新コロ漫筆〜「御役人は隙になくては不叶事也」

九月三日、菅首相自民党総裁選の不出馬と首相退任を表明した。これをうけて小泉進次郎環境大臣が、感謝のほかなくこれほど仕事をした内閣もないと涙を流しておっしゃっていた。感謝は個人的なものだからともかく、これほど仕事をしたというのには首をかしげた。

小泉氏は流した汗の量をいっているのだろう。しかしわたしが首相に求めたいのは多くの汗ではなく政策を構想する力や適切な判断力、つまり問題は質であって汗の量ではない。

GOTOトラベルでブレーキではなくアクセルを踏んだとき、菅内閣の判断力に疑問符を付けたわたしは、残念ながら最後までそれを消す機会はなかった。首相はGOTOトラベルと新型コロナ感染者の増大とは関係ないと言い張ったが、毎日新聞川柳欄にあった石垣いちごさんの「トラベルを終えてGOTOホスピタル」がはるかに現実をよく示している。

荻生徂徠徳川吉宗に捧げた献策書『政談』で、徂徠は、上に立つ大きな役の人ほど隙がなくてはいけない、大役は世界を見渡し判断できなくては役職を全うできない、隙があれば智慧が働き、学問にも触れることができると述べた。

徂徠には毎日お城に上がり、隙のないのを自慢し、御用が済んでも下城せず、仕事はないのにあるそぶりをしているなど以ての外なのである。指導者は心と時間にゆとりをもつ、それが冷静、的確な判断につながる。

菅首相はほとんど休みを取らず仕事していたと報じられている。八月二十一日に首相が定期検診で病院に行くと「近日中に体調不良で辞任」という情報が流れた。八月二十九日に休みをとると、これが百五十四日目の休日で、あまりの働き詰めからまともな判断ができなくなると心配した周囲が説得したという。いずれも真偽不明の噂ではあるが「週刊朝日」が伝えている。この人に心と時間のゆとりはなかったのかもしれない。

小泉環境大臣の、これほど仕事をした内閣はないという発言にはこうした事情が含まれているのだろうか。しかし大役には隙があって智慧は働くという荻生徂徠の所論からすれば、やみくもに汗を流しているのはいかがなものか。汗を流すのは陣笠議員や役人であって、首相には別のことがらが求められている。

これを書いている九月十三日現在、自民党総裁選には三人が立候補し、あと一人か二人出るかもしれないと取りざたされている。さほど熱心な政治ウオッチャーではないとしたうえで申せば、なんだか優等生の集票フェスティバルのようで、われこそは正義の権化、他の方はどうも……といった政争の迫力を感じない。政治家は政治を面白くして国民の政治的関心を高めるのも仕事のひとつという観点でいえばこちらにはもっともっと汗を流していただきたい。

昔のことをいえば鬼が笑う、老いの繰り言は真っ平御免ではあるけれど、 その昔の三角大福またこれに中をくわえた派閥の領袖たちが繰り広げた政争は迫力が違っていましたな。詳しくは伊藤昌哉『自民党戦国史』をご一読あれ。

それはともかく、いずれの候補者が次の自民党総裁に、また内閣総理大臣になろうとも、むやみに汗など流すことなく、心と時間のゆとりを持って冷静、的確な判断をしていただきたいと願っています。それと下した判断に賛否はあるが、しっかりした説明、説得を欠かさない方を望みます。