり酒の持ち込みはチェックされる。亭主が頭を抱えていると小僧のひとりが一計を案じた。

番屋の侍には、菓子屋が南蛮菓子のカステラを届けに来たと見せかけ、そのじつ、カステラの菓子折りに酒徳利を詰めておくようにしましょう、と。しかし番屋詰の侍たちは菓子折りを開け、徳利の中身を改め、すべて飲んでしまう。作戦を企てた小僧は「水カステラです」と言い訳したがあとの祭りで追い返されてしまう。

カステラが話題になる古典落語はこの噺しか知らない。宣教師が持ち込んだ南蛮菓子のひとつにカステラがあり、江戸時代中期には現在の長崎カステラの原型に近いものが作られていたそうで、長崎では日本人が珈琲にカステラを添えて味わっていた光景が見られたかもしれない。

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「ある人間が根っからの酒飲みだという紛れもないしるしのひとつは、目に触れた酒に関する文章は何でもかでも読んでみることだ。部厚い単行本から、メーカーが瓶の頸に結びつけておく飲み方を説明した小さな紙きれに至るまで。こういう紙きれを、宣伝用のものに過ぎないと軽蔑してはいけない」キングズリー・エイミス『酒について』(吉行淳之介、林節雄訳)

わたしは二日酔いは嫌だから酒量が一定を超えるのはめったにない、盃のやり取りはしたくない、ゆえにエイミスのいう「根っからの酒飲み」ではない。しかし心身のうち、心の方面ではアルコール依存症の傾向にあるのは自認している。

せっかくだからお酒を楽しむための参考に吉行淳之介編『酔っぱらい読本』に収められている酒にまつわる古典落語の速記をしるしておこう。選者は結城昌治。「替り目 古今亭志ん生」「つるつる 桂文楽」「花見酒 林家正蔵」「親子酒 柳家小さん」「一人酒盛 三遊亭圓生」、そして上の「禁酒番屋 桂文治」。

噺家を代えての鑑賞も楽しい。

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いつの頃からか、これといった理由はなく マーガレット・ミッチェル風と共に去りぬ』とトルストイアンナ・カレーニナ』は読みたいと思っていたが長いので踏ん切りがつかなかったところ、ようやくその気になって新潮文庫WEB版『風と共に去りぬ』(鴻巣友季子訳)に取りかかった。

スマートフォンにダウンロードして電車のなかや映画の待ち時間など隙間時間に読んでいる。いまのところストーリーが単純なので、このスタイルで大丈夫だ。晩酌は原則七時はじまりなので、それまでにも隙間はある。

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マーガレット・ミッチェルは映画「風と共に去りぬ」の出来具合にひどく落胆して、ある手紙に「今のわたしたち南部作家なら、あの戦争前の南部を描けると信じていました。奴隷を抱える農園主もいれば、自作農もいて、素朴な丸太小屋から五十年しか経っていないおんぼろながら住み心地の良い家々が建ち並ぶ、本当の南部を。ところが、ファンファーレと共に映画が幕開けすると、観客たちはだれもかれも、ハリウッド版の古めかしい南部像を信じつづけてしまう」と書いている。南北戦争前の「本当の南部」は原作や他の作家の作品を読み、窺い知るほかない。

映画のラストでスカーレットは故郷タラへ帰ると決意した。原作でタラは、色づく秋の木の葉、まばゆい白亜の屋敷、黄昏に染まる郷の静寂が祝福の祈りのようにつつみこんでくる佇まい、ふわふわした綿の白をちりばめた広大な緑の畑、なまなましい赭土の色、なだらかな丘陵に湛えた寂寥の美、と記述されている。

ここでわたしはStardustとならぶホーギー・カーマイケルの名曲、ジョージア州への思いにあふれたGeorgia on My Mind(我が心のジョージア)」を思う。ビリー・ホリデーやレイ・チャールズのボーカルでご存知の方も多くいらっしゃるだろう。タラもアトランタジョージア州。カーマイケルの妹の名前がジョージアで、彼女に捧げた曲との説もあるが、ここは素直に州名としておくとして作曲家の脳裡にあったジョージアはどのような姿だっただろう。

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二月十四日。トルコ南部のシリア国境近くで大地震が発生してから一週間が経過した。これまでに両国では合わせて3万5000人以上が死亡している。内訳はトルコ国内で3万1643人、シリア側では少なくとも3581人。

国際的な支援が必要なのはもちろんだが、いっぽうで長年にわたり内戦にうつつを抜かしてきたシリアに支援物資を送っても内戦激化を助長するために用いられるのではないかとの疑問は拭えない。アサド大統領は、まだまだ支援が少ないなどとほざいていたが、この人が多大の支援を要する難民をどれだけ生んできたか、恥知らずというほかない。人道にもとづく支援であっても、シリア政権の罪悪を忘れてはならない。

さいわいシリア政府は十日、トルコ大地震で甚大な被害が出たシリア国内での支援について、政府支配地域外を含む被災地に物資を提供することを認めたと国営通信が伝えた。ほんとうに政権と反政府派、双方の支配地域に支援物資は届けられ、有効活用されるのか、いずれ検証されなければならない。

わたしの故郷の土佐弁に「へごい」という言葉がある。「こじゃんとへごい奴」といえば、憎しみを掻き立てるほど酷いワル、国際政治においてその代表格であるロシアとシリアの首脳は地震の支援についてどのような方針のもと物資を融通しているのだろう。支援の大義は認識しているが、「へごい」手合には要注意である。

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目に触れた酒に関する文章は何でもかでも読んでいようなんて思っているうちに山口瞳『酒呑みの自己弁護』を何十年ぶりかで再読した。なかの「作法というものは失敗を未然に防ぐためにあるものと考えている」という章で作者は「鍋奉行という言葉がある。この言葉がどこから出てきたのか、誰が言いだしたのかまるでわからないけれど、まさに言い得て妙というところがある」と書いている。

本書はわたしが大学を卒業して社会人となった一九七三年(昭和四十八年)に刊行されているが、当時わたしは鍋奉行という言葉を知らなかった。いつ知ったのか定かではないけれど、ずっとあと、ひょっとすると平成になってからだったかもしれず、だから新しい流行語と思っていたのだが、ずいぶん昔から使われていたんだ。

ついでながら同書に、開高健に教えてもらった知識として、ウイスキーを瓶ごと冷やして飲むのは、とてもうまいと披露されていた。さっそく、サントリーの角瓶で実証実験をしてみよう。

そのサントリー角瓶について。太平洋戦争中、同社(そのころは寿屋かな)は軍の庇護を受け、ウイスキーが軍隊に配給されるようになった。アルコール度数が強いから日本酒よりも兵隊を手っ取り早く酔わせられる点で便利だった。こうしてウイスキーは戦争によりずいぶん普及し、戦地でサントリー角瓶を見ると兵隊は狂喜し奪い合いになったという。

わが家に常時並ぶウイスキーシングルモルト、スコッチ、バーボン、国産で、シングルモルトはアードウィッグ、国産は角瓶を愛飲している。

わたしは、酒は人間関係の潤滑油という考えには反対で、酒を媒介としなければならないようなネットワークに入るのはお断り、酒などなくてもまっとうな関係になれてこそいっしょに飲むに足る。酒の上での失敗はあったが、仕事と酒を絡めたり、羽目を外すために飲むことには注意した。

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「誰でもが飲めるから酒なので、金持は別だというのならば、金持は人間ではない」。

 吉田健一『酒談義』(中公文庫)は 酒をテーマにした文庫オリジナルで、編集の旨味も味わえる。

「酒と肴という種類のことを考える気になるのは暇な時である。当り前な話かも知れないが、これは頭も本当に暇になっていなければ取り合わせなどということを幾ら工夫しても、或は通人の話に忠実に従っても、大した効果はない」。

わたしが退職してからお酒への愛が深まったのにもこうした事情がある。

そして「どんな酒でも、それが出来た場所で飲むのが一番いい味がする」「スコットランドで飲むウイスキーは、我々が日本で高い金を払ってウイスキーだと思っているものと、灘で飲む生一本が北海道まで持って行ったのと同じではない位、違っている」

こうして旅とお酒とはしあわせにリンクする。

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風と共に去りぬ』を隙間時間にスマホで読んでいたが、読み進むうちに隙間時間では済まなくなり、のめり込んでしまった。それだけ作者のストーリーテリングは力強く、ドライブ感がある。スカーレットについてははじめ、男を籠絡することばかり考えている嫌味な女だなと思っていたが、物語の進展とともに自己独立の精神を養い、経済的自立を図る魅力的な女性に変貌してゆき、頁を繰るのは上り調子の一気通貫となった。

米国ではアンドルー・ジャクソンリンカーンといった家柄もよくなく、経済的基盤もない普通の男(コモン・マン)が大統領職についた時代を「 コモン・マンの時代」と呼んでいる。「アメリカの夢」はコモン・マンがヒーローとなりうる現実的な夢だった。もちろん女性とは無縁の時代だったがスカーレットの生き方はコモン・マンに通じていた。

風と共に去りぬ岩波文庫版の訳者、荒このみ氏が著書『風と共に去りぬ アメリカン・サーガの光と影』で論じたように「スカーレットはレディの仮面をかぶったコモン・マンだった。その体の中には父親ジェラルドのアイルランド人の濃い血が粉うかたなく入って」いたのである。

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英語学習テキストOXFORD BOOKWORMSの最終ステージ、レベル6で、トーマス・ハーディTess of the d’Urbervillesを読み、ロマン・ポランスキーナスターシャ・キンスキーの映画「テス」を再見して修了、残るは『虚栄の市』と『白衣の女』となった。特にこれまで二度読んだ後者は楽しみだ。

『白衣の女』の著書ウィルキー・コリンズ福永武彦中村真一郎丸谷才一『深夜の散歩』で知った。なかで丸谷才一はもう一つの代表作『月長石』について「これは絶対読む必要があるだろう」「コリンズの力倆はまったく恐ろしいくらいであって、これならあのディケンズが彼から影響を受けたのも無理はないと、誰でも感心するだろうと思う」と評していて、事実その通りだった。

「こくのある、たっぷりした、探偵小説を読みたい人に、ぼくは中村能三訳の『月長石』を心からおすすめする。願わくば、一日も早く、同じ訳者によって『白い服の女』が翻訳されんことを」と丸谷才一が書いたのが一九六二年、その後、国書刊行会岩波文庫から二つの訳書が出たのはご同慶の至りだった。

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二月二十四日。ロシアによるウクライナ侵略から一年が経った。昨年はなかったプーチンの年次教書演説が行われことと併せてテレビのニュースではむやみにプーチンが映っていて、現代のヒトラーを見るのは不愉快極まりなくてテレビのスイッチを切った。

必要以上のニュースや余計な情報に触れることで、気分が害されたり、感情が揺さぶられたりするのは嫌だし、老爺には毒である。ウクライナ報道は余計な情報ではないがラジオとネットニュースのほうがプーチンを見なくてすむだけ不愉快の度合は低い。

それはともかくウクライナには武器を供与するからロシアに対してしっかり戦え、といった姿勢であの国を敗北に追い込めるものだろうか。さりながら価値観は共有するが他国のことには関係しないとなるともっと酷くなるから米国、EUに期待するほかない。誤った判断だと願うが、わたしはロシアの敗北を確信できない。

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三月五日の東京マラソンに向けて一週間の断酒に入っている。淋しい、でも腹具合の変調の可能性をできる限り少なくしておくに越したことはない。

レースに向けて距離を伸ばすときのほかは、朝食まえに6〜10kmを走る。しかしレースの時間帯では食事をしておかなければならず、酒断ちにくわえこの一週間は食後そして午前九時スタートに身体を慣らしておかなければならない。

パソコンに残してある記録を見たところ、六十で退職した直後に出場した駅伝で5キロを1キロ平均4分台半ばで走っていて、七十二のいまは6分前後、それだけ衰えた。

キケロいわく。「こうして人生は知らぬ間に少しずつ老いていく。突如壊れるのではなく、長い時間をかけて消え去っていくのである」。