新コロ漫筆~動けば損

晩唐の詩人李商隠は引越しが大好きで、そのため貧乏を通したと聞く。官僚政治家だったが賄賂とかは取らなかったのだろう。

ことわざに「動けば損」という。男女の仲やマネーゲームにも適用されているがどちらともご縁のない老爺としてはズバリ転居、旅行を戒める言葉として受け止めている。

さいわいいまの居宅を終の棲家と思い定める東京大好き人間だから国内旅行は必要なく散歩行楽で十分、ナイトクラブやそのたぐいにも興味はない、レストランへは家族の意向にしたがい連れて行っていただくけれど率先はしない。ご近所にある居酒屋さんが生涯唯一のなじみで、あとは家飲みB級グルメにこよないしあわせを覚えている。

昨年政府は経済を回してゆくためには GoToトラベルやイートは必要だとして実施に踏み切った。人が動くと感染リスクは高まるのは承知していても待ちきれず、早々に中止に追い込まれた。どちらに転んでも「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事二非ズ」の藤原定家に倣っていえばGoToなどわがことではなく、下流年金生活者として吝嗇に努めながら楽しみを追求する。万事安上がりに生きていけるよう育ててくれた父母に感謝しなければならない。

南国土佐に生まれ、月の名所の桂浜で月を愛で、いま忍ぶ忍ばず無縁坂を不忍池のほとりに下りて池にかかる月を見る。月の名所は数あってもこのうえさらに求めようという気はない。

もちろん「動けば損」は感染症対策として心得ている。わたしのばあい新型コロナ禍で映画館へ足を運ぶことが少なくなった。そのぶんNetflixAmazonビデオをこまめにチェックして視聴作品を選んでいる。最近では話題の「愛の不時着」で笑い、中国発ミステリー「バーニング・アイス」に感心した。そして「バーニング・アイス」を昨年三月に録画しながら一年もほったらかしてあったのを反省した。情報収集力は高めなくてはならず、外出自粛にもそれなりの課題はある。

吝嗇に努めるといえば永井荷風が「偏奇館漫録」に「往復葉書にて宴会の通知に接すること毎月多きは十数回に及ぶ事あれども決して返事を出さず。返信用の片ひらはこれを猫婆にして経済の一端となせり」と書いていて、ずいぶんまえに、まねしてみたいなと細君に言ったところ、永井壮吉は荷風を演じているの、あなたがやるとたんなるバカがまねしているだけの話になるとたしなめられた。荷風がやるから格好がつくのであって、才なき男は嘆息するのみである。

ちなみに荷風は、往復はがきにある宴会に出席したとして会費を貯金箱に入れ、後日、玩具春本の類を購入する資金とした。義理とふんどしを欠くこと屁とも思わず、寄附金だってもともと資産家が罪滅ぼしに行うもの、一般国民は収入を隠したりせず税金を納めればそれで十分、「公共事業に寄附金を出すのは愚の骨頂」という。

いっぽうに収入を隠し税金逃れをする輩もいて、そこから賄賂を取り便宜供与を図る政治家官僚もいる世の中では当然のことで、口にはしないけれど、こちらはまねしたいといっても細君に否やはないだろう。