働き方改革いまむかし

この四月から働き方改革関連法が施行されている。長時間労働の常態化やそれに起因する過労死、非正規労働者に対する不合理な待遇格差など働き方をめぐる諸問題への有効な施策となってほしいものだ。

働き方改革は労働をめぐる日本人のメンタリティと深くかかわっている。歴史的に形成された日本人の仕事についての考え方、感じ方などこころのありようも問われる課題である。

過去にさかのぼってみると、元禄の世に荻生徂徠江戸城という職場を観察して「大役ほど毎日登城して、隙なきを自慢し、御用済みても退出をもせず。相役多きは毎日出仕せず共、代り代り出ても御用は足るべきを、何れも鼻を揃えて出仕し、御用なくても御用ありがほに仕なす事、代の風俗なり」とその著『政談』にしるしている。

この前段も含めて現代語に意訳すると「総じて役人はひまがないといけない。上に立つ者ほどすべてを見通さなければならず、全体への視点を忘れるとポカが生じてしまう。そのためひまな時間にあれこれ考え、また勉強もしなければならない。ところがいまは大役の者ほど毎日登城してひまのないのを自慢し、仕事が済んでもだらだらと居残っている。ローテーションが組めるなら毎日登城しなくてもよいのにみなが鼻を揃えて出勤し、用がなくてもあるふりをしているのだ。御奉公は中味実質が大事であって他人の目を意識するのは不要である。上役がこんなふうだから下の者も仕事が多いそぶりをするようになる。とんでもないことだ」となる。

働き方は日本人の精神風土とかかわっていて、徂徠の眼に、その改革は時代の懸案事項と映っていた。

ついでに小説からひとつ事例を見ておこう。

藤沢周平 たそがれ清兵衛』の主人公井口清兵衛は下城を告げる太鼓が鳴るといち早く職場を出て帰宅を急ぐ。周囲は長年のことに慣れっこになっていて、いつのころからか「たそがれ清兵衛」と呼んだ。

ある日、家老から重職会議への陪席を命じられて、会議が開かれる暮れ六つ(午後六時)にはのっぴきならぬ用を抱えているのでその役目を誰かに回していただけませぬかと願い出た。それほど清兵衛の退勤時間は徹底していた。

のっぴきならぬ用とは病弱の妻奈美の介護だったが、事情はともあれ定刻に帰宅したりしていると白い目で見られやすく、いまでも、早く退社できない理由として「上司が残っていると帰りづらい」「勤務評価に影響するかもしれない」といった項目があがる。

ヨーロッパに目をやると徂徠に匹敵する鋭い観察眼、視線をもつ人に『エセー』の著者モンテーニュがいる。

モンテーニュボルドーの高等法院で法官として勤務し、父の死後三十七歳で退隠したが、のちに請われてボルドー市長に就き二期四年を務めた。それらの経験をふまえてだろう、むやみに忙しいそぶりをする連中について「彼らはただ忙しがるためにしか仕事を探さない。しかもそれは忙しく動き回っていたいからではなく、むしろじっとしていることができないからだ」としるしている。十六世紀フランスの「御用なくても、御用ありがほに仕なす」人たちである。

いたずらにさわがしく動き回り、隙のないのを自慢し、忙しいふりをするのは洋の東西を問わずいて、困ったことにこういう手合にかぎって傍迷惑など気にも留めない。

モンテーニュは、忙しがるためにしか仕事を探さない連中はまた小事、大事関係なく「仕事と束縛のあるところへは見境なく口を出す」と観察怠りない。

「御用多げに仕なす」上役は総じて「仕事と束縛のあるところへは見境なく口を出す」人たちであり、こうした歴史を背負っての働き方改革である。