ご近所で文学散歩

十一月二十日現在、大統領選挙でジョー・バイデン候補が勝利したにもかかわらずドナルド・トランプ氏は選挙で不正があったと主張して敗北を認めていないため政権移行は順調に進まず安全保障や新型コロナ対策などをめぐり支障が指摘されている。

仮にわたしがジョー・バイデン氏の立場にあったなら、トランプ氏に、税金を払っているかどうか分からない者はまずそこから証明してものをいえとか、いつまでも負け犬の遠吠えを繰り返すなとかいってみたくなるのだがバイデン氏は国民の癒しと和解を専一の立場を堅持しているのだろう。

戦争が政治の延長であるならば政治家は戦争はしなくても戦争に即応できる人物でなければならない。わたしはトランプ氏を支持する者ではない。ただしバイデン氏がどれほどの指導力の持ち主なのかは未知数で、さっそくWHOに復帰するといっているがせめて台湾のオブザーバー参加は条件にしてほしいと願っている。

権力を握るために殺し合いをするのはよくないとして選挙がとって代わった。民主主義国家の誕生で、権力抗争を選挙という票を獲得するスポーツとしたことはまことにけっこうなことだった。しかし今回のアメリカ大統領選挙についてはスポーツから内乱へ逆戻りする危惧さえ感じてしまう。大統領みずからがスポーツのルールを尊重しない異常事態である。

選挙の重要はいうまでもないが一種のスポーツとして割り切ることも必要で、選挙カーからあるいは集会の壇上から命がけで国家国民のために働くと叫ぶのはけっこうだが、ほんとに命をかけていては民主主義の元も子もなくなってしまう。

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自宅に近い根津神社は広々として樹木の多い素敵な空間で、つつじの名所でもある。散歩に、また生活道として利用させていただき心から感謝している。

社殿は宝永三年(一七0六年)甲府藩主徳川家宣(のち将軍)が献納した屋敷地に造営されており、権構造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作と評価されている。

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正門では平田東助の筆になる「根津神社」の文字が刻まれた大きな石柱が迎えてくれる。平田東助(1849-1925)は明治、大正期の官僚、政治家で、農商務大臣、内務大臣、内大臣を歴任、山縣有朋の側近としても知られている。

ただ永井荷風のファンとしてはいささか具合の悪い人で、荷風が 一九0九年 (明治四十二年)に刊行しようとした『ふらんす物語』は内務大臣平田東助の名をもって「右出版物ハ風俗ヲ壊乱スルモノト認ムルヲ以テ出版法第十九条二依リ明治四十二年三月二十七日発売頒布禁止及刻版並印本差押ノ処分ヲ為シタリ」とされたから石柱には発禁の文学史のメモリアルが重なってしまう。

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表門からゆっくりあるいて裏門へ行くと道路を隔てて日本医大病院があり、その傍らにある薮下通りという名のある小道をあがると団子坂上に着く。 薮下通りについて荷風は『日和下駄』に「私は東京中の往来の中で、この道ほど興味ある処はないと思つてゐる」と書いていて、樹と竹藪におおわれて昼なお暗い光景はいまはないけれどかつての姿を心に浮かべながらあるいていると気分はもう文学散歩である。

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 坂上森鴎外の私邸観潮楼があったところでいまは文京区立森鴎外記念館が建つ。荷風によると鴎外にはじめて会ったのは明治三十四五年のころ、伊井蓉峰が尾崎紅葉の「夏子袖」と鴎外の「玉匣両浦島」(たまくしげふたりうらしま)を演じ、それを観劇に行っていた荷風小栗風葉が鴎外に紹介したのが初対面だった。

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荷風が父の意向で渡米したのが一九0三年の九月、ついでフランスへ渡り、帰国したのは一九0八年七月だった。そして一九一0年鴎外とパリで荷風と知り合った上田敏荷風慶應義塾大学文学科の主任教授に推薦した。

荷風にとり二人は「わが身をして深く西欧の風景文物にあこがれしめしはかの即興詩人月草かげ草の如き森先生が著書とまた最近海外文学文芸論の如き上田先生が著述の感化に外ならざればなり」(「書かでもの記」)といった存在だった。

もとより慶應の教授に推薦してくれた感激は大きかった。そして「(鴎外)博士と私との交渉は、私を慶應の教授に推薦して下されてから、特別な関係が生じてきた。それが動機で、私は故人の上田敏博士と共に、いくたびとなく博士の門を訪れ」るようになった。(「鴎外博士のこと」)

荷風の指導、編集のもと「三田文学」は一九一0年五月に創刊された。同号所載の「三田文学の発刊」には「非常に風の吹出した或日の午後観潮楼の一室に春寒の火桶を囲んで自分は我が崇拝する鴎外先生と親しく談話する機会を得た事を喜んだ」といったシーンもあり、観潮楼跡の記念館の前に立つと火桶を囲む鴎外、荷風を思って文学散歩は絶好調だ。

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十二月八日、政府は新型コロナウイルス感染拡大に伴い北海道への自衛隊の看護師(看護官)らの災害派遣を決めた。大阪府にも派遣する方針である。

北海道の事情はよく知らないが、大阪のばあい全国初のコロナ専門病院となった大阪市立十三(じゅうそう)市民病院が、医師や看護師の相次ぐ退職でコロナ患者を計画通り受け入れられないというから医療体制の逼迫の度合は深刻だ。おまけに十八の診療科のある総合病院がコロナ専門病院となった結果、四月十六日以降外来診療や救急診療、手術を順次休止させ、約二百人いた入院患者全員を転退院させた。

そうしたなか「本来の専門分野の患者を診られないのがつらい」「負担が重すぎる」として十一月末までに医師十人、看護師・看護助手二十二人が退職し、医療スタッフからはコロナ専門病院の返上を求める声も上がっている。自衛隊への看護師派遣依頼にはこうしたいきさつがある。

大阪市立十三市民病院をコロナ専門病院とする最終決定は松井一郎大阪市長によるものだが、報道からは医療現場と意思疎通を欠いた姿も浮かぶ。

Twitterでは池田清彦氏が「大阪、コロナ新施設出来るも看護師いない。GoToキャンペーンのお金を看護師の危険手当てに回せばいいのにね。安い給料でもみんなの為に頑張る人は、偉い人ではなくて、ただのお人好しです。相応の金をくれなければ、働かない、という人こそ正しい人です。大金貰っても働かない政治家もいますけどね」と当を得たつぶやきを寄せていた。

わたしにもただのお人好しを買って出た後悔があるが、わたしのばあいは知恵の無さも加わっていたからかえってはた迷惑だっただろう。

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新型コロナ感染症のいま、ひとときの楽しみのためにわざわざ旅行しようとは思わない。ところが政府はGoToトラベルが新コロの陽性者を増加させた証拠はないという。

ならば感染者の多い地域へ旅行するのは止しても、そこに住む人が自己責任で旅行するのはなんら問題はないはずだが、自粛せよの声もある。

わたしが野党の議員だったら、GoToトラベルを中止せよとか訴える前に、GoToトラベルが感染者数を増やしていないのであれば、どうして危険度を知事に判断せよとか、キャンセル料は国負担で大阪市、札幌市からの旅行の自粛を協議したりするのか、放っておけばよいではないかと質問してみたい。

GoToトラベルと感染者の増加とは関係ないといいながら、菅首相小池都知事との会談で、東京都の重症化リスクの高い六十五歳以上の高齢者と基礎疾患がある人にGoToトラベルの利用を自粛するよう呼びかけたいとの要請に応じた。ならばGoToは高齢者にはよくないと修正するべきではないか。 

GoToトラベルは推進するいっぽうで大阪市と札幌市は一時停止とし、東京に限って六十五歳は利用するなといい、他の道府県の高齢者への言及はない。もう何がなんだかわからず、GoToトラベルと新型コロナ感染症との関係についての認識がぶれまくっているとしか思えない。これを「弥縫策」というのである。縫い合わせ、取り繕って欠点を隠し、一時的に間に合わせとすることで、対義語を見ると「抜本的な策」「根治」とあった。弥縫を重ねて根治に行き着けばよいけどね。

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十二月十二日。ヴァーチャルマラソンで10km を走った。七十歳になって初レースの成績は56:47、347/789。六十代最後のレースが56:20、287/769だから挽回しなくてはいけない。加齢とともにタイムは落ちて「意地の筋金、度胸のよさも、いつか落ち目の三度笠」なんて口ずさみ、苦笑いするが、これもまた楽しい。

この日、ジョン・ル・カレ氏(本名デービッド・コーンウェル)がイギリス南西部コーンウォール地方の病院で肺炎により死去した。 八十九歳だった。「寒い国から帰ってきたスパイ」そして「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」にはじまるジョージ・スマイリー三部作に大興奮したのがつい昨日のよう。スパイ小説の醍醐味を教えてくれた作家にあらためて感謝を捧げる。

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GoToトラベルの年末年始の一時停止を発表するのにペーパーを読みあげていた菅首相にネット上では不満と批判の声が多く寄せられている。官僚の作文ではなく自身の言葉で語ってほしいとの願いもあった。

また「ニューズウイーク」誌日本版の記事のリードには「新型コロナ危機のなか珍しく情に訴えたメルケルは、ウイルスというファクトから目を背けることはできないと言い、菅は『こんにちは、ガースーです』と言った」とあった。

菅首相が読んでいた原稿が官僚の作成したものか首相自身が書いたものかはわからないがあまり顔も上げず抑揚もつけず淡淡と読んでいる姿を目にすると判断は前者に傾きやすい。

在職中何度か婚礼で祝辞を述べたことがある。会場の雰囲気や仲人のご挨拶を踏まえて当意即妙に語るのはどんくさいわたしにはとても無理なので、あらかじめ原稿を書き、当日はそれを取り出して読んだ。 自分としては心を込めて書いたつもりである。 記憶して臨もうという気はなかった。

それやこれやで原稿を読む首相を批判するつもりはない。問題は語られた内容に人間としての誠実、政治家としての見識があるかどうかで、ネット上に批判を寄せた人々にはそこのところが心に響かなかったのだろう。

そんなことを考えていたらGoTo一時停止を決めたあと首相は、五人以上の飲食は避けるよう国民に求めながら、銀座のステーキ店で二階幹事長ら七人で会食したというニュースがあった。

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十年近く前に買ったブルーツース内蔵のラジカセ状のスピーカーシステムを廃して写真の小型スピーカーに換えた。気分一新また驚いたことに、ハーイ、今日のニュースを知らせてちょうだいと声をかけるとニュースが流れてくる。

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古稀を迎えたのを機に『荷風全集』の再読をはじめた。荷風は、文学者になろうと思ったら大学なぞに入る必要はなく、鴎外全集と辞書の言海とを毎日時間をきめて三四年繰返して読めばよい述べたが、文学者とは関係ないわたしの傍に言海はなく、辞書代わりのスマートフォンと小さなスピーカーがあるばかりだ。

「だれ一人自分の金を他人にばらまくものはいないけれど、だれもが自分の時間と命を他人にばらまいている。この二つくらいわれわれが気前よく浪費するものもないが、この二つの吝嗇だけはわれわれにとって有益であり、褒めてやっていいことなのである」。

このモンテーニュの勧めを受け止め、金の吝嗇にも心がけて荷風全集を読もう。

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「薔薇ノ木ニ/薔薇ノ花咲ク。/ナニゴトノ不思議ナケレド。」(北原白秋「白金之独楽」より)

そしてわたしはクリスマスが近いので何事の不思議なくアガサ・クリスティポアロのクリスマス』を読んでいる。ルビンシュタインの弾くショパン夜想曲集を聴きながら。本はもっぱら喫茶店で読んでいたのにいまは自宅で、外出自粛モマタ楽シ。

「わたしの仕事ならびに技術は、生きることだ。で、そのわたしの考え方、経験、習慣にもとづいて、生きること」だ。(モンテーニュ『エセー』)

「今一日のことを考へて見ても、明日のことが心配にならないこともないが、相当に運動して、相当に食慾を得て、飯をうまく食つて、懇意な友達と一緒に音楽でも聴いて、そして安眠が出来れば、相当の心配はあつても、どうやらかうやら自分は幸福であつたと其日を感ずることが出来る」(永井荷風「現実で満足だ」)

在職中は心急かれながらあれやこれやの本に手を出していた。退職して十年、あれもこれもは読めないとしみじみ断念を味わい、いつしかうえのモンテーニュ荷風の言葉が心に沁みるようになった。昔のように早く読み上げようとは思わない、そのぶんショパンを聴きながらクリスティを読むことに幸福を感じている。