東日本大震災直後の三月末を以て定年退職したから、この四月から十一年目の年金生活に入った。わたしは六十歳定年だったが、このかん六十五歳定年が普及し、今年度からは労働者が希望すれば七十歳まで働くことができる「高年齢者雇用安定法」の改正法が施行されることとなった。隠居志向の強い者に六十歳定年はさいわいだった。
ときに、毎日何してるんですか、どうやって時間を潰しているんですかとか訊かれたりするけれど、毎日為すこともなく欠伸のみして日を送ることができるのをありがたいと思っているから何ほどのことはない。それと昔ふうに申せば、酒色のふたつも財なくてはその楽しみは得がたいとはいえ、わたしは財の許す範囲で楽しんでいればよいタイプなので老いらくの身をなんとかやりくりできている。
退職していちばん変わったのはテレビの視聴で、現職時はニュースとスポーツ番組(ほとんどラグビー)だけで、バラエティ番組やドラマは時間が惜しくてパスしていたが、退職してからはドラマが加わった。
さらに新型コロナウイルス感染防止のための外出自粛により、口福の楽しみの比重が高まり、お酒がますます好きになった。
「福禄寿 ふくと寿の二ツに事はたる酒の天の美禄も其中にあり」(大田南畝)。
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「金というものの唯一の欠点は、使うとなくなってしまうということである。これは実際、困ったものであって、使うとなくなるからというので使わずにいれば、なんのために金を持っているのかわからない。」吉田健一「金銭について」より。
金についての箴言集が編まれるときはぜひとも収録していただきたい。
使うとなくなってしまうという金の欠点ではあるが、手放さないことにはしかるべき満足は得られない。古今亭志ん朝さんがよくまくらで、ちかごろは一万円札をくずしてしまうとたちまちなくなってしまいます、そこで、くずすのをなるたけ遅くする、遅らせる、これしかございませんナと語っていた。欲しいものは買いたい、一万円札はくずしたくない、まったくもってやれやれですナ。
吉田健一はまた、死ぬ思いをしてやっとためた金を残して死ぬのはあまり気がきいたことではない、貯金はこれと定めた目的のためであり、ならば先に借金をして目的を果たし、あとで返してゆけばよいと述べている。この説は昭和三十年代は冗談と思われていたかもしれないが、いま読むとカード社会の到来を予見している。
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大田南畝(一七四九年~一八二三年)は古稀を過ぎても行楽と読書は衰えることなく意のままに楽しんでいた。
七十を超えてなお人から本を借りて手写するのをたのしみとしており、また桜の季節になると花を見て廻った。その著「壬申掌記」には上野、泉松山、伝通院、白山、駒込、大久保、堀の内、山谷、本所といったところがしるされている。
わたしも例年とおなじく上野、白山、駒込などで桜をみたけれど、南畝が
「伝通院に花見にまかりて 花にゑふ去年の春より今年までのみつる酒もはかりなき山 山を無量山といへばなり」
とよんでいるのを知り、この日はジョギングコースを変更して伝通院へ向かった。
弥生坂を上がって本郷へ、そこから春日へと下り、小石川の善光寺坂を上がると伝通院に着く。そうして伝通院と澤蔵司稲荷(慈眼院 )では桜を、善光寺では椿を拝見させていただいた。
帰宅してシャワーと朝食のあと録画してあったNHKドラマ「蝉しぐれ」をみた。牧文四郎を内野聖陽、お福を水野真紀が演じていて、ラストのあの名セリフではまたしても泪だった。藤沢周平原作の映画、テレビドラマは見逃さないようにしているが、「蝉しぐれ」は二00三年の放送で、当時は在職中だったからテレビドラマ化されていることすら知らなかった。
「蝉しぐれ」であらためて藤沢周平を読みたいと思い、電子本の全集を探してみたが集成されておらず、そうだ、よい機会だから山本周五郎を読んでみようという気になり電子本で『山本周五郎作品集』(一)を求めた。「あだこ」「晩秋」「おたふく」所収。価格は九十九円、著作権が切れているから格安で読めるのがありがたい。
山本周五郎はまったくといってよいほどご縁のない作家だったが、開高健が激賞していて気になる作家ではあった。しかし藤沢周平に惹かれていたから先輩格の山周までは手が回らなかった。それがドラマ「蝉しぐれ」から急旋回して、まずはネットで評判の高かった短篇「おたふく」を読んでみたところ、「蝉しぐれ」とおなじく胸が熱くなり目が潤んでしまった。
そのうえで気がかりなことを書いておかなければならない。
『山本周五郎作品集』は株式会社オリオンブックスというところから発行されていて、奥付に「読みやすくするため現代の言葉に近づけていますが、作品の性質上、そのままの表現を使用している場合があります」と不気味なことが書かれてある。歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに直したとかルビを増やしたくらいならともかく、いくら安価でもとんでもないテキストを読まされたのではたまったものではない。
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いつ買ったのかの記憶もなくそのままにしてあったDVD「恋の情報網」を鑑賞。ジンジャー・ロジャースとケーリー・グラントが共演しためずらしい作品をどうして放っておいたのだろう。ヒトラーの実写フィルムが挿入されるなど一九四二年という時局柄反ナチを鮮明にしたロマンティック・コメディだった。
監督は「逢いびき」や「我が道を往く」で知られるレオ・マッケリー。この人の作品ではいまだに「明日は来たらず」と「人生は四十二から」をみる機会に恵まれないのが残念でならない。
「明日は来たらず」は「東京物語」の発想の素になった映画としてつとに知られているが、以前読んだ貴田庄『小津安二郎と「東京物語」』によれば、野田高悟は本作をみていて、かすかな記憶を語っている。いっぽう小津がこれをみたとは考えられないことが実証されていた。
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大田南畝の晩年について永井荷風は「葷斎漫筆」に「南畝其の齢古稀を過るも行楽読書二つながら能く思いのままに之をなし得たるは、精力絶倫の致すところにあらずして何ぞや」と書いた。ここにも読書と散歩を喜びとする人がいてうれしい!
寛政十年南畝年五十。
「五十になりけるとし、うちいでてまたいくはるかこゆるきの五十路にかへる浪のはつ花」
「竹の葉の肴に松のはしたてむ鶴の吸物かめのなべ焼」。
よい機会だから南畝のおめでたい狂歌を荷風による「大田南畝年譜」から拾ってみた。
「時鳥なきつるかたみ初鰹春と夏との入相の鐘」
「生きすぎて七十五年喰ひつぶしかぎりしられぬ天地の恩」
「お出にはおよはぬものを老らくの春は来にけり春は来にけり」
「あら玉のとしも六十三番叟とうとうたらりたらりながいき」
こうして荷風を通して南畝に接しているが、それだけではおさまらず、じかに南畝に接してみたい心のたかぶりを感じている。いかん、いかん、下流の年金生活者という立場をわきまえて購書は自重、自重。
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原作と映像作品によるアガサ・クリスティ攻略作戦、今回は先日NHKBSPで放送された「名探偵ポアロ」の「アクロイド殺人事件」。テレビドラマのおかげで四十数年ぶりに再読した。もう一度読んでみたいと思いながら絶対に犯人もトリックも忘れない作品だから手に取るのが延び延びになってしまった。
わたしの攻略作戦の参謀は霜月蒼『アガサ・クリスティ完全攻略』で、霜月氏は「本作をすでにお読みのあなたも、もう一度読み直すといい。トリックを知っているからいいや、とお思いのかたには、ミステリの価値はトリックだけにあるわけではなく、演出が物を言うことを示す最良の例として、本作を再読すべしと申し上げよう。読み直すときっと、あの真相につながる伏線や手がかりがあちこちに仕込まれていることに驚くはずだ」と述べている。
二十代で読んだときは早く犯人を知りたくて、空腹でメシをガツガツ喰らうような読み方だったから味読にはほど遠かったが、 再読して、伏線の張り方、手がかりの散りばめ方、噂好きな村の女性たちが醸し出すユーモアなど、作者の「演出」の見事さを堪能した。
なおTVドラマの改変には大いに不満だった。
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母の六十の賀宴での南畝の一首。
「松かげにならべる尉と姥ざくらともに老木の花のさかもり」
いいなあ、心がうきうきして華やいでくる
『大田南畝全集』全二十巻、別巻一(岩波書店)。古書店で買えない値段ではない、本棚をやりくりすれば架蔵できないこともない、しかしどれほど理解できるか、つまりは低学力の問題がある。貧乏と高齢ゆえに、購書は一切断念くらいの気持でいるけれど、永井荷風に刺激されて大田南畝を読んでみたい気持の止みがたく、それに過日は白山の本念寺で南畝のお墓参りをしたこともあり、心乱れた末に南畝全集を買ってしまった。漢文記述の書は無理だろう、せめて狂歌、随筆の理解を図りたいと願っている。
全集第一巻に収める狂歌を少し読んだところニヤリとしたり、しみじみしたり。
「くれ竹の世の人なみに松立ててやぶれ障子に春は来にけり」
「吉原の夜見せをはるの夕ぐれは入相の鐘に花やさくらん」
さらにスカトロジーに男色!
「七へ八へへをこき井出の山吹のみのひとつだに出ぬぞきよけれ」
「男色の心をよみ侍ける 女郎花なまめきたてる前よりもうしろめたしやふじばかま腰」
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美空ひばりが歌う「三百六十五夜」を知ったのはたしか小学六年のときで、わたしはひばりの大ファンだった(いまもそう)ので、しっかり歌えるよう記憶した。この曲が同名映画の主題歌で、霧島昇と松原操がデュエットしたオリジナルがあると知ったのはだいぶん後のことだった。作詞西條八十、作曲古賀政男。
その映画「三百六十五夜」がNetflixで配信されていてさっそく鑑賞した。東京篇、大阪篇の二部作百五十分余を二時間弱に縮約した総集篇ではあるが、長年の宿題をようやく済ませた気分になった。
上原謙、山根寿子、高峰秀子など豪華キャスト、監督は市川崑、一九四八年新東宝。恋の混戦と偶然が重なるメロドラマにして歌謡映画、二葉あき子が歌手として出演し「恋の曼珠沙華」をうたい、ほかにも「別れても」「港の見える丘」の名曲が流れていた。
映画は一九六二年に美空ひばり主演でリメイクされていて、こちらも機会があればぜひみてみたい。ところでわたしが歌っていたひばりヴァージョンとオリジナルとでは二番の歌詞に異同があり、オリジナルの「我ゆえ歩む道頓堀の水の夕陽が悲しかろ」がひばりヴァージョンでは「我ゆえ歩む箱根の峠水の夕陽が悲しかろ」となっている。映画に合わせての改変で、西條八十先生がひばりのためにお許しくださったのだろう。
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四月十日。10キロマラソンレース(ヴァーチャル)に出走。結果は440/1012、56:58。七十歳になってからの10キロ走ではいちばんよい成績だった。晩酌のビールがおいしくて、おいしくて。さりながら明後日十二日からは東京にも蔓延防止等重点措置が適用される。走ることで救われている老爺だ。
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明日結婚式を挙げる京子(久慈あさみ)が幼なじみの誠一(池部良)を誘って独身最後の一夜をいっしょに過ごす。喫茶店や映画館、スケート、ダンスホールに足を運ぶうちに女は挙式について心に影の領域があるのを認め、男は愛していたけれど、その気持ちをどうしても告白できないまま彼女を見送るほろ苦さを舐める。
男が結婚を口にすれば、女は応じただろう、戦前の名作「暖流」のように女から告白したって結ばれたはずなのにそうはできなかった。その意味では英文法でいう仮定法過去の恋の物語で、そこに哀切と後悔、自分ではない相手と結ばれることになる人のしあわせを願う心情が漂う。
昭和二十六年、市川崑監督作品。おおっぴらに愛を語り合いにくかった戦前の心模様がまだ色濃く残る頃の、中流の若い男女の淡く美しい一夜の恋物語。わたしには愛おしい珠玉の小品である。
森繁久彌がダンスホールのマネージャーというチョイ役で出演していて、のちに久慈あさみが東宝の社長シリーズで森繁社長夫人としてレギュラー出演していたのを思えば、彼女の結婚相手は若き日の森繁社員だったとおぼしく、それゆえ「恋人」はこのあと一流企業の社長夫人、裕福で安定した家庭の主婦に納まった京子の心揺れた一夜を描いた作品と想像される。若き日の市川崑監督の三作品「三百六十五夜」「恋人」「夜来香」を配信してくれたNetflixに感謝。
なお、本ブログでは「恋人」について以前にも話題にしていますのでよければ参照してみてください。
https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20110810/1312937334
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「さく花のちれる木末に夕風のそよぐも春の名残ならまし」
いまの季節にぴったりの大田南畝の歌でよい気分になり、さらに読み進めると元気になった。
「烏亭焉馬翁みちのくにゆくとききて みちのくの五十四郡に此翁七十六で思ひたつ旅」
「男舌を出して女の口を吸はんとするかた、蜜蜂の舌を出してたをやめの花の唇すはんとぞ思ふ」
『万載狂歌集』所収の南畝の賀歌
「あいた口戸ざさぬ御世のめでたさをおほめ申もはばかりの関」
無粋は承知ながら文春の記事にたいする五輪当局の、芸能人のコメントへの東京都の対応を憂ひ、香港やミャンマーの人々への弾圧を思ひてよめる
「心開き口は戸ざさじ夢むすぶ遥か大地に花を望みて」