「殺人を無罪にする方法」(Netflix)シーズン1は法廷ドラマとミステリーをひとつにした興味深い内容だったがすべてを視聴するとなると6シーズン、90エピソードにのぼる。隠居とはいってもこれを全篇見るのはきつくシーズン1で終えることとした。あえて難をいえばセックス談義が多くてしつこい。
評判のよいTVドラマはシーズンを重ねやすく、しかしあまり数が増えるとどんくさいわたしは、ゴタゴタして整理がつかなくなる。その点でいまAmazon prime video で鑑賞中の「COLD CASE 迷宮事件簿」は7シーズンだが一話完結なので親しみやすく、まもなくシーズン4にはいる。どこまで行けるかはともかくひとつのエピソード四十分余りは読書の休憩時間や食事の待ち時間を過ごすのに都合がよい。
NHK朝の連続テレビ小説や大河ドラマとはご縁がなく、いま気づいたかと嗤われそうだが、どうやら連続とか大河に弱いというか長いとうるさくなる気質で、ストーリーをたどるのも苦手である。
読書、映画、長距離走、晩酌といったお楽しみに、長い長いTVドラマを加えるのは慎重な選択を要する。
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「結婚は性慾を調節することには有効である。が、恋愛を調節することには有効ではない。」
「彼は二十代に結婚した後、一度も恋愛関係に陥らなかった。なんという俗悪さ加減!」
性欲を暴風雨とすれば結婚は防波堤である。ゆえに「結婚は性慾を調節することには有効である」けれど、堤はときに決壊するのはご承知の通りで、この決壊を受けて「恋愛を調節することには有効ではない」。
もとよりわたしにそうした経験はなく、二十代で結婚したあと一度も恋愛関係に陥らなかったから「なんという俗悪さ加減!」であるが、それでも「山の神」を崇めるほうを選ぶ。広辞苑の語釈に、山の神=自分の妻の卑称とあるが、とんでもない、敬称ではないか。
辻嘉一「鮎」に鮎の塩焼をおいしく食べるには、焼きたての熱あつをのがさず、なりふりかまわず指も使って食べるにかぎるとあった。つまり頭から骨を手際よく抜いてなんてしていると熱あつにはありつけず、すこしでも早く熱い旨さを味わうことが肝心であり、わたしも実践してきた。
困るのは蟹で、嫌いではないが甲羅を取るのに苦労するからやっかいだ。むかし、山の神に、これほど食べるのに苦労する食材は困るなんてめずらしく文句を口にしてたいへん叱られた。けっこうな値段で買ってきて文句をつけられたのだから当然で、こういうのを神をも恐れぬバチ当たりという。爾来反省しております。
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「埋木の花さく事もなかりしに身のなる果てぞ悲しかりける」
平安時代末期の武将にして歌人だった源頼政は平家の専横に不満が高まるなか後白河天皇の皇子である以仁王と結んで挙兵を計画し、諸国の源氏に平家打倒令旨を伝えたが露見し、準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、そのまま平家の追討を受け宇治平等院で自害した。うえは辞世で、花は桜だろう。
ながの別れには桜をよんだものが多い。ただし辞世=桜という思考範型に安易に寄りかかりたくない。だいじなのは加藤楸邨がいうように「一つの歳時記的季語にはすこぶる多くの手垢から浸みこんでいて、知らず識らずの中にその手垢まみれの型にすがって発想することが起りがちだと思う。大切なのはまず花や樹木に直面して、しんそこから心を動かすことだ」。(「花中往来」)
辞世に花は似合いだが、酒もいいな。
慶安のころ江戸は大塚に地黄坊樽次という酒客がいて「南無三宝あまたの樽を呑干て身は空樽にかへるふるさと」を辞世とした。井上ひさし編『ことば四十八手』に収める「滑稽辞世三十六歌撰」にある。同書からもうひとつ傑作を。
「碁なりせば考(コウ=劫)をも立てて生可(いくべき)を死る道には手もなかりけり」本因坊算妙。
話を花に戻すと、水上勉はいつのころからかコスモスに仏花のような気がするようになったという。(「コスモスのこと」)
秋桜といった文字からの連想ではなく、作家の感性であり、心を動かされた経験にもとづくものであろう。ちなみにコスモスの原産地はメキシコ、ギリシャ語では「飾り」を意味している。
メキシコ原産のコスモスの種子が日本に入ってきたのは幕末だというから歴史は浅い。そのコスモスを八戸とその近辺つまり南部地方では仏花として火葬場をコスモス畑が取り巻き、仏さまの灰が花を育てるという。水上勉が舞踊家の下田栄子さんの話として伝えている。外来種をめぐる佳話である。
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「アメリカ人にとって新規の法律は、赤信号の設置に関する道路交通法から所得税法に至るまで、全国民から忌み嫌われる。なぜならそれによって、自分のことを自分で決める自由を奪われるからである」ルース・ベネディクト『菊と刀』(角田安正訳、光文社古典新訳文庫)。
新型コロナをめぐるマスク騒動のニュースで、マスクくらいでガタガタ文句垂れるなよと思ったものだがこういう事情もあるわけだ。
『菊と刀』は主たる考察の対象が明治~戦前の日本なので、いま読むと違和感を覚える箇所はいろいろあるが、対比してアメリカ人のものの考え方はいまもってなるほどと思えるところが多い。
アメリカ国民にとって「連邦の法律は、二重に猜疑心を招く。というのも、それは個々の州の立法権にも干渉しているからである」
「アメリカ人にとって連邦の法律は、ワシントンの官僚によって国民に押し付けられたものという感じがする」
新型コロナへの向き方もこの感覚が活きているようだ。
「アメリカの場合、自分で自分の事柄を管理しないと、胸を張ることができない。ところが日本では、恩人と考えられている人に対して恩返しをしないと、やましい気持ちになる」。
恩返しの感覚は多少変化したと思うが米国の場合はそうでもなく、銃規制が進まないのにもこの感覚が作用しているのだろう。
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お役所に勤めてまず教えられたのは公文書や起案書の書き方だった。
そのころ、ある大先輩から、戦後もしばらくは公文書、起案書ともに文語文、いわゆる候文だったと伺ったことがある。その実物を見たことはなかったがたまたま吉田茂『回想十年』(中公文庫上巻)で行きあたった。
その公文書は、昭和二十年九月十七日附、在仙台終戦連絡事務局長武藤義雄名で、重光外務大臣に宛てられている。塩釜で遺骨を迎えるために国旗を掲揚したところ米軍から撤去を命じられた、「其の根拠に疑問あり、秋季皇霊祭も近づき居るに付き何分の儀至急回伝を請う」というもの。これに対する回答文も文語文である。
歴史的仮名遣いだったから「請う」は「請ふ」で、現代仮名遣いに直す愚行が史料の価値を損なうことの一例である。
それはともかく文語文による公文書はいつから口語文に変わったのか、故人となった大先輩にお訊ねしなかったのがいまでは残念だ。ついでながら、平成五年か六年に、勤務先では公文書の敬称が「殿」から「様」に変わった。
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長くジャズを聴いているがときにうまくお付き合いできない事態に陥いる。いまがそうで、このときクラシックが回春剤となる。もっともわたしが聴くのはほとんどモーツァルト、それも有名どころばかりなのでファンの域からははるか遠い。でもいいな、ピアノコンツェルト20番、21番、交響曲40番などなど。
おなじく手にした本が期待したほどでなくこれが何回か続くと読書がいやになり活字拒否症となる。先ごろは相当危うい感じだったが、まさきとしか『彼女が最後に見たものは』(小学館文庫)に救われた。新宿区の空きビルで身元不明の女性の遺体が発見され、その女性の指紋が千葉県で刺殺された未解決事件の現場で採取された。興味深い謎で心わくわくである。
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一九四三年二月二十七日の『アンネの日記』(深町眞理子訳、文春文庫)に、オランダのカトリックの司教が信者に宛てたメッセージがあり「オランダの人びとよ、戦いの手を休めてはならない。だれもがそれぞれの武器によって、国家と国民と、信仰の自由のためにたたかっているのである!救いの手をさしのべよ。惜しみなく与えよ。落胆してはならない」としるされている。
これについてアンネは「はたしてこれが救いになるものでしょうか。すくなくとも、わたしたちユダヤ教信者の救いにはなりません」という。
カトリック教会を云々する気はないが、彼女にとって、このメッセージは上から目線できれいごとはいうが救いも実効性もない。いまの国連の声明のようなもので、ロシアという安保理常任理事国が侵略戦争により国際秩序を壊そうとしているのに国連は実効性ある行動もとれず、救いももたらしてくれない。
まさきとしか『彼女が最後に見たものは』ではある少女が「大人は上から目線できれいごとばかり言う。明けない夜はないとか、神は乗り越えられる試練しか与えないとか、つらかったら逃げてもいいとか。明るく前向きな歌を奏でるように、現実離れしたことをしたり顔で言う。なにも知らないからだ。他人事だからだ。明けない夜はあるし、乗り越えられないこともある。逃げたくても逃げる場所がない。長く生きているくせにそんなこともわからないのは、自分のことしか見ようとしないからだ」とつぶやく。
いまウクライナの人々の国連や欧米諸国にたいする感情にもこうした成分が多く含まれていると思う。
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英語のことわざ。《You scratch my back,and I’ll scratch yours.》私の背中をかいてくれたら、あなたの背中をかきます。つまり魚心あれば水心。
背中くらい自分でかけよ、欧米には孫の手というものはないのかねと和英辞典を見るとback scratcherとあった。
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「わたしが口をきくと、みんなから利口ぶってると言われます。黙っていると、ばかみたいだと言われます。口答えすれば、生意気だと言われます。なにか名案が浮かぶと、悪賢いと言われます。疲れていれば、怠慢、一口でもよけいに食べれば、身勝手、まだそのほかにも、とんま、臆病、狡猾、エトセトラ」(『アンネの日記』一九四三年一月十三日)以下はいまの日本の社会を鋭く映しているとメモしておいたどなたかのツイート。
「女性は結婚して出産すると辞めてしまう、だから定員制限、再雇用を前提としていない。結婚せず子供を作らないと、生産性無しと言われる。大学だけでなく国会も無くしたくなります」
『アンネの日記』やこのツイートからは、抑圧者は目の前に敵がいないときは、上から目線でお説教やきれいごとばかりを口にする、そして敵が現れると何をいってもムダとばかりにがんじがらめにしようとすることがうかがわれる。アンネが喝破したように口をきいていかず、黙っていてもいかず……。
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「野党の人から来る話は、われわれ政府は何一つ聞かない。本当に生活を良くしたいと思うなら、自民党、与党の政治家を議員にしなくてはいけない」と語った現職閣僚に驚いたのも束の間、次は元首相が凶弾に倒れた。ふたつの出来事に共通するのは日本のデモクラシーを破壊しようとする衝動である。
なんとかという大臣が何を放言しようが、誰が暗殺されようが後期高齢者となるのも遠くない老爺には関係なく、こういうときこそ「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事二非ズ」(藤原定家『明月記』)と言ってみたい気持はあるが、まだそこまで人間ができていないらしい。それとも枯れきっていないのか。
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大相撲名古屋場所は逸ノ城が十二勝三敗で初優勝し、賜杯を手にした。ハワイ出身の元関脇高見山が外国出身力士として初優勝したのが一九七二年名古屋場所で、五十年の節目の年にモンゴル出身の力士が悲願を成し遂げた。
今場所は新型コロナウイルスの感染拡大により全力士の三割近くが休場、十両以上の関取の休場者は負傷による二人を含め戦後最多の二十三人に上った。逸ノ城の優勝とともにこのことでも記憶される場所となった。
午後に映画を観て、帰宅して晩酌はわがしあわせのひとときだが、困るのは大相撲の期間で、やむなく見逃し配信を見ながら晩酌をしているけれど、あらかじめ勝負の結果を知るとしらけるのでニュースは避けておかなければいけない。
リアルタイムで相撲を見る日は、せめて三役の取り組みあたりからテレビの前に座り晩酌に入りたいのだが、こんなことしていると七時か八時に寝てしまいそう。 早すぎる目覚めは困るので、いつしか晩酌は七時からあととした。
思い出すと小学低学年のときは自宅にテレビがなく、近所の酒屋さんで見せてもらっていた。栃錦、若乃花、そのころ若手だった大鵬、柏戸になる前の戸柏、解説は神風正一、玉の海梅吉、懐かしいな。
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政府は、凶弾に倒れた安倍晋三元首相の国葬を九月二十七日に日本武道館で行うことを決定した。岸田文雄首相が葬儀委員長を務める。吉田茂に次いで戦後二例目の国葬である。
吉田茂の国葬は一九六七年十月三十一日に催された。当時わたしは高校生で、午後から休みになりうれしかったのを覚えている。
無邪気だったあのころ。政府が学校の午後の授業を取りやめる方針を決めたことについて日本教職員組合が抗議声明を出したなどの記事がネットにあったがそんなことつゆ知らず半ドンを素直に喜んだ。
吉田茂は選挙区が高知(全県一区定員五)だったからわがふるさと高知では盛大な追悼式が行われた。会場はある女子高校の講堂で、他校は午後から放課だったがその高校だけは会場準備だとか案内、お茶の接待などで相当数の生徒が動員されていた。なかに小学校の同級生がいて、なんでこんなことさせられるのとぶーたれていた。
小学生のころ、一度だけ吉田茂を見たことがある。選挙で高知へ来てわが家の近くで辻立ちの演説していた。真偽不明ながら、何かで、高知の自民党の県会議員をはじめエライさんたちが陳情に行った際は、わしはそんなことのために政治家やっているのではないと追い返したという「ちょっといい話」がある。ビッグネームの割には選挙に強くなかった印象があるが、この硬骨が作用していたのかもしれない。
吉田茂の国葬で遺族代表、喪主を務めたのは息子で、作家、中央大学教授の吉田健一だった。長谷川郁夫『吉田健一』(新潮社)によると、喪主として吉田健一は武道館で催された式典に出席したが、中央大学教授としての吉田健一はこの日も休むことなく出講し、受講生一同は大いに面食らった。これも 「ちょっといい話」。
吉田健一は一度の休講もなかった律義な性分の人だった。