「黒い司法 0%からの奇跡」

ハーパー・リーの自伝的小説『アラバマ物語』は一九六0年に発表され、翌年ピューリツア賞を受賞、その翌年には映画化され、原作、映画ともに大きな話題を呼んだ。映画のほうもアカデミー賞主演男優賞グレゴリー・ペック)脚色賞、美術賞に輝いた。

厳しい人種差別が残る一九三0年代のアメリカ南部で、白人女性への性的暴行容疑で逮捕された黒人青年の事件を担当した弁護士アティカス・フィンチの活動が、その当時子供だった娘のスカウトが回想する形式で描かれている。

デスティン・ダニエル・クレットン監督「黒い司法 0%からの奇跡」は事件から半世紀経った一九八0年台後半、ハーパー・リーの出身地アラバマ州モンロビールに若手の黒人弁護士ブライアン(マイケル・B・ジョーダン)が死刑宣告を受けた黒人の被告人ウォルター(ジェイミー・フォックス)の再審請求に挑むためにやって来るところからはじまる。

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ブライアンは死刑裁判の見直しを図り、これまでの死刑囚の扱いに異議を唱えるハーバードを出たばかりの弁護士で、彼の目にウォルターが犯したとされる若い女性の惨殺事件は冤罪としかみえなかった。

しかし仕組まれた証言や白人で構成される陪審員、証人や弁護士にたいする恫喝などで再審請求は困難に直面する。黒人の弁護士が輩出する時代になっていても、黒人が犯したとされる事件は「アラバマ物語」の当時となんら変わっていない。モンロビールには黒人差別と冤罪を忘れないように「アラバマ物語」の記念館が建つが、一過性のメモリアルに止まっていて、歴史が教える教訓と戒めとはなっていない。警察、司法ともに白人には推定無罪だが、黒人ははなから推定有罪なのだ。

冤罪を雪ぐ物語は、警察、司法、刑務所の黒人にたいする扱い、電気椅子による死刑執行、司法取引といったリアルな描写と、ブライアンとかれを支える人びとによる社会的正義の追求がうまく噛み合って終始緊張感の持続する作品となっている。

字幕を通してだが心に残るセリフが散りばめられていた。

弁護士が検事にいう「あなたの仕事は検察の威信のために有罪を維持することではなく、誤った裁判とわかれば犠牲になった被告を救うことだ。このあいだにも真犯人は住民の安全を脅かしているかもしれない」。

「権力者が事実を覆い、資料を隠してもわたしは諦めない、希望をもって前進すれば必ず明るみにできる」……どこかの国の為政者に聞かしてあげたいな。

なお原作はブライアン・スティーブンソンが二0一四年に発表したノンフィクション『黒い司法 死刑大国アメリカの冤罪』で「アラバマ物語」とおなじ事実にもとづく作品だ。

日本にも米国にもいじめはある。違うのは、そういうことはやめろというリーダーがアメリカには多いという議論を聞いたことがある。ほんとだろうかと疑問に思いながら、この映画をみるとやっぱりそうかなという気になる。

(二月二十八日TOHOシネマズ日比谷)