ケチ作戦

原油価格の高騰やロシアのウクライナ侵攻が世界経済ひいては家計に大きな影響を及ぼしている。電気・ガス料金、お菓子類をふくむ食料品、各種サービス料金などなど値上げラッシュの様相だ。

わたしは下流年金生活者だからサバイバル術の必要度は高いが、かといって特別なものはなく、これまで通り貯蓄を心がけ、出費を抑えるほかない。投資や為替レートの利鞘など甘い誘惑に乗るのはもってのほかだ。

わたしがこう書くと信用できないかもしれないけれど、ご心配なく、経済評論家の荻原博子さんが「そもそも私は、一般の生活者が日本経済全体を考えるような必要って本当にあるのか疑問なんですよね。マクロ経済の論理で家計のようなミクロはカバーできないはず」「基本的に貯蓄して使わないっていうのがミクロな家計にとってのサバイバル術だと思っています」とおっしゃっている。(「週刊文春」2022年4月28日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」)

日本列島全体の天気図をもとにその日の行動を決めるのは理屈であって、多くの市民にとってほんとうに必要なのは当日行動するエリアの天気予報である。日本列島全体の天気図をマクロ経済とすれば個人の生活圏の天気予報は家計というミクロ経済となる。マクロ経済の動向を踏まえたうえで各家庭は経済力に応じ合理的で、満足度の高い生活を追求すればよい。少なくともここしばらくは物価上昇に備えて貯蓄を心がけ、できるだけお金は使わないサバイバル術をわきまえ、あとは「神の見えざる手」にお任せするしかない。

永井荷風は往復葉書の返信の宛先を書き直して別用に使ったという。サバイバルのためその精神に学ぼうではないか。ついでながら荷風は、ろくでもない役人が市中の道路を管理していて、地中の漏電で人馬が亡くなった事故もあることから靴に化粧釘を打つのは危険、また蝙蝠傘の棒も金属製のものは避けておいたほうがよいという。ケチと安全の徹底を見習おう。

荷風のケチについて三島由紀夫が『不道徳教育講座』で、個人主義を徹底し、決して人を世話せず、人の世話にもならないという主義のフランス人が世界的ケチであることは論理的必然としたうえで「永井荷風先生は日本における最高のフランス的ケチであり、ハイカラもここまで行かなければ本物ではありません」と述べている。うれしいことにケチはハイカラ、脱俗に通じている。

ところでアサヒビールが十月一日からスーパードライなどを値上げすると発表があった。缶ビールの値上げはおよそ十四年七か月ぶりだそうだ。

これに備え、試みに強炭酸水にシチリア島の旅で買った岩塩をパラパラと振って飲んだところこれがなかなかよかった。この塩はしょっぱ過ぎて利用が少ないものだから消費促進を図るため実験してみたしだいで、これにより晩酌をしない日のノンアルコールビールをときどきは炭酸水で代用する目途がついた。わたしはノンアルコールビールでよい気分になったりもするから炭酸水で代用できるとなると缶ビールの値上げに何ほどか対抗できる。ノンアルコールビールの酔いは医療におけるプラセボ(偽薬)効果のようなものだ。

値上げにどうやって対抗するかの問題を考えているとみょうにファイトが湧く。もともと抵抗ということを重視するタイプだったから、その名残でケチによる対抗を思うのだろう。

東京メトロも値上げが待っている。いちばんよく映画を観るのは日比谷、銀座、有楽町で、自宅からは五キロほどだから走って行くのは簡単だが汗の処理が難儀で、だったら歩けばよいが走るのは好きだけれど歩くのはそうでもない。さてどうするか。ケチという反骨をつらぬくために老骨は思案している。