口腹の楽しみ

 ちかごろは筍が出盛りで供養が安上がりにできるから、いまのうちに死にたいと念じている病気の婆さんがいて、いっぽうに、筍が安いうちに娘を嫁にやり、格安で結婚式をすませたいと願う倹約家がいる。

 いずれも薄田泣菫『茶話』にあるエピソードで、むかしは筍の値段と冠婚葬祭にかかる経費が連動していたようだが、思惑通りに往生や結婚ができたかどうかまでは知らない。

筍の値段を消費税に置き換えると、そこにあるのは税率引き上げ前の駆け込みで経費を抑えたい庶民の姿で、来年二0一九年十月には消費税率の引き上げが予定されているから身につまされる話だ。

いまは元気でわずかばかりの小遣い銭もあるが、これから先、病身となる不安はもちろん、身体は元気なまま消費税上げや貨幣価値の下落で遊ぶ金が底をついた状態に陥るのも気がかりだ。楽しみ、遊びあっての人生であり、生きるためだけに生きるのは病身とおなじく怖い気がする。

元気で長持ち、適度に遊ぶ金のキープ、家族へのそれなりの遺産を三点セットとするが、ゼロサムゲーム状態にあっては、どれかが叶えばあとの二つにしわ寄せが及ぶ。元気で長持ちすると手許の金は取り崩して遊ぶから遺す金も少なくなる。早く逝ってあげたら遺産は多少増えて、それは納得となぐさめにはなるけれど、しかしねえ。 

お堅くまじめに貧乏したご褒美にせめて退職金くらいは使い切ってあちらへ引っ越したい。他方で、家族には一円でも多く遺してあげたいと願う。雑誌、週刊誌を眺めていると、この二律背反にくわえ、長生きが過ぎた状態における家計のあり方の特集があったりして不安は募る。

五木寛之さんが「生き抜くヒント」に「いま、ふたたび適齢期のことを真剣に考えなければならない時代が訪れてきたようだ。すなわち、この世を去るに最もふさわしい時期である」と書いていた。(「週刊文春」2018/8/16・23日号)

「人が世を去る適齢期は?」と題したこのエッセイにある適齢期について、日本人の平均寿命が八十歳を超えたいま、とりあえずそこらあたりをめどとしてわたしもあれこれ考えてはいるけれど、あくまで一般論であり、わが身の具体は見極めがつかないのが難儀である。長く生きればいいというものではなく、去るにしても去り方の問題がある。延命治療など真っ平御免。適齢期と遊びの金を遣い切る時期が一致すれば最高だが、あくまで理想であり、いくら真剣に考えても適齢期と去り方は自分で制御できるものではない。

おなじ週刊誌の頁を繰っていると、熱中症対策の記事があり、アテネオリンピックのマラソン金メダリスト野口みずきさんが「食事をしっかり摂り、熱中症に罹りにくい強靭な体力を作ることが重要です」と語っていた。こちらは適齢期とちがい自分で対応できる「生き抜くヒント」としてさっそく実践に努めている。

寝たきり、認知症、家族構成の激変などを考えると果てしがないから、とりあえず人生行路、遊びにかかる金が底をつきかけたときの対応策に集中すると、ありふれた日常に残された最後の楽しみとしてわたしは口福、料理を考えている。

さいわいお酒が大好き(ウィスキー党)だから、ウィスキーのグレードを上げ、晩酌の回数を増やして、つまみの工夫に精力を傾注すればさほど金のかからない楽しみとなる。先日、山崎まどか『ブック・イン・ピンク』を眺めていると、なかに『ムーミンママのお料理の本』や『プーさんのお料理読本』といった見聞きしたことのない料理本の紹介があり、これからの楽しみと冒険を想像してうれしくなった。

文芸評論家で英文学者だった篠田一士が歿してやがて三十年になる(一九八九年、享年六十二)。『世界文学「食」紀行』を著したこの人は、カレーうどんを食べながら「これは東西文化の交流だなあ」としみじみつぶやいたそうだ。

豆腐に塩昆布をのせてオリーブオイルをかけたつまみが、ちかごろのわたしのお気に入りで、篠田先生に倣って申せば、こちらも東西文化の交流、融合にほかならない。クックパッドで教えていただいたもので、保守的で発想力、実験精神の乏しい当方に豆腐とオリーブオイルは思いもよらない組み合わせで、投稿してくれた方に感謝と敬意を申し上げる。

料理関係のサイトを眺めていると、東西文化の交流や意表をついた組み合わせがあり、驚いたり、感心したりしている。もちろんその背後には実験、冒険、試行錯誤がある。ヨーグルトと納豆の組合せにもびっくりしたがおそるおそる試してみたところトルコ風を感じさせる味がしてなかなかよろしい。

鯨飲馬食のタイプではないけれど、長年出されたものをなんでもパクパク食べるだけだったから、料理の背後にある実験精神には思い至らず、ここへきてときどき晩酌のつまみの一品をもとめてあれこれ試して喜んでいる。といっても塩を岩塩に代えたり、オリーブオイルを胡麻油にしてみたりする程度のことなんですけどね。でもこれがけっこう楽しい。

イギリスに「心に通ずる道は胃を通っている」ということわざがある。おなじイギリスのサミュエル・ジョンソンは「腹のことを考えない人は頭のことも考えない」と述べた。おそまきながら胃と腹を通して心と頭について考え、刺激をもたらしたい。人生の黄昏と心もとない家計を念頭に、ありふれた日常に残された最後の楽しみとして口福、料理を挙げる所以である。