『戦争と平和』を読む

南條竹則『酒と酒場の博物誌』(春陽堂書店)のなかに「『ラインガワ』の荒川さん」という一文がある。「ラインガワ」は著者が若い日、よく訪れた渋谷のワインバーで、四方田犬彦『先生と私』の由良君美もなじみの一人で、片手にパイプを持ちおいしそうにふかしていたと、氏の思い出話も語られている。

そこはアイスバイン(豚脛肉の塩漬け)やザワークラフト(発酵キャベツ)、各種のソーセージ、チーズーといった簡単なものをつまみに、ビールとワインが飲める小体なバーだった。酒好きとしては、こうした記述を読むと、シンプル・イズ・ビューティフルといった気分になる。

わたしはよくビアホールに行くのに、この本を読むまでアイスバインを知らなかった。ところがよくしたもので先日待ち合わせで神保町のランチョンへはいったところガラスケースにアイスバインの見本があり、さっそくオーダーするとザワークラフトも付いていた。もっともっとおつまみの世界を広げよう。

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東京マラソンでのリタイアからひと月。

 開高健のエッセイにE ・グレイ『フライ ・フィッシング 』という本が紹介されていた。 釣師として生涯を毛鈎によるマス釣りに費してきたイギリスの外交官の自伝で、なかに、ある年の夕方 、ふとふりこんだ毛鈎がどこへ落ちたか見えなくなる 、というくだりがあり、その一瞬にグレイ氏は、知らず知らずのうちに年をとって眼が見えなくなっていることを悟り 、その黄昏からあと 、二度と竿を持って川岸へでかけなかったという。

ここのところで痛切な思いがしたのはリタイアの余波にほかならない。

戦争と平和』には、ロシア戦役で敗北を自覚したナポレオンの気持をトルストイが「これまでの会戦においては彼は成功の偶然ばかりを思いめぐらしていたが、いまは無数の不幸な偶然が彼の頭に浮んできた、そしてそのすべての訪れを彼は覚悟していた」と書いていて、完走の偶然ばかり思いめぐらしていたわたしはなんだかナポレオンに同情したくなった。

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田中光顕といえば坂本龍馬中岡慎太郎らとともに薩長同盟の実現に尽力し、維新後は初代内閣書記官長、警視総監、宮内大臣などの要職を歴任したわがふるさと土佐の偉人である。

あるとき豊前の国、小倉藩最後の藩主小笠原忠忱(ただのぶ)の長男、小笠原長幹(ながよし)伯爵が静岡県岩淵の宝珠荘へおなじく伯爵だった田中光顕を訪ねた。すると田中は小座敷へ真紅な炭火をどっさり運ばせ、それに鍋をかけ、大きな大根を皮ごとぶつぶつと輪切りにしたのを昆布を敷いて煮て「お茶代りに一つ」と差し出した。唐がらしのちょっと入った生醤油をつけて食べるのは美味だったと、小笠原伯が子母澤寛の聞書集『味覚極楽』で語っている。

ただし素朴でしみじみとした大根料理から受ける印象とは違い、田中はけっこう感情の荒い人だった。

東京帝国大学教授、貴族院議員、宮内大臣などを歴任した一木喜徳郎が枢密院議長に就いた際には「国賊である一木の如き者を枢密院議長に推した西園寺はけしからん」と宮中で怒鳴りまくった。最後の元老西園寺公望の晩年の秘書として政界の情報収集や元老の意思の伝達に当たった原田熊雄が遺した口述日記(のち『西園寺公と政局』として公刊)の昭和九年九月二十七日の記事にある。

一木喜徳郎は法学者として天皇機関説を提唱し美濃部達吉ら後進の育成に努めた人で、その話を原田から聞いた西園寺は「絶対にファナティックな空気を宮内省や宮中に入れることはしないやうにしてもらひたい」と語った。

宮中で怒鳴り上げるお人と素朴な大根料理がうまくリンクしない。

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OXFORD BOOKWORMSの掉尾を飾るウィルキー・コリンズの名作『白衣の女』(びゃくえのおんな、The Woman in White ) を相当なスピードで読み終え、とうとうこの大部の英語学習テキストを修了した。

語学学習用にリライトされ たOXFORD BOOKWORMSを終えてどれだけ学力が伸びたかは心許ないけれど、できれば『白衣の女』は原文にあたってみたい。これから教科書を離れての読書となるわけだが、いま机上には映画「カサブランカ」の脚本とドナルド・キーン英訳『徒然草』がある。

大学ではもっぱら中国語だったので長いあいだ英語とはご無沙汰だった。だから七十すぎてのOXFORD BOOKWORMSは未知の世界に招待してくれたような気さえしている。ジャズが好きなので、かろうじてスタンダードナンバーのLirycがわたしを英語に繋ぎ止めてくれていた。一束の歌詞群に感謝しなければならない。

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 吉田健一を愛読してずいぶんになる。この人の全体像を捉えるのはわたしには難しいが、ときに、ここに人間の仕合わせがあるんだなあと思ったりするから、自分にとってはそうした作家だと思っている。

「天気なら天気で日向ぼっこをし、雨が降っていれば小料理屋の隅で雨の音に耳を澄ますとか」そんな情景に身を置いてみたい。

「栗鼠がいるのを見てそれに気を取られて郵便局の前の店でビールを飲み、いつ新たに煙草が入るかを考えて煙草を吸って窓の色ガラスが朝と夕方で違った色合いに光るのを時刻の目盛りにするというようなことで村での日々がたって行った」。煙草は嫌なのに煙草さえ懐かしい。

その吉田健一が羨んだ話。

「酒と女に身を持ち崩し、という言い方があるのをここで思い出したが、女のことはいざ知らず、酒で身を持ち崩すというような結構なことをやった人間に一人も会ったことがなくて、どうすればそんな具合になれたか想像して見る前に、やたらに羨しいという気持が起って来るばかりである」

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久しぶりの小津作品「早春」で、東京から岡山へ転勤が決まった杉山(池部良)が荷造りをしているところへ友人の青木(高橋貞二)が訪ねてきて、女房が妊娠して戸惑っている、それほど欲しいとは思わないし、子供なんかどんなが奴生まれるかわかんねえからなと言うと、杉山は「そりゃ誰にだってわかりゃしないよ。でも、そンなかから太閤さんが生れたり、マルクスが出たりするんだ……生れてみて、育ててみて、初めて可愛くなってきて、いいもんだなァと思うんだよ」と応じていた。ここで太閤さんとマルクスが対で出てくるのがちょいと奇異である。

「早春」(1956年)は小津と野田高悟の脚本だが、太閤さんとマルクスの組み合わせはどんなところから発想されたのだろう。小津作品でマルクスが口にされるのはめずらしい、あるいはこのシーンだけかもしれない。そこのところも、おやっ?と思ったしだいだった。

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トルストイ戦争と平和』を読みはじめたところ、アンナ・パーヴロヴナ・シェーレル、ピョートル・キリーロヴィチ・べズーホフ、アンドレイ・ニコラーエヴィチ・ボルコンスキィ、マリヤ・ ニコラーエヴ・ボルコンスカヤ、ニコライ・イリーイチ・ロストフなど ロシア人の名前になじめず、おまけに人間関係がよくわからず、理解力の乏しい者が、よくわからない本に時間をついやすことはむだであり、理解できなかったら読んでも何の役にもたたないから撤退しようとしたが、それでも読んでみなくてはわからないと気を取り直して持ちこたえているとようやく物語の骨格が見えてきて、少しずつだが展望が開けてきた。無職渡世の年金生活者はほかにとくにすることもないからね。

骨格とは、ロストフ伯爵家とボルコンスキイ公爵家という両貴族の家庭の来し方と、貴族の生活のあらゆる面を詳細に描いた、いわばこれをミクロとして、マクロはロシアの対ナポレオン戦争で、双方を絡み合わせながら十九世紀初期の歴史とロシア社会が描かれる。

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日活版「事件記者」シリーズは第一作「事件記者」(1959年)から「事件記者 影なき侵入者」(1962年)まで十作品が製作されており、AmazonPrimeVideoにすべて収められている。一話完結六十分前後なのでご用とお急ぎの方にも向いている。子供のころNHKテレビで「事件記者」を見たことのあるわたしにはなつかしい。そのころ、つまり東京オリンピック前の都内の風景、象徴的には都電が走っていた東京も見どころである。

十作品のなかでは第三作「事件記者 仮面の脅迫」が一頭地を抜いている。ある女性が痴漢を捕まえ、警察へ訴えでる。しかし男は行為に及べないほどに手を怪我していて、疑いは晴れる。ところが早とちりした二つの社の新聞記者が翌日の朝刊に実名、勤務先を入れて報道してしまっていた。ずいぶん軽率な行為だけれど、誤報、訂正記事のあり方、風評被害など現代にも通じる問題が扱われている。もちろん主筋は痴漢事件の裏にある陰謀で、こちらの仕上がり具合もよろしい。

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戦争と平和』にあるナポレオンのフランスとアレクサンドル一世のロシアとの戦争を読んでいると、ときにいまのロシアとウクライナの戦争が重なる。

一八0七年七月、フランスとプロイセン、ロシア両国とのあいだにティルジット条約が締結され、これによりナポレオンの大陸支配が確立した。『戦争と平和』にはこの条約をめぐるロシア兵どうしの議論が書かれていて、なかの一人は、犯罪者ボナパルトとの条約などありえないと訴えていた。ロシアの強固なナショナリストたちはナポレオンを犯罪者とみていたのである。

「もしナポレオンを捕虜にしたら、皇帝としてではなく、犯罪者としてあつかうべきだ」「正統な皇帝と犯罪者ボナパルトのあいだに講和などありえない」。

先日国際刑事裁判所が、ウクライナ侵攻をめぐる戦争犯罪容疑でプーチンに逮捕状を出した。ナポレオンを犯罪者としたロシアのナショナリストからプーチンの犯罪容疑まで、まさしく歴史の巡り合わせである。

おなじくアウステルリッツの戦いでナポレオン軍に敗れたロシア軍がロシア国内でどのような報道をしていたかの記述があり、それによるとロシア軍は輝かしい戦闘ののち転進を余儀なくされたが、転進はきわめて整然とおこなわれたと、きわめて簡単に、漠然とした報道だった。昔も今も……。

人間は昨日に対するときほど今日と明日に対しては賢くなることができない、との言説があるけれど、はたして人間は昨日に対して賢いといえるほど賢くなれるのだろうか。反省する力はなかなか身に付かない。

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昔、孔子が太山に遊んだとき、隠者栄啓期が琴を弾いていて、その楽しみを問うたところ、啓期は三つの楽しみを挙げてこれに答えた。すなわち、人と生まれたこと、男であること、九十歳の寿を保ち得たこと。まことにつまらない答えで、長生きは芸のうちとしても、人として、男として生まれたのは偶然にすぎない。

楽天に「琴酒」という七言絶句があり、なかに「若し栄啓期に今一つ酔ふ楽しみを解(わか)らせたならば、四楽と言つて三楽とは言はなかつたであらう」(青木正児訳)とあり、あほらしい三楽はともかくせめて飲酒の楽しみは挙げておけよ!という思いだった、というのがわたしの忖度である。

永井荷風が「葷斎漫筆」で「人生老後の清福」と条件をつけて挙げているのが読書とお茶と熱燗だ。いずれも伴侶を必要としないところがよく、妻妾の愛は恃むに足りず、子孫は憂苦執着の種、朋友も生きているあいだはまだしも亡くなればそれまで、三つはその点で都合がよいというところが荷風らしい。

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戦争と平和』でトルストイはナポレオンについて「アフリカでほとんど無防備の住民の上に暴逆のかぎりが尽される。そしてその暴逆をほしいままにした人々、特にその指導者は、それを功業であり、栄光であると思いこみ、みずからをシーザーやアレクサンドル大王に比しているのである」「自分のためには何ものも悪と思わぬばかりか、それに不可解な超自然的な意味をあたえて、自分のあらゆる犯罪を誇りとする、あの栄光と偉大の理想、──この男とそれを取巻く人々の指導原理となるべきこの理想が、広大なアフリカで培われる」(工藤精一郎訳)と現代の独裁者に通じる批評を述べている。

「彼一人が、イタリアとエジプトで培った栄光と偉大の理想と、自尊の狂気と、犯罪の暴慢と、噓の迫真力をもつ彼だけが、これからおこなわれようとすることを正当化することができる」。

どうです。文中の「彼」を(X)、「イタリアとエジプト」を(Y)にして人物と国名を代入すると、現代の世界が浮かんでくるでしょう。     

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 一九七0年代後半から八0年代前半にかけてだったかな、土曜の夕べ、NHKFMがスタジオライブを放送していて、好きなミュージシャンやスモールコンボが出演するときはよく耳を傾けていた。先日、YouTubeをあちらこちら遊歩していると秋満義孝クインテット、八代一夫トリオ、藤家虹二クインテット北村英治オールスターズなどのライブ放送をUPしてくださった方がいて大いに感激した。

当時の一般向け録音媒体はカセットテープで、YouTubeにUPして下さった方は録音テープをデジタルに直して提供してくださったのだろう。往きて還らぬと思っていたラジオ放送との再会!心からのお礼を申し上げたい。ちなみに消費者向けCDが発売されたのは一九八二年だった。

欲をいえばきりがないが、これに鈴木章治とリズム・エースのライブ録音があればなあ、なんて贅沢をつぶやいてしまったのはわが不徳の至り。そこでむかし「ラジオデイズ」と題したコラムを書いたのを思い出してUSBから取り出し、すこし直して以下に載せてみました。

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ラジオデイズ

ラジオデイズは甘く、切なく、なつかしい日々である。疑う人はウディ・アレン監督「ラジオデイズ」を見よ!なんて気張ることもないけれど、六十年安保のときの国会議事堂を取り巻くデモ隊の声をわたしはラジオでしっかり聞いていて、それからあとこの媒体とのつきあいは稀薄になったと記憶するから、それまでがわがラジオの日々だった。誰か故郷を思わざる、幼いころのあの夢この夢を懐かしむと、いささか気が張るのはやむをえない。

あのころラジオから流れていた音楽のなかで胸がキュンとなるふたつの曲があって、それが「鈴懸の径」と「小さな花」だった。はじめての出会いでふたつの曲はわが心の底にある音楽の小箱に感傷をしのばせてしまったようで、それからは聴くたびに、ふだんは潜んでいるセンチメンタルな感情が小箱から出てわたしの胸を打つ。

「鈴懸の径」は鈴木章治とリズム・エースにピーナツ・ハッコーが加わって吹き込まれたレコードで、記録によると一九五七年の録音である。「小さな花」は誰の演奏だったかわからないがこちらもクラリネットによる演奏だったからおなじ奏者だったかもしれない。ふたつともに甘美で洗練され、軽快なフォービートを刻む。こういうのがスイングジャズと知った。だから双方とも米国の音楽と思い込んでいたが、「小さな花」がザ・ピーナッツの歌で大ヒットしたときは歌詞がついたのでじつは日本の曲だったんだと錯覚したが、こちらはシドニー・ベシエというジャズマンによる作曲で、「鈴懸の径」は佐伯孝夫作詞、灰田有紀彦作曲、灰田勝彦の歌で昭和十七年に発売された日本の曲だとはずいぶんあとの知識である。

十代の終わりころからジャズをときどき聞くようになったが若者の常で視線はスイングジャズよりモダンに、日本のジャズシーンはさておきアメリカのそれに向いていた。

いまはもうそんな気取りは取っ払ってラジオデイズとおなじ素直な気持ちで音楽を聴けるようになった。いいものはいい。「鈴懸の径」も「小さな花」もあいかわらずわたしの胸を感傷で満たす。雀百まで……なのだろう。過日、鈴木章治の訃報に接した。ラジオデイズの輝きがよく似合う、唄心あふれるクラリネット奏者だった。 

(一九九六年四月)

鈴木章治は一九九五年九月十日六十三歳で歿した。