立秋の日に

東京では六月二十五日から九日連続で猛暑日となった。これまでいちばん長い猛暑日で 、長期予報によればことしの夏は長く、酷暑の日が多いそうだからまだまだ熱中症に警戒しなければならない。

そうしたなか暦のうえでは八月七日に立秋の日を迎えた。暦上の季節と実際の季節感が異なるのはよくある現象だが、それでも立秋を過ぎれば日を追うごとに微かな秋の匂いが漂ってくる、立秋は小さな秋を感じる目安となると歳時記は教えてくれている。

詩人でフランス文学者の堀口大學(1892-1981)の家では毎年立秋の日になると紅蜀葵(こうしょっき、もみじあおいの異名)の花が咲いていたのが、ある年、四、五日おくれて咲いた。そのわけについて詩人は随筆「おそ夏はや秋」に「雨の多かつた七月の冷気にさまたげられて、暦との約束を果し得なかつたものであらう」と述べていて「暦との約束」という表現に魅力と不安を覚えた。

「暦との約束」が違って堀口家の紅蜀葵がいつもより遅く咲いたのは雨の多い七月の冷気という自然現象であり、人間の事情ではない。

残念なことに世界では人間の事情にもとづく地球温暖化で「暦との約束」の果たされない現象が多発している。気温や海面の上昇は農作物への被害や渇水、洪水の増加をもたらす。海の水位が上がり陸が減ると、木や花、動物たちの住む場所を狭くするから人間も動植物も居場所の確保に苦しむようになる。ここまでくると「暦との約束」が果たされないというよりも暦というシステムの崩壊に近い。雲や風や草花に少しずつ秋を感じるいっぽうで地球環境の心配をしなければならないのが現代日本の難儀である。

そのいっぽうでわたしには長いあいだわだかまっている疑問がある。

ずいぶんまえからホッキョクグマについて地球温暖化により住む場所やエサが少なくなり、その数がずいぶん減ったと報じられていて、なかば定説化している。ところが昨年二0二一年に刊行された池田清彦『どうせ死ぬから言わせてもらおう』(角川新書)には「シロクマの頭数はここ10年くらいの間に30パーセントほど増加したし、夏に北極の氷が溶けてなくなる気配はない。マスコミは危機を煽る科学者の声だけを取り上げて、反対意見の科学者の声をほとんど全く無視している」とある。著者は自然科学、政治、社会問題いずれを問わずみずからの見解を積極的に発信する生物学者で、わたしが頼りにしてきた論者だからおろそかにはできない。地球温暖化は人間の過剰な活動が引き起こした現象、それともしっかり検証されていないあやふやな学説(人為的地球温暖化論)なのだろうか。