暗い見通し、ふたつ

一九三三年(昭和八年)三月三日に起きた釜石市東方沖を震源とするマグニチュード8.1の昭和三陸地震とそれに伴った津波を機に、寺田寅彦は「津波と人間」というエッセイを書いた。そのなかで関東大震災にも触れ「二十世紀の文明という空虚な名をたのんで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正十二年の地震で焼き払われたのである」として、歴史の教訓を活かせなかった反省を求めた。

いっぽうで寅彦は、時代が下るとともに地震津波の被害は大きくなりやすいことも指摘している。すなわち、安政の大地震と次に起こるであろう安政の大地震では、次に起こったときの被害は前のときとは比較にならないほど大きく、「安政年間には電信も鉄道も電力網も水道もなかったから幸であったが、次に起る『安政地震』には事情が違うということを忘れてはならない」というのがその理由だった。

そして次に起こった安政地震すなわち関東大震災安政年間にはなかった電信や鉄道や電力網などが被害を大きくした。利便性の代償がもたらす危うさである。

有機的結合が進化し、内部が密接化する。このことは「有機系では一部の損傷損害が系全体に有害な影響を及ぼす可能性を高め、ときには一小部分の傷害が全系統に致命的となる」と寺田寅彦はいう。ここにある「有機系」を国際化した経済、もしくは相互連鎖関係が構築された経済と読み換えると、おなじことがロシアによるウクライナ侵略にもいえる。

『Global Issue』(Oxford University Press )にこんな事例があった。オランダのある青年がメイド・イン・バングラデシュのTシャツを買った。もとの綿花は米国アーカンサス州で栽培され、メキシコで木綿となり、バングラデシュに送られ、製品の販売は中国の商社が担当した。ちなみにメキシコの工場の機械は日本製とドイツ製だった。これと同様の事情がロシアにもウクライナにもある。

こうして国際的な分業は進み、相互連鎖関係は深まる。けれどいったん有事となると安政の大地震と次の大地震との関係とおなじことが起こるのは石油、天然ガス、食糧をめぐる世界の現状がよく示していて、「有機系では一部の損傷損害が系全体に有害な影響を及ぼす可能性を高め」るのである。

ロシアによるウクライナ侵略はグローバリゼーションのなかの有事であり、被害の連鎖もそれだけ大きい。しかしこの有事は地震津波と違い人間が引き起こすのがやりきれない。

そしてこの延長線上には宇宙空間への飛び火また戦闘がある。被害は大きくなるばかりである。

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アメリカ合衆国憲法の父」といわれるマディソンは、人間が人間のうえに立ち統治を行なう以上、権力濫用の危険はなくならず、抑制せねばならないと述べ、「野望には野望をもって対抗させなければならない」として権力を分散させ、互いの抑制と均衡を説いた。(阿川尚之憲法で読むアメリカ全史』ちくま学芸文庫

マディソンの対極にプーチンがいて、ロシアの首相、大統領として権力を掌握して以来あるいはそれ以前から権力の濫用と野望を追求しまくってきた。自由と民主主義から見れば、不都合と悪事を一貫してひたむきに、まじめに、真剣に考え、実現してきた。内政は別にしても、チェチェン独立派武装組織を弾圧し、ジョージアに戦争を仕掛け、クリミア半島を併合し、そしていまのウクライナ侵略がある。

西側の首脳や国際機関に「野望には野望をもって対抗させなければならない」としてプーチンの権力の濫用と野望、不都合と悪事を抑えることを考えていた政治家はいたとは思うが、そのひたむきさ、まじめさ、真剣さの度合は彼の比ではなく、これでは勝てない。

ふたつの悲観がはずれるように願う。