「メグレと若い女の死」~メグレ警視とあの頃のパリ

興味深い謎とその論理的解決、探偵・犯人のキャラクター、犯罪の背後にある時代の雰囲気・世相風俗、いずれもわたしを含め多くのミステリーファンが期待することがらで、映画ではこれに、語り口にふさわしい映像と音楽を加えなければなりません。

ここまでを前提にパトリス・ルコント監督の新作「メグレと若い女の死」について雑感を述べてみます。

一九五0年代はじめのパリ。モンマルトルのバンティミーユ広場で、シルクのイブニングドレスを着た若い女性の遺体が発見され、五カ所の刺し傷からはおびただしい量の真っ赤な血が流れていました。被害者は不明です。唯一のとっかかりはドレスで、身につけているもののなかで不釣り合いに高級なものでした。地味な謎にふさわしい渋い解決となるのか、それともどんでん返しとか、あっと驚く事態となるのかはマナーとして伏せておきます。

事件を担当するのはジェラール・ドパルデュー演じるパリ警視庁のメグレ警視ジャン・ギャバンの翳を意識した役作りが似合っています。情報機器に依存する現代では、ときに「捜査」よりも機器の「操作」が重要なんじゃないかと言いたい場面があったりしますが、たとえ時代をいまに移してもベネディクト・カンバーバッチのホームズとは違って、メグレ警視に「操作」は似合いません。

ジョン・ダニング『幻の特装本』では元刑事が「近ごろでは電話をかけると機械が出る。もう人間と話をすることはできないのだろうか」と留守番電話を嘆いていました。R・D・ウィングフィールドのジャック・フロスト警部は、強姦事件でいくら手掛かりを見つけて科学捜査部門に送ってもダメ、「ちんぽこ振り立てて事に及んでる現場を押さえて、ふん捕まえるしか手はない」と怒っていました。

こうした嘆きや怒りとは無縁のメグレとあの頃のパリ。

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警視の手法は徹底的な聞込み。わが国の社会派推理ドラマの名作に松本清張原作、野村芳太郎監督「張込み」がありますが、こちらは聞込みで、ときに喘ぎあえぎ階段を上るメグレ氏ですからアクションは期待できませんけれど、聞込みを重ねて鍛えられた人間観察とパリの下層の人々にたいする人情、思いやりが大きな魅力となっていて、事件の渦中で知り合った若い女性との別れのシーンではグッとくるものがありました。

時代の雰囲気・世相風俗の描写もよく、映像と音楽がそこのところをよく捉えていました。とりわけ印象に残ったふたつのシーン。ひとつはなつかしいシャンソンが流れるダンスホールで、一瞬映った踊っている女性の脚、着けているストッキングはシームレスではなく線の入ったもので、時代を感じさせてくれました。そしてラストシーン。おそらくモンマルトルの丘のなにげに美しい、静かな一角を歩く、人生の哀歓を漂わせたメグレ警視の後ろ姿は近年観た映画のなかでもとりわけ秀逸なラストでした。

(三月二十一日 新宿武蔵野館、写真は同館内のデコレーション)