夏季鍛錬

アイルランドでは勤務の週四日制が広がりつつあり公的な実証実験も行われていると、NHKBSの国際ニュースが特集で報じていた。実験はアメリカ、イギリス、オーストラリアでも予定されていて、背景にはたくさんの報酬より自分の時間を大切にしたいという意識の広がりが指摘されている。医療、介護、教育など職種によっては困難だろうが、週四日制のもと順調円滑に業務が推進できるのであればまことにけっこうではないか。

いまはどうか知らないが平成のはじめ当時勤務していたお役所では五日間あった夏季特別休暇を夏季鍛錬と呼びならわしていた。休みでは格好がつかないからと鍛錬としていたのである。そのころは休暇にうしろめたさがこびりついており、五時から男のなんとかが誇らしげだった。仕事好きよりも中毒に近い。

荻生徂徠徳川吉宗に献じた政治改革論『政談』で、役人は暇のあるほうがよい、とりわけ上に立つ大役の人ほど暇がなくてはいけない、というのも政務の全体を所管する要人は社会の全体を忘れては十分な役割が発揮できない、そのためには時間に余裕をもって日ごろからあれこれ物事を考え、ときには学問に親しむべきである、にもかかわらず彼らは「毎日登城して、隙なきを自慢し、御用済みても退出もせず」「代り代り出ても御用は足るべきを、何れも鼻を揃へて出仕し、御用なくても御用ありがほになす」と江戸城の大役たちを批判した。夏季鍛錬という言葉には徂徠が批判した役人根性の伝統が作用していたのである。

コロナ禍のすこしまえ二0一九年の末にマルタ共和国を旅した。面積は東京二十三区の半分ほど、人口はおよそ四十三万人、ここはイギリス統治領だったから社会システムもイギリスの影響が強い。税金は収入の三割ほどを持っていかれるが、医療、教育はタダ(大学生には生活費が支給される)で特段の不満はないという。ガイドさんは、仕事はほどほどに日々をゆったり楽しく、勤務時間を超えて働く人は見たことがありませんと語っていた。おそらく実証実験の必要はないだろう。