2019チュニジアの旅(其ノ三)

地中海に面した遺跡の町ケルクアンへ来た。カルタゴが海の彼方のローマと戦ったポエニ戦争は紀元前264年のローマ軍によるシチリア島上陸から、紀元前146年のカルタゴ滅亡まで三度繰り広げられ、ケルクアンは第一次ポエニ戦争カルタゴが手放さざるをえなかったところだった。

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ポエニ戦争に勝利したローマはケルクアンを徹底的に破壊したが、建物の基礎をなす石群までは手が及ばず、そのため、ここは現存する唯一のフェニキア人(カルタゴ人)の町の遺跡、古代カルタゴの最良の遺跡となり、1985年ユネスコ世界遺産に登録した。といったしだいで、なんだか世界史の授業みたいになりました。

ルクアンからバスで130㎞、チュニスに戻り、明日からは首都近郊を廻る。かつてのフランスの植民地、そうして比較的穏健なソフトイスラムの国らしくチュニスにはノートルダム寺院を模したキリスト教会が建っている。

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チュニジア北西の内陸部にあるドゥッガ遺跡は北アフリカ最大級のローマ遺跡、65ヘクタールの広さをもち、その中心にはジュピターを祀る神殿が建っている。

ローマ人は進出した先で神殿と劇場と闘技場を造った。ドゥッガに即していえば、紀元前二世紀にこの街を占領し、神殿、円形劇場、浴場等を建て、街をつくった。のちに東ローマ帝国の所領となったが、その頃には神殿が教会にとって代わっていた。

ドゥッガの遺跡、とりわけジュピター神殿が建つキャピトル神殿を見ながら、神殿から教会へというローマ史の重要な一面を思った。

 

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遺跡のあとはバルドー国立博物館へ。

外観はふつうの博物館と見えるが、ここは十三世紀のハフス朝の宮殿として建てられていて、なかの雰囲気はけっこう豪華だ。

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収蔵品は古代ローマのモザイクを主に古代ギリシアイスラム時代の遺物が展示されていて、モザイク博物館、モザイク画の聖地の異名をもっている。

モザイク画は紀元前4000年頃、メソポタミア文明の時代に始まったとされる。石や貝殻などを小さく割ってピースを作り、それを接着剤でくっつけていく。こうして組み合わせ、描かれたモザイク画の色彩は褪せることはなく、劣化には強い。

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なお、2015年3月18日、男二人がこの博物館を襲撃し、観光客を人質にとって立てこもり、その後、治安部隊が二人を殺害しおよそ四時間後に博物館を制圧した。この事件で二十二人の観光客が死亡し、うち三人は日本人だった。

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2月11日。朝、チュニスの中心部を散策した。ホテルの立地がよく、パリを思わせる地でのさわやかな散歩だった。いっぽうに砂漠とラクダのイメージのあるチュニジアだが、それとは対照的な光景だ。

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旅は六日目。きょうの夕方チュニスを発ち、ドーハ経由で成田に向かうから実質的には最終日となる。

まず訪れたのが地中海に臨むカルタゴ遺跡。三度にわたるローマとの戦争、ポエニ戦争によりフェニキア人の古代カルタゴは破壊された。紀元前146年にカルタゴが陥落した際、ローマはその復活を恐れ、草一本生えることのないよう塩を撒いたと伝えられる。

その後、紀元前1世紀ころにローマの所領となったかつてのカルタゴの跡に新しいローマの植民市が建設された。いま眼にしているのはローマ植民市の遺跡で、ローマ都市らしい円形劇場や浴場の跡が見られる。このカルタゴ遺跡ローマ帝国時代に復興された都市の跡だ。

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上はアントニヌスの大浴場。総面積は35,000平方メートル、長辺の長さが200mにもなる巨大な公衆浴場で、当時ローマ帝国で三番目の大きさ、二階建てで百もの部屋があり、温水風呂や冷水風呂、さらにはサウナまであったと伝えられている。

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今回の旅の最後の観光名所はカルタゴチュニス湾を見下ろす高台にあるシディ・ブ・サイド。白と青の二色で彩られている街で、地名は聖人アブー・サイドにちなんでいる。この地の住宅は、アラブ建築、アンダルシア建築の組み合わされたもので、鮮やかな白い壁に青い扉が特徴である。二十世紀、この地に魅せられた芸術家、文人としてWikipediaにはシャトーブリアンフロベール、ラマルティーヌ、ジイド、コレットボーボワールの名前が見えている。

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このあとチュニスの空港から帰国の途に就いた。下はチュニスの真ん中にある、チュニジア独立を記念した建てられた塔。この国のシンボルだ。

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