叙 勲

令和四年春の叙勲が四月二十九日に発令され、なかに旭日大綬章を受章した田中直紀田中真紀子ご夫妻の名前が見えていた。政治家の受章は政治利用を防止する観点からだろう、以後選挙に立候補しないことを条件としているから受章は政界引退の記念でもある。

またこれに関連して、亡くなった戦後の首相経験者で叙勲を受けていないのは田中角栄宮澤喜一のおふたりと知った。角栄氏は亡くなったときロッキード事件最高裁に上告中で、刑事被告人だった。宮澤氏は生前、本人の意向で辞退していた。

トルストイは『アンナ・カレーニナ』に「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」と書いた。それになぞらえていえば、勲位勲章を授けられ、それを受ける方の気持はどれも似たようなものだが、辞退した方々の気持は一律ではなく、それぞれであるだろう。そのひとり宮澤元総理はどうして受章を辞退されたのかは気になるところである。

ご存命の元総理では細川護熙氏が辞退の意向を表明していて『内訟録 細川護煕総理大臣日記』に「叙位叙勲勲章葬式戒名など晴れがましく且つ煩わしきものは、わが存命中、没後たるを問わず、すべて拒否、辞退する旨かねて佳代子(夫人)に申し付けおりしところなり」とある。

こうして勲位勲章を授けられた方々を寿ぎつつ、他方で辞退した方々の思いに関心が向かう。一律で似たような祝賀よりも辞退をめぐるそれぞれのドラマに興味が湧く。

古くは「余ハ石見人 森 林太郎トシテ死セント欲ス 宮内省陸軍皆縁故アレドモ 生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辭ス」「宮内省陸軍ノ榮典ハ絶對ニ取リヤメヲ請フ」と遺言した森鴎外がいる。
同時代では杉村春子大江健三郎文化勲章を辞退し、いずれもその理由を述べている。ほかにも「人の値打ちを役所に決めてもらうのはたまらん」(日本興業銀行頭取や経済同友会代表幹事を務めた中山素平)、「読者とお前と子供たち、それこそおれの勲章だ。それ以上のものは要らない」(作家城山三郎)、「私は勲章をもらうほど偉くありません」(アサヒビール中興の祖、樋口広太郎)といった辞退の弁がある。(広島市廣文館という本屋さんのホームページを参考にさせていただきました)

辞退を公言した方がいれば、お墓まで持って行った人もいる。作家の佐多稲子は叙勲内示の前段階で辞退を伝え、生涯ひとことも語らなかったと歿後関係者が伝えている。