江戸の百均

浮世風呂』『浮世床』などの滑稽本で知られる式亭三馬に文化七年から翌八年五月までの日記を兼ねた『式亭雑記』という随筆があり、冒頭に、なんでも三十八文という店のはなしがある。

「去年の歳暮より此春へかけて、三十八文見せといふ商人大いに行はれり。小間物類品々をほし店に並べ置き、価をば三十八文に定めて商ふこと也」。

小間物など店に並べてある品はどれも三十八文というのはいまの百均とおなじで、辻々に立つ商人の呼びかけも書きとめられている。

「何でもかでもより取つて三十八文、あぶりこでも金網でも三十八文、炮烙に茶ほうじ添へて三十八文、銀のかんざしに小枕附けて三十八文、はじからはじまでより取つて三十八文、京伝でも三馬でも、より取つて三十八文云々」

江戸時代後期にも、いまのダイソーやキャンドウなどとおなじ形態の商いのあったことが知られる。

なお「京伝でも三馬でも」は冗句として加えたものではなく、この声を聞いた三馬は店に立ち寄り「三年此方古板になりし絵草子合巻の事」だったと確認している。

お隣の中国に目をやると北宋の首都開封の市民生活を詳細に描いた風俗志『東京夢華録』に、調度食器飾りつけ請負の「茶酒司」、料理請負の「厨司」、料理配達、招待状発送、宴席サービス、余興手配の「白席人」といった職業が見えている。

「ご利用会場にお料理、テーブルクロス、お皿、その他必要な備品をすべてお持ちし、パーティー会場をセッティングいたします」というのはCBSケータリングのコマーシャルで、十二世紀はじめの中国におなじサービスがあったとことがわかる。

宋代のケータリング・サービスや江戸時代の百均の原型となるともっと古くにさかのぼるかもしれない。

技術の進歩はいちじるしいけれど、過去から持ち越してきたものは多く、それに人間の生活には時代は異なっても安全や平穏な運行のための原理や作法があり、受け継がれることがらは多く、それに廃れていたり、忘れられていたことがらが思い出されたり、よみがえったりもする。三十八文店や北宋の「茶酒司」はその一例である。

百均やケータリングという商いの形態が繰り返されたり、復活したりするのはよいけれど、やっかいな繰り返しに地震や火災などの忘却がある。天災は忘れたころにやって来るのである。

「元暦二年のころ、大地震があり、ひどくゆれた。それはただならぬもので、山は崩れて、川を埋め、海は傾斜して、海水が陸地を浸した」は『方丈記』を現代語訳にした一節だが、鴨長明はその後日談として「そのときは、人皆、ものごとの空しいことをいって、少しは心のにごりも薄らぐかと思われたが、月日が重なり年数が経てば言葉に出して地震のことなど口にする人さえいなくなってしまった」と書かなければならなかった。

百均、ケータリングといった商売の才覚はなかなかのものだが、地震、火災の教訓を忘れず留めておくのはいつの世であっても人間は苦手のようである。