日本学術会議とベーシックインカム

日本学術会議が推薦した百五名のうち六名の任命を拒否した菅内閣は説明責任を果たさないまま学術会議の改革の問題に論点をずらそうとしているようだ。

学術会議の改革は必要だとしても特定の学者や考え方を狙い撃ちするのは自由主義国家の根幹に関わる問題であり、まずは学術会議のメンバーの選定は学界の専権事項としたうえでの話とすべきだろう。政治が学問や思想に強権を発動してろくなことはなく、学者には自由な研究活動を保障し、政府は必要に応じ意見を徴すればよい。

ところで竹中平蔵氏が提起したベーシックインカムの議論が話題を呼んでいる。内容は、人々は月々七万円の最低所得補償を無条件に受給できる、その代わり国民年金生活保護制度は廃止、高額所得者はあとでベーシックインカムによる所得を何らかのかたちで返さねばならないの三点を骨子としている。コロナ後の社会におけるセーフティネットのあり方に一石を投じたものだが、ほんとうに安全、安心を提供しているかどうかは懐疑的な見方が多い。

日本学術会議ベーシックインカムをめぐる問題に関連があるとは見えない。しかしながら「今日の軍人政府の為すところは秦の始皇の政治に似たり。国内の文学芸術の撲滅をなしたる後は必づ劇場閉鎖を断行し債権を焼き私有財産の取上げをなさでは止まさるべし。斯くして日本の国家は滅亡するなるべし」(永井荷風断腸亭日乗』昭和十八年十二月三十一日)という戦時中の荷風の予測を知るとなんだか不気味である。

文学芸術(ここに学術会議も含めよう)を撲滅したあとは債権を焼くという予測に、ベーシックインカム支給と併せての年金、生活保護の廃止を重ねると学術会議とベーシックインカムは無関係とは言い難くなる。

国債がチャラにされ、年金も生活保護もなくなったとき、そういえば日本学術会議が取り沙汰されたころからひどく変な具合になったなんてことになりかねない。「日本の国家は滅亡するなるべし」という警鐘である。