年賀状雑感

退職を機に特段の事情のある方は別にして、年始のご挨拶は葉書ではなくメールとした。簡単で合理的でまことによろしく、この雑文を書いたあとは来年のお年賀に取りかかる。そして新年ただちにメールを送るとともにこのブログにも載せることとしている。

年賀葉書のときは新年のごあいさつのあとに、長ったらしい文章を添えていて、友人に「ことしも字ばかりの年賀状を書きますか」と訊かれたことがあった。もちろんワープロなしにできるワザではなく、やがてワープロはパソコンに代わったが写真やイラストのない素っ気ない年賀状を続けた。

このかん頂戴した年賀状は、コンピュータで画像処理がされたカラフルなものがだんだんと増えていった。といっても当方は画像を載せるなんてむつかしそうで敬遠するほかなかった。たまたま先日部屋の整理をしていてかつての、字ばかりの年賀状をみつけたので示しておきます。

〈人生を碁の一局と見る境地にはまだ達せぬわたしですが、それでも定年まであと片手と少しとなれば職業生活はヨセの段階に入ったといってよいでしょう。

もとより序盤からキレもサエもなく、ポカや見落とし数知れずなのでここへ来て妙手など浮かぶはずもありませんけれど、せめて迷惑の度合いを最小限に、まちがっても酔いすぎて手もと足もと乱さぬようにと念じています。

とはいえそのいっぽうに、どうせならここで思い切って勝負手を、といった血気を押さえかねている困った、日本のわたしがいます。

以上、北村太郎の詩「舗道で」の一節、「ヨセの手順をまちがえて わたしの人生 よせばよいのにまぎれを求め ビルの窓々に うつる雲」を読んでのおもいであります。〉

六十歳の定年まであと片手と少しのころ、もともと隠居趣味のあったわたしはどうやらここらあたりで老いの自覚をおおっぴらにしるすようになったようだけれど、他方で血気にもふれていて、振り返って、当時はまだそんな気持もあったんだといささか感慨深かった。人並みに血気にはやり、向こうみずの行動を重ねたのはともかくとしても、この歳になってまだ反省していなかったとは、なんたることか。

プルーストが『失われた時を求めて』に「あるイメージの追憶とは、ある瞬間を惜しむ心にすぎない」と書いている。追憶し、惜しむのはよいが、年経ての悔いとなると苦く、やっかいである。