「アキラとあきら」

映画を観て、翌日から三日かけてTVドラマ版をNetflixで視聴しました。

映画だけではよく理解できなかったから、というのではありません、念のため。こういうオモシロ作品のあとにTV版をパスするなんてわたしにはできません。

両者の異同は別にして、どちらも「空飛ぶタイヤ」や「七つの会議」などと同様、たのしく鑑賞しました。映画の竹内涼真横浜流星、TVの向井理斎藤工、それぞれの演技はもちろん、映画版vsTV版のタッグマッチとしても見がいのあるものでした。

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池井戸潤氏の小説はわずかしか読んでいませんが、映像作品は気がつく限り視聴していて、これまでのところハズレはありません。今回は勧善懲悪の風味は控えめに、 ふたりの友情の味付けを濃くしています。 分断の象徴のような真逆の家庭環境で育ったアキラとあきらが運命の糸に操られるようにして東大を卒業し、おなじ大手銀行に就職し、困難な問題に立ち向かってゆく、これをメインに家族関係、職業上の人間関係、TV版では恋愛模様が描かれます。もちろんエンディングは爽やか。

池井戸作品に接するたびに、善玉と悪玉(のちに善玉に協力したり、和解する人たちを含め)のビジネスや対人関係についての考え方と行動に違いがあり過ぎる、というか悪玉のレベルがとても低くて、これでは勝負にならない、もっと拮抗した状況を期待してしまいます。いっぽうで両者の違いを際立たせるのはそこにわかりやすさと現代の講談の魅力があるのはわかってはいるのですが……。

ネットでこの映画をビジネスファンタジードラマと評した方がいて、なるほどと納得すると同時に「銀行は会社に貸すのではなく、人に貸す」というこの作品の名言もファンタジー、それとも実務の鉄則なのだろうか、仕事のうえで、会社、銀行とはご縁のなかったわたしは迷ってしまいました。企業、銀行の方はどうお考えでしょうか。

(九月一日TOHOシネマズ上野)