芳醇な味わいの芋焼酎

どこかの局の報道番組で、現時点で感染症対策が効果をあげている台湾と韓国を取り上げていた。素人の印象だが、両国とも対策にしっかりとした哲学があると思った。台湾の徹底した情報公開にもとづく社会運行(入国管理、ITによるマスクの供給など)、韓国のあくなき検査、検査、検査、それにたいし日本はとくに初動で哲学がなかった気がする。

いま日本の感染症対策の核は三密の回避にあり、ようやく哲学がみえてきた。これに台湾の徹底した情報公開にもとづく社会運行、韓国の検査の徹底に学んで、組み合わせるとよいのにと門外漢は思う。ただ、台湾の感染症対策の責任者は毎日、記者の質問の手が上がらなくなるまで情報の開示と説明に努めていて安倍内閣では無理だろう。

感染症対策の基本方針を選択する、その最終責任は政権が担わなければならない。韓国のように徹底した検査を実施するか、日本のように対象を絞るのか、いずれにせよ選択すれば責任が生ずる。そのことを「最悪の事態になった場合、私が責任を取ればいいというものではない」という首相はどれほど認識しているのだろう。

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黒川創「泣く男」(『いつか、この世界で起こっていたこと』所収)は一九七七年に高校二年生だった男がアメリカを旅したときの体験を振り返る体裁をとった、アメリカ社会の断面、原爆と風船爆弾と日米関係、男がアメリカ滞在中に歿したエルビス・プレスリーのことなど意表をつく話題の詰まった、考えさせられる短篇小説だ。

アリゾナにあるナボホ族の居留地ではウラン鉱が採れたために第二次世界大戦以来採掘の仕事がありネイティヴアメリカンは安い賃金で従事した。やがて体を壊してしまう人が増えた。放射能のせいなのではと推し量っても何も教えてくれないからなかなかわからない。

そのウランは原爆に用いられた。原子爆弾の始点ではナボホ族が放射能でやられ、その終点が広島と長崎だった。

いっぽう戦争末期の日本では、風船爆弾による反撃が考案され、一万発近くが飛ばされ少なくとも数百発が米国に届いた。一九四五年春ピクニックをしていた家族がこれに触れ、爆発が起こり母子六人が亡くなった。日本軍の攻撃でアメリカ本土でも死者がでていたのだった。

また北茨城の浜辺から放たれた風船爆弾が一九四五年三月十日ハンフォードの核施設にたどり着き、送電線に引っかかって断線したために原子炉三基がしばらく止まり、原爆の完成が数日か数時間遅れたという話もある。

風船爆弾は和紙と蒟蒻糊を材料に、直径十メートルの大風船に水素ガスを詰め、十五キロの爆弾一個、五キロの焼夷弾二個を抱えて空高く浮上し、偏西風に乗って海をまたぎ、アメリカ本土のどこかへ落下する、というもので、米国の確認で三百六十一発、日本側の推測で千発近くが届いている。竹槍の訓練や風船爆弾は追い詰められての破れかぶれくらいにしか思っていなかったが、後者はわずかながら効果があったわけで、特攻という前途有為の若者を自爆攻撃に使ったバカよりはるかに立派ではないか。

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第二次世界大戦で、サイパン島が玉砕し、戦局が絶望的になったのをうけて生まれたのが戦闘機に爆弾を抱かせ敵空母に体当りする、すなわち特攻だった。

散華した若者たちの心情を思い、これを企画、実行した中心人物である大西瀧二郎中将をわたしは人非人として、憎みても余りある人物としてきた。すなわち「特攻という前途有為の若者を自爆攻撃に使ったバカ」である。

ところが先日読んだ半藤一利『昭和史』には、特攻は大西瀧二郎の発案で、まさに下から彭湃として起こってくる、止むに止まれぬ勢いから最後の断を下したのだと伝わるが、軍部は敗戦直後に切腹し、死人に口なしの大西に特攻の全責任を負わせたと傍証を添えて書かれてあった。長年、大西を人非人としてきたわたしには衝撃だった。

陸軍が歩けて銃が撃てればよいのにたいし、海軍は船の機械を操作したり、天気図を読んだりしなければならないからなんとなく偏差値が高いイメージがある。阿川弘之山本五十六』『米内光政』『井上成美』を読むと見識も高そうだ。しかし巨視的にみれば海軍のほうが優れていたわけではないし、それに大西瀧二郎の扱いをみるにけっこう陰険である。

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新型コロナ感染症禍のなか新学期を九月にはじめる案が浮上していることについて安倍首相は国会答弁で「大きな変化がある中において、前広(まえびろ)にさまざまな選択肢を検討していきたい」と述べた。前広ははじめて知る言葉で、あらかじめ、 前もって、時間の余裕を持って検討するという意味だ。

安倍首相に教えていただいたというべきだろうが、首相は森ゆうこ議員の質問に、官僚のつくった答弁原稿を持ち上げ、示しながら「事前通告されてない!」「ここに記載されてない!」といっていたから、正確には答弁を作成した職員に教えていただいたというべきかもしれない。官庁以外ではあまり使われない言葉ではないかな。

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山頭火の日記を読んでいる。この人にも戦時俳句といってよい、いくつかの句があった。「遺骨を抱いて帰郷する父親」という前書に「ぽろぽろしたたる汗がましろな函に」。

えっと思ったのは「函」を「菌」とみたから。「若いという字は苦しい字に似てるわ」というむかしの歌の歌詞を思い出して苦笑しました。俳句の鑑賞にも感染症禍が及んでいる。

おなじく山頭火の戦時俳句。「戦傷兵士」の前書と「足は手は支那に残してふたたび日本に」の句。生前公表したかどうかはわからないが公表したとすればずいぶん勇気を要しただろう。プロレタリア川柳作家で治安維持法により逮捕され、病死とは名目ばかりで実質的には虐殺された鶴彬の「手と足をもいだ丸太にしてかへし」を思った。

「街はおまつりお骨となつて帰られたか」「みんな出て征く山の青さいよいよ青く」「日ざかりの千人針の一針づつ」「しぐれつつしづかにも六百五十柱」。

はじめて読む山頭火。わたしは、漂泊と放浪の俳人としてのみ知る人だったが、旅するうちに時代相をしっかりみつめていたのはこれらの句がよく示している。

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吉村昭のエッセイ集『縁起のいい客』によると、日本人ではじめてアイスクリームを口にしたのは万延元年(一八六0年)にアメリカに派遣された人々で、その記録に「味は至つて甘く、口中に入るに忽ち解けて、誠に美味なり。是をアイスクリンといふ」とあるそうだ。

やがて製法は日本に伝えられたがまだまだ珍しいものだった。そうしたなか明治六年、北海道に行幸した明治天皇にアイスクリームを差し上げたという記事が報知新聞の記事になっている。

ところであんぱんの日というのがあり、明治八年の四月四日、天皇に仕えていた山岡鉄舟が木村屋のあんぱんを明治天皇に献上したことに由来している。だったらアイスクリームの日があってよいのでは、と思い調べてみたら、なんと五月九日がその日だった。

ただしこちらは明治天皇は関係なく、東京アイスクリーム協会(日本アイスクリーム協会の前身)がアイスクリームの消費拡大を願い東京オリンピックをひかえた昭和三十九年(一九六四年)の五月九日に記念事業を開催し、あわせて諸施設へアイスクリームのプレゼントをしたところから発している。

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先日読んだロバート・リテル『CIA ザ・カンパニー』のなかでCIAのエージェントのひとりが「問題は構造的だー上に伝えられる情報は、彼らの誤った認識を修正するものではなく、むしろそれを補強するものでしかない」と語っていた。アメリカ合衆国が対外介入にあたってしばしば国際情勢の分析を誤ったことについての作者の思いだろう。

そこで「下々はマスクが手に入らないなんて騒いでいます」「だったらマスクを配布しましょう」「首相肝いりのマスクですからみんな喜びますよ」といったやりとりを想像した。こうして問題は構造的である。

ちなみにマスクの入手困難を改善するには、数百円出せば買えるマスクの配布よりも、たとえば台湾が行なっているようなマスク供給のシステムを構築することが大事だったはずで、個人、民間ではできない、できにくい事業にあの予算を振り向けていたら、と悔やまれる。

そのアベノマスクが届いたのですぐ開けようとしたが、けっこう手持ちのマスクはあるからと自制し、子供からはマスクが切れたときの予備にしておけばよいからとメールがあった。

「下さる物なら赤葉でも」ということわざがある。使い道のない大根の赤葉でもタダならガッポリいただきましょう、くれるというなら大根の枯れ葉でも頂戴しましょう、老爺のお貰い精神は健在で、予算はもっと有効な使い途があるだろうにと溜息をつきながらマスクをいただいた。ただし大根の赤葉は下さる方からのお裾分け、マスクは公金による配布もしくはバラマキである。首相はお貰い精神の発達した国民へのお裾分けと考えているかもしれないけれど。

それに大根の赤葉でもいったん頂戴するとかえって高くつくこともある。「只より高い物はない」。困ったことに配布されたマスクのなかには異物による汚染や不良品も混ざっていて多額の公金をかけたうえ余計にむだな費用がかかるのはいただけない。おまけに担当企業の選定に疑惑があるのであれば「アベノマスクより高い物はない」となる。

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五月十四日政府は新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく緊急事態宣言について対策本部を開き、東京や大阪など八つの都道府県を除く、三十九県で解除することを決定した。わが生活する東京はお預けになり残念ではあるが、この日も新たに三十人の感染者が出ているからやむをえないことではある。

緊急事態宣言の解除を願いながら、解除になったときの生活のありようについてあれこれ考えている。本を読むのは喫茶店で、テレビの前に坐るよりも映画館のほうが好きな自分が、外出自粛でやむなく自室で読書し、テレビドラマを視聴しているうちに、これもいいなと思うようになった。もともと適応力はあるほうだ。

灯火したしむべし、自粛もしたしむべし、であればステイホームの充実を図ってみようと、海外ドラマの専門チャンネルの視聴契約をした。

午後のひととき自分で淹れた珈琲を飲みながら好きな音楽を聴いたり、海外ドラマをみていて、緊急事態宣言が解除されても当面はこのライフスタイルを続けることになりそうだ。

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雇用調整助成金、特別定額給付金などの施策はスタートしたがいつ手許にお金が届くのか不明、スピード感がないという不満は大きい。とりあえず高い目線で「どうれ」と返事はするが、さてとおみこしをあげるまでゆっくり時間をとる「その万国共通の親玉が、いわゆるお役所仕事である」。(京極純一『文明の作法』)

『文明の作法』は昭和四十五年(一九七0年)に刊行されていて、この半世紀、お役所仕事の作風にさほど変化はないようで「どうれと言うは長い文字~待てど暮らせどお役所仕事」である。ただし京極先生は万国共通というが、今回のドイツの支援金対応はずいぶん早いと聞いた。

施策の遅れの原因のひとつにIT化の遅れがある。マイナンバーカードを用いたオンライン申請より書類を郵送するほうが早く給付金が届くなんていわれていて、日本の官庁はIT化の掛け声はあげるもののみずからの職場のIT化は「待てど暮らせどお役所仕事」のようだ。

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うまい酒をうまく飲みたい。どこで?が問題だが外出自粛のいまは家飲みのほかなく、オンライン飲み会というのが流行だそうだが無職渡世には無縁であり、それをする情報リテラシーもない。自宅での独酌酔中自楽にひたっている。

寝て起きて、ジョギングして、ご飯を食べて、本を読んだり映画やドラマをみたり、夕刻散歩して一日が暮れ、そうして食事、晩酌そのほか、老爺の自粛生活よろこぶべし。「人はよき時代を懐かしむことはできる。しかし現代を逃れることはできない」(モンテーニュ)。現代を逃れないために自粛生活してる。

近ごろくすりと笑ったり、感心したことがら。ジェイムズ・ジョイスは一九一九年以降、自身の作品にセミコロンを使ったかどうかを大問題とした研究者がいたんだとか。昔の新聞記事のリードに「美人の首なし死体発見」というのがあったそうだ。山頭火日記に「一杯やりたい夕焼空」という句をみつけた。

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五月二十五日。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言について、継続している北海道、埼玉、千葉、東京、神奈川の五都道県の解除が決定した。四月七日からだからおよそ一月半の自粛生活だった。少なくともしばらくは医療、経済ともに緊張した状態が続くが、ともあれ解除はよい方向への一段階で晩酌の浮き浮きの度合はちょっぴり高まった。

ネットに芋焼酎へ蜂蜜を少し垂らすのはよい、とあるのをみてマルタ島で買った蜂蜜を垂らしてみた。すると芳醇な味わいの芋焼酎になった気がした。

マルタ共和国を旅したのは昨年の暮れだから、この数カ月で世界は激変した。飲みながら六十代はずいぶん旅したけれど、今年からの七十代、海外旅行をすることはあるだろうかと先行きを思った。

このかんの自粛生活で焼酎とウィスキーへの愛しさはつのり、晩酌のたのしみは増した。そして人生最後のたのしみは酒食にあると実感した。いま読んでいる山頭火の日記に「食べることが生きることになる、といふ事実は、老境にあつては真実でないとはいへまい」とあり、ならば食と酒を楽しむ老境でありたい。