「親愛なる同志たちへ」

一九六二年六月にソ連の地方都市、ウクライナにほど近いノボチェルカッスクで実際に起こった虐殺事件と、その渦中にいた母娘をめぐるドラマです。事件はソ連崩壊後の一九九二年まで三十年間にわたり隠蔽されていました。

いくら社会主義の優位が喧伝されても、物価高騰と賃金カットに直面する現実がある。暮らしのままならないノボチェルカッスクの労働者はストライキを打ち、五千人を超える人々がデモに参加します。この地方を管轄する共産党の書記は怒り、収拾を図ろうとしますが、事態は党中央の管掌するところとなり、本格的に軍が乗り出しKGBが関与します。

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母リューダはソ連の繁栄を素直に信じている下級の共産党員、この素朴で硬直したコミュニストは市政委員を務めています。当時の党第一書記はフルシチョフでリューダの勤める役所にもフルシチョフの肖像が掲げられています。ただし彼女は一途にスターリンを敬愛しています。

そこに起こった事件。リューダは会議の席で、事件をあいまいにすることなく、首謀者については逮捕も含めしっかり対応しようと口にします。真面目ばかりで柔軟性を欠いた意見に批判はありませんでしたが、上級幹部を飛び越えての意見表明は下級党員としてふさわしからぬ言動として一部に顰蹙を買ったようです。

ふさわしからぬといえば、このお堅い母の十八歳になる娘スヴェッカがデモに加わっていたのです。しかも所在がわからない、そのうえ非武装の市民のデモ隊に銃弾が発せられたのです。母は娘の安否、居所を確かめるため駆けずりまわりますが官僚主義の壁に阻まれて一切不明のまま。個人的な不安に、政治への不満が忍び寄ります。信念の揺らぎの萌芽といってよいでしょう。

真面目でお堅い共産党員が娘を思ってほとんど半狂乱となるなか、KGBのメンバーであるヴィクトルが娘の捜索に力を貸してくれます。そして彼も事件を通じてソ連という国家の実態を目撃することになります。不満をいえば、KGBの職員が一介の党員であるリューダに協力するいきさつがよく理解できなかった。

それはともかくモノクロ、スタンダードのスクリーンには当時のソ連の空気が漂っているようで目を見張りました。社会主義一党独裁への礼讃。ことあれば軍や諜報機関による即座の発砲という契機を秘めた冷たく静かな不気味。沈潜する不満とそれを監視する視線。これらを掛け合わせるとこの空気になると想像しました。

余談ですがウクライナの情勢を機にいま話題となっている「ひまわり」でジョバンナ(ソフィア・ローレン)が、第二次大戦に出征したまま生死不明となっている夫アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)を捜すため意を決してソ連へ向かう場面で「スターリンも死んだことだし」と言っていました。ノボチェルカッスクの事件の何年か前のことだったと思います。

監督はことし八十四歳になるアンドレイ・コンチャロフスキー。日本でよく知られていることがらとしては「僕の村は戦場だった」の共同脚本家のひとり、黒澤明の脚本を元にした「暴走機関車」の製作があります。

(四月十九日 ヒューマントラストシネマ有楽町)