すびきのせいびょう

八月九日。緊急事態宣言のあと二度目の10キロヴァーチャルレースを走った。

タイムは0:58:14、順位は282/778。

この時期、大汗かいたあとはやはりきつく、走ったあとシャワー、朝食、テレビ、そして昼食、ここまではまあまあよかったが、午後になると身体が猛烈に水分を求めてやまなくなり、ここでエイヤッとビールを飲むくらいになると自分も一人前のような気がするが、それができない。

夕方、上野公園を散歩していると、ときに缶ビールを飲みながら歩いている方を見かける。いいなあ、自分もやってみたいな、しかし晩酌で早く寝て目覚めが早過ぎになるのを用心して七時以降と決めてあるので羨ましいと思うばかりだ。決めた通りにするのは必ずしも悪くはないが、根が頑なで融通のきかない気質である。

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一日置きに晩酌していて、ときどき行きつけの飲み屋さんへ行く。お酒も料理もおいしいのはよいが、緊急事態宣言からあと外出を控えたぶん口腹のたのしみの比重が高まり、晩酌しない日が辛く、切なく、おまけにこの暑さだ。

ところが世の中よいことを教えてくれる方がいてノンアルコールビールというテがあった。言われてみてなるほどと膝を打ち、さっそく試してみたところけっこうな晩酌もどきである。依存症への一里塚と思わぬでもないけれど。

食べて、飲み、本を読み、映画やテレビドラマに親しみ、走り、歩く、これだけでもありがたいのに昨年までは年に何回か海外旅行をしていた。しかし、これはしばらく断念しなくてはならない。

とはいえGOTOトラベルを利用して国内旅行に切り替える気はなく、さいわい在職中は国内出張の多いポストだったうえに、東京とその近郊をぶらぶらするだけで十分満足しており、手もと不如意という事情は別にしてGOTOトラベルのお世話になる必要はない。

感染症禍で疲弊した経済を回すためにGOTOトラベルを推進するのもよいが「噛みしめて味ふ、こだはりなく遊ぶ。/ゆたかに、のびやかに、すなほに。/さびしけれどもあたたかに」(山頭火日記より)、わたしはこれだ。

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七月三十日九十七歳で亡くなった台湾の李登輝元総統の弔問に、日本からいち早く森喜朗氏を団長とする弔問団が派遣された。八月九日訪台した森喜朗団長ならびに団員は弔問前に蔡英文総統と会談し、席上森団長は安倍晋三首相の事実上の名代として訪台したことを打ち明け、蔡総統は感謝の意を伝えた。

安倍首相、森団長の外交アクションに心からの賛意を贈る。

森団長は李氏の遺影を前に「台湾はあなたが理想とした民主化を成し遂げ、台湾と日本は自由と民主主義、人権、普遍的な価値を共有する素晴らしい親善関係・友好関係を築き上げた」などとする弔辞を読み上げた。近年の中国の露わな全体主義志向を抑止するには国際社会が連携して当たらなければならず、とりわけ価値観を共有する国々との連携が重要となる。その点で世界各国に先駆けて弔問団を送り込んだ行動は褒められてよい。

李登輝氏への弔辞にある「台湾と日本は自由と民主主義、人権、普遍的な価値を共有する」と明言したのは習近平中共にたいし一線を画する点で有意義であり、言葉のうえで終わらせないように願う。

安倍内閣にはめずらしいクリーンヒットのあと米国のアザー保健福祉長官が大臣クラスとして公式訪問を行なった。一連の動きは日米台の連携プレーなのだろうか。

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七十五年目の八月十五日。

戦没者の追悼、戦争の反省そして将来に向けて平和をどう構築するかという問題を思ういっぽうで中国、ロシア、ハンガリーベラルーシなどの動向に独裁政治、全体主義の不安は募る。

他方、隣国では従軍慰安婦問題という戦争被害をネタに支援団体の一部が不正蓄財を行なっていたというとんでもない事件が起こっている。日本でも関西電力の巨額の裏金問題に部落差別反対を言挙げする人物が関与していたとの報道があったのは記憶に新しい。戦争、差別には反対するが、裏でのきたない現実も忘れてはならない。

社会学者の 山田昌弘氏が 、親しい人が亡くなったとき多くの人が泣いている、泣いているように見える、分類すると、本当に悲しいという感情を感じて泣いている人、当初は悲しくないが故人を思い出すなど感情ワークを行い悲しくなって泣いている人、悲しくないが表面上、儀礼上泣いている人に分類できると論じていた。 戦没者の追悼、戦争の反省にもこの三つにとどまらないいろいろな思惑がうごめいている。

この日、ネットでクリント・イーストウッドの言葉を知った。

「 戦争を美しく語る者を信用するな。彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから」

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酷暑の日の午後を「上海バンスキング」( DVD) を見て過ごした。 暑さを追いやるのには並大抵の作品では無理と考えてのチョイスで、よい暑気払いだった。再生したのは一九八一年十月十日にNHKが放送したもので、収録は同年五月に博品館劇場で行われている。当時わたしはこの芝居を、東京、京都、神戸、高知で見ていて、機会を捉えては劇場に足を運んだ、いまに至るも唯一の芝居の追っかけだった。

テレビ放映では放送時間の制約で、劇のあとの舞台での「シング・シング・シング」やロビーでの歌と演奏がカットされたのは残念だった。ところがそこのところの渇を癒すように数年前BSスカパーが二0一0年のシアターコクーンでの上演を完全収録のうえ放送してくれた。NHKBSスカパーにあらためて感謝だ。

一九九0年代だったか、NHKBSが当時のシアターコクーンでの舞台を放送したことがあり、まだDVDの長時間録画が難しい頃で、録画用ディスクを入れ替えたかったが仕事がありやむなくタイマー収録したが使い物にならず残念だった。

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小沼丹『小さな手袋/珈琲挽き』(みすず書房)を読んだ。小沼丹の小説とはこれまで無縁で、随筆はアンソロジーで何篇かお目にかかったことがあるくらいだ。それほどのご縁だが、はじめての単著で、心からのお付き合いを願った。

わたしが少しは現代日本の文学を読むようになったのは丸谷才一『笹まくら』がきっかけだった。そうして氏の世界とその近圏で遊んでいるうちに、いつしか私小説系の作家とは疎遠になった。例外は野口冨士男で、この人にしても丸谷編の花柳小説のアンソロジーを通してだった。いまそこへ小沼丹だ。

『小さな手袋/珈琲挽き』の編者庄野潤三が「小説もいいし、随筆もいいという作家はそんなにいない、まず浮かぶのは井伏鱒二、その次に、学生のころから井伏さんが好きで師事していた小沼丹がいる」と書いていてようやく小沼丹事始めとなったのに、まだ井伏鱒二が控えていて、路ははるばる遠い。困ったことに井伏鱒二も『厄除け詩集』と数篇のエッセイしか読んでいない。

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小沼丹が気にいったからと師匠の井伏鱒二に飛びつくのは無駄遣いに終わるリスクも大きいが、そのままにはしておけずネットで調べていたら『井伏鱒二自選全集』全十二巻、別巻一(新潮社)が二千八百円であった。これに送料が千二百八十円が加わる。

書籍費に比して送料が高いとぶつくさつぶやいていると、テレビの前でうたた寝したり文句たれたりするくらいなら、オカネのためだ、自分でとりに行け~っ!とどこからか声がした。なんだか殿山泰司になったみたいでクラクラときたが、そうなんだと早稲田にある古書店に連絡し、小型のスーツケースを取り出し地下鉄に乗った。

古書店では店主が「本も安くしないと売れないから、おれも頑張って値付けした。美本ですよ」とおっしゃるので「おかげさまでよい本が手に入りました。送料がもったいないので無職渡世の年金生活者は自分で引き取りに来ました」と答えた。十三冊の入った小型スーツケースを提げて駅の階段を昇り降りするのはけっこうきつかったが、わたしは思索思弁より身体の鍛錬に向いている。

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夜間部の授業の前に学校の食堂に行くと授業を終えた同僚が、まあ一杯いかがですか、とビールを注いでくれたので一息に飲み干したら、もう一杯すすめられて、アルコールが入ったほうが教室で口が滑らかに動きます、などという。小沼丹「居眠」より。

そこで二杯目を飲んだかどうかは忘れたがともかく小沼先生は教室へ向かった。

教壇の机の前に座って授業を始めたが、口が滑らかとはならず何だか億劫な気がしてあまり口を利きたくない。学生に訳読させているとその声が子守唄のように聞こえ、気がつけば学生たちがくすくす笑っている。

酒を呑んで高座に上がって居眠りに及んだ古今亭志ん生を、お客が、いいじゃないか、寝かせといてやんなよ、と言ったというエピソードが浮かんだ。

いま大学の教室でビールをひっかけて、授業で居眠りしていたのが発覚したとなると?

これも昔の話だが、掲示板に出講とある以外はすべて休講とした強者先生がいたそうだ。

こうして世間の視線は厳しくなり、管理は強化されたのだったが、わたしは目くじら立てず、なつかしい時代のちょっといい話として活字で楽しんでいる。

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小沼丹『ミス・ダニエルズの追想』(幻戯書房)は全集未収録のエッセイを集めた一冊で、小津安二郎監督の「彼岸花」や「秋日和」「秋刀魚の味」で笠智衆中村伸郎佐分利信、北竜二ら初老の男たちが艶笑譚をふくむ世間話に興じるシーンを思わせるのどかさ、楽しさがある。

早大文学部入試の答案用紙に「都の西北」をご丁寧にも一番から三番まで間違えずに書いた受験生がいた。ヴェルレエヌの「巷に雨の降るごとく」をパロディにした詩を書いた者も。「僕を入学させたら、それは気狂ひだ」といった落書きも。

大学で語学の授業中癲癇の発作を起こした学生がいて、クラスメートは前にもあったといって、二人の学生が病人を抱え宿直室に連れて行った。小沼先生が「授業が終わつてから宿直室を覗いたら、よく眠つてゐます、と小使の婆さんが云つたのでやれやれと思つた」。いろんなエピソード、それに宿直室や小使の婆さんに郷愁を感じた。

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八月二十八日安倍首相が病気を理由に辞任を表明した。

官房長官は「毎日お目にかかっているが変わりない」と言い、甘利なんとかという陣笠は、側で見る限り総理は間違いなく懸命に取り組んでいる、総理秘書官は、いくら説得しても聞かない、本人が休もうとしないと言っている、総理、休める時はぜひお休みくださいと茶坊主精神丸出しのツイートをしていて、首相の病状がそれほど深刻とは思いもよらなかった。以下、びっくりしたとたんに浮かんだ戯れ句。

「断腸に散りて浮世も秋に入り」

「腹痛が運ぶ初秋の折れ曲がり」

「初嵐我儘未練天下人」

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首相辞任についてのとりあえずの感想。

経済。アベノミクスの成果として株価高、失業者の減少、働き方改革などがあり、辞任の一報で日経平均株価が六百円ほど下げたことは市場のとまどい、気落ちの正直な表明だっただろう。いっぽう課題としての格差、非正規雇用の問題、子供の貧困等への対策は善意に解釈して道なかばだったか。

防衛。国際政治の現状からして国の防衛を一国で行うのは難しく、そのことを踏まえた選択が集団的自衛権だったと理解はしているが、憲法改正国防軍構想等に視野を拡げてみれば、安倍首相は、平和の創造よりも戦争志向が優先する人物だと考えざるをえず、辞任してなお、敵のミサイル基地をたたく「敵基地攻撃能力」の保有について、次の政権で検討を継続し、年内に結論を得たいなどと語っているとの報道があった。防衛問題の発想の素が平和ではなく戦争なのだ。

民主主義。 安倍内閣モリカケサクラへの対応として公文書改竄や廃棄、虚偽答弁など弥縫策を続けた結果、日本の民主主義はずいぶん劣化した。

どなたかが、みずからの幸運や繁栄は英知や節度により支配されなければならないと語っていて、選挙での大勝は民意だが、それが英知や節度に向かうのではなく、モリカケサクラなどの傲慢にはしったために日本の民主主義はおかしくなった。国会答弁でのはぐらかし、ごまかし、関係のないことを語ったあとの無視はたびたびだったし、首相みずからヤジを飛ばすなどデモクラシーへの誠実を欠いた。

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弓道は矢をつがえず弓の弦をひく動作素引からはじまる。素引で強弓をひいてみせれば道場の面々はみな感心するがその強弓に矢をつがえ遠くの的に当てる段になると上手くいかない方もけっこういらっしゃるそうで「素引の精兵」(すびきのせいびょう、口先だけで技が伴わず実戦の役に立たない)ということわざがある。

これについて京極純一『文明の作法』が「実戦とはほど遠い条件の下で豪勇ぶりの一端をみせ、なるほど精強な武人らしい、とまわりの人を感心させ、時には、自分自身でもそう思いこんでみたところで、必ず実戦の役に立つとは限らない。悪口をいえば『素引の精兵』である」と適切な解説をしてくれている。

合流して生まれた新しい野党の代表が選出されたのに続いて自民党の総裁も決まった。どちらも出来レースや消化試合のイメージで、なんだかお山の大将を選んでいるようでつまらないこと夥しかったけれど、せっかく意を決して、我こそはと打って出たのだから心より「素引の精兵」でないことを願う。

ついでながら、ときに権力抗争を通じて国民の政治への興味関心を高めることを、わたしは政治家の重要な仕事と考えていて、その点で出来レースや消化試合のような事態は政治的無関心を助長している。政治家諸公におかれてはこの面でもっと真剣に職務に専念していただくようお願いしたい。