「ある画家の数奇な運命」

題名にある「数奇」は、画家志望の青年が恋し、愛し、結婚した女性の父親が、青年の幼いころ可愛がってくれた叔母を心を病む者として隔離し、死に追いやったナチスの高官だったことを指しています。

東ドイツで育ち青年となったクルト(トム・シリング)は社会主義リアリズムのもとでの美術活動に飽き足らず妻エリー(パウラ・ベーア)とともに西ベルリンに逃れます。ベルリンの壁ができる直前でした。

エリーの父カール(セバスチャン・コッホ)は戦前ナチスの高官で、産婦人科医として精神のバランスを崩した人々、心を病んだ人々に断種手術を施し、安楽死政策を推進した人物で、クルトの叔母は犠牲となったひとりでした。そして戦後は巧みに過去を隠し医師としての地位と名誉を保っています。

「数奇」なることが浮かび上がってくるのはクルトが画家としての方向が定まらず、苦しみ悩むなかでのことでした。

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ストーリーの構成と運びは見事なもので、画家としての自己形成が、自分と妻の家族の過去の探究に、そして西ベルリンへの逃亡やナチス高官だった義父の所業と戦後の権威ある医師への転身といったドイツ現代史に重なります。

こうしたストーリー展開の素晴らしさにくわえ、その語り口は丁寧で緩みはなく、映像も丹念に美しく撮られていて三時間超の長さはまったく気になりませんでした。

幼いころの自身と叔母とのノスタルジックな写真の模写が義父の過去とどのようにリンクしてゆくのかはサスペンスフルにしてミステリアス。こんなサスペンスの盛り上げ方があったんですね。

クルトはゲルハルト・リヒターという人をモデルにしているそうです。名前すら知らなかった方ですが現代美術界の巨匠だそうです。 先日亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレンさんもはじめて聞く名前で、そんなわたしでも難なく鑑賞できました。

監督は「善き人のためのソナタ」でアカデミー外国語映画賞を受賞したフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督。「ソナタ」と「数奇」で目の離せない監督となりました。

クルトとエリーが西ベルリンへやって来たとき映画館で「サイコ」が上映されていてニヤリでした。

(十月六日ヒューマントラストシネマ有楽町)