「マネー・ショート 華麗なる大逆転」

ハリウッドは政治や社会の問題を扱うのに長けている。エンターティメントとして作り上げる手法に優れている。古典から一例を挙げると「カサブランカ」はメロドラマとしても戦意高揚映画としても一級品だった。
近年「事実に基づく」とか「事実にインスパイアされた」という映画が多いのもこれまでの財産が有効に作用しているからだろう。
「マネー・ショート 華麗なる大逆転」も2008年の世界金融危機の実相を描いたノンフィクション『世紀の空売り 世界経済の破綻に賭けた男たち』を原作にしている。
リーマン・ショックの裏側でいちはやく経済破綻を予見し、ひと財産を築いた男たちの話は素材としておもしろそうだし、アダム・マッケイ監督にはこれまでなじみはなかったけれど、原作は年棒総額最低クラスの貧乏球団を強豪チームに作り上げていったオークランド・アスレチックスビリー・ビーンGMの軌跡を描いて映画にもなった快作『マネー・ボール』の作者マイケル・ルイスによるものだから、従来のハリウッドの流儀を併せて考えると十分期待が持てる。
じっさいそのとおりの作品だった。わたしも映画の出来具合じゃなくて住宅ローン市場の行方を予期できていればウォール街を出し抜くことが出来たのに、と贅沢言ってはきりがありません。

アメリカの住宅ローン市場が崩壊しリーマン・ショックに端を発する金融危機が勃発したのは2008年。その三年前の05年金融トレーダーのマイケル・バーリ(クリスチャン・ベール)は各種の調査から住宅ローンを含む金融商品が極度の債務不履行を生む危険性に気づき、関係機関に訴えるがバブル経済謳歌する人々からはまったく相手にされず、嘲笑さえ浴びる。ただ、カリスマ・トレーダーのベン・リカート(ブラッド・ピット)らきわめて少数の投資家やトレーダーがバーリの動向やサブプライムの問題を注視しており、かれらはやがて逆張りの投資に打って出る。
アクションとセックスのシーンは皆無、あるのはすべて投資ビジネスの現場だ。
一部投資家の危機を予測した投資行動だったが住宅ローン市場は意外と堅調に推移する。映画は逆張り投資サイドの視点から描いているので市場崩壊という「津波」がいつやって来るのか、結末はわかっていてもけっこうスリリングである。
東日本大震災から五年が経った。ためらいを覚えながら住宅ローン市場の崩壊を「津波」にたとえた。リーマンショックという経済危機は人為的な地震だったと考えるからだ。
銀行、証券会社、格付機関いずれもこれまでの恐慌やバブル経済の崩壊からなんら学んでいなかったし、学ぼうともしていなかった。経済の実態からかけ離れた住宅ローンの拡大再生産、年収も担保も関係ない融資の大判振る舞いに警鐘が鳴っても多くはどこ吹く風で自分だけは避けられるだろうと都合のよいことを考えていた。
市場崩壊という「津波」でダメージを被れば一部の人々は退場し、登場人物は入れ替わる。そして、しばらくすると過去は忘れて、ご破算で願いましてはとさまざまな金融商品に新たな装いを凝らして次のバブルに向かう動きも出てくる。
寺田寅彦の「たまに地震のために水道が止まったり、暴風のために電流や瓦斯の供給が絶たれて狼狽する事はあっても、しばらくすれば忘れてしまう。そうしてもっと甚だしい、もっと永続きのする断水や停電の可能性がいつでも目前にある事は考えない」(「石油ランプ」)という言葉は経済にもあてはまる。
大規模な空売りで興奮し、はしゃぐトレーダーをベン・リカートがたしなめる。サブプライムローンで莫大な金を得た自分たちの反対側にはマイホームを手放さざるをえなかった多くの人々の存在があるのだ、と。逆張りの成果を正義で粉飾したのではなく、不都合な真実を知った良心的な男の発言として素直に受け止めたい。
教科書とか概説書はおもしろくないのが通り相場なのに、リーマンショックという事例をとおしての株式と債券をめぐる概論ふうの映画は断然興味深く、それだけ工夫が凝らされている。納得のアカデミー賞脚色賞だ。
(三月四日TOHOシネマズ日本橋