七十歳になった

小沼丹木槿」に「何でもこんな寝苦しい暑い夜のことを、熱帯夜とか云ふのださうである。一體、いつからそんな名前が出来たのか知らない。聞いただけでうんざりする。昔はそんな呼名はなかつたと思ふ」とあった。「群像」昭和五十二年十月号に発表されているからこのころには「熱帯夜」という言葉はだいぶん知られていたとわかる。

熱帯夜は気象エッセイスト倉嶋厚氏による造語で、 新聞、放送などは気象庁の統計「1日(0時1分から24時まで)の最低気温が摂氏25度以上の日」を熱帯夜としている。これに加え二00七年から一日の最高気温が35度以上の日を「猛暑日」と呼ぶようになった。

もうひとつ関連する言葉に熱中症がある。一九五0年生まれのわたしは、子供のとき脱水症と熱射病は知っていたが、熱中症は知らなかった、というか言葉としてまだなかったか普及していなかったのではないか。ネットには熱中症の起こる原因や対処の仕方は事細かく述べてくれているが、この言葉がいつから広く用いられるようになったかを教えてくれる記事は見つからなかった。

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「寝たいだけ寝たからだ湯に伸ばす」「同宿三人、みんな同行だ、みんな好人物らしい、といふよりも好人物にならなくてはならなかつた人々らしい、みんな一本のむ、わたしも一本のむ、それでほろほろとろとろ天下太平、国家安康、家内安全、万人安楽だ(としておく、としておかなければ生きてゐられない」( 山頭火日記、昭和五年十一月十二日)

濱口雄幸首相が東京駅で銃撃されたのは上の記事が書かれた翌々日の十四日だった。首相は即刻入院し、翌年一月に退院したが政友会の鳩山一郎らの執拗な登壇要求に押され、三月十日無理をして衆議院に姿を見せ、翌十一日には貴族院に出席した。それでも野党側からの議場登壇要求は止まず、三月十八日衆議院で登壇したものの声はかすれ傍目にも容態は思わしくなく四月四日再入院し、十三日に辞任した。退院後は療養に努めたが八月二十六日死去した。享年六十二。

安倍首相の病気辞任から思い出された歴史のひとこまで、銃撃を受け退院した直後の首相にしつこく登壇を求める野党の議員たちの行動は日本政治史の汚点としなければならない。そしてわたしは晩酌をしながらほろほろとろとろ天下太平、家内安全を願っている。

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九月十二日。ヴァーチャルマラソン10Kmを走った。六時から十二時のあいだに各自が定めたコースを走り、GPS付アプリで計測して、それを主催者が集計、公表するもので、結果は0:56:20、287/769、そしてこれがわたしの六十代最後のレースとなった。

できれば記念にフルマラソンを走りたかったのだが、早く日本で、世界で通常の大会が開催できるよう願うほかない。

昨年の東京マラソンからあとフルマラソンは走れておらず、うろうろしているうちに完走がおぼつかなくなる不安はあるが、それよりもこの歳になって長距離走を楽しんでいる幸せを噛みしめたい。何歳までは走りたいといった目標はなく、これからもおなじく行けるところまで!

次回は七十歳初出走だ。

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朝の寝床で山頭火の日記を読んでいると「くちなしの花を活ける、花の色も香も好きである、野の貴公子といつた感じがある」「何だかなつかしうなるくちなしさいて」(昭和七年七月六日)とあり、すぐにiPadでこの八月十日に七十八歳で亡くなった渡哲也さんの「くちなしの花」をYouTubeで聴き、今宵は晩酌しながら口ずさんでみようと決心した(なんて大げさですけど)。

くちなしの花言葉は「とても幸せです」「喜びを運ぶ」「洗練」「優雅」だから病弱の恋人をなぐさめ、いたわる日本の歌謡曲のイメージとはずいぶん違っている。 「とても幸せです」は、アメリカで女性をダンスパーティーに誘うときにくちなしの花を贈ることから、誘われた女性の気持ちを表しているわけだ。 「喜びを運ぶ」はくちなしの花がよい香りを放つことに由来している。

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AXN海外ドラマ専門チャンネルが放送する「CSI:科学捜査班」を見終えた。といっても全篇見たのはシーズン1~5で、あと6~15は最初と最後の数回と締めくくりのテレビ映画で、すべてを録画するとハードディスクがパンクしてしまうから、どこかの国の巨大広告代理店じゃないが中抜きとなった。

米国ではこのドラマの人気で鑑識捜査員の希望者が増加し、鑑識セクションの重要度を高めるため警察の組織改編を行った州もあったそうだ。ドラマが科学捜査に影響をおよぼしたのだから大したものだ。一話四十五分の読み切り短篇の趣で、最終のテレビ映画は歳月の流れを描いて大河ドラマの感もあった。各シーズンとも面白く見たがオリジナルのメンバーがばらけるころから少し落ちたかな。

優れもののなかでもとりわけ光っていたのが シーズン5の「CSI:24時間の死闘」前後編だった。ふつうは一話完結なので特別扱いだなとスタッフをみているとクエンティン・タランティーノがストーリーを提供し、監督も務めていた。

タランティーノの映画はすべて見ているがテレビドラマまでは手が回らなかった、というか意識になかったのでうれしい拾い物だった。調べてみると彼のテレビ作品では「フォールームス」と「ER緊急救命室」 シーズン1の一話を見ていた。

ここで気に入ったせりふをひとつ。

交通事故で片脚を切断したため、義足をつけている優秀な検死医アル・ロビンスが、鑑識チームを率いるなか服役囚の暴行で片方の腎臓を失ったレイモンド・ラングストンに言う。「自分の思いどおりに生きられると考えていてもどうにもならないことが人生には必ずある。それを受け入れれば前に進める」。

つぎにはスピンオフの「CSI:マイアミ」が控えていて、舞台はラスベガスからマイアミに移る。

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十月一日。ジョギングは朝をもっぱらにしているが今朝は小雨だったので夕刻に走ったところ満月と東京スカイツリー不忍池の三点セットが見られた。タイム、距離はGPS付きのウォッチで計測していてスマホは持たずに走っているのだがこの三位一体は写真に撮っておきたくて走って家に引っ返しスマホを提げて不忍池に戻り撮影した。

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帰宅して晩酌のあとNHKBS1が放送したフランス製作のドキュメンタリー番組「さまよえるWHOー米中対立激化の裏側ー」を見た。テドロス事務局長はやはり胡散臭い人物だ。エチオピア独裁政権のもと政敵を迫害し、その死にも関わり、感染症を公認すると海外からの投資が得られないので頑なに拒否し、コレラの流行したときは、国境なき医師団に流行を口外すると追放すると恫喝していた。テドロスは習近平の走狗のみならず同類の人物なのだ。彼のほかにもオンラインの記者会見で台湾についての質問が出ると機械が不具合だとして無視したWHO の幹部がいた。

WHOの真相、核心をしっかりと抉ったドキュメンタリーのなかで識者が、それでもWHOと別組織を作るのはまずいと語っていて、理解はしてもテドロスやその類いの輩が最高幹部として君臨するのであれば日本も離脱を考えてはどうかとわたしは思った。

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第二次世界大戦中、アメリカ軍は軍人が日記を付けるのを厳禁とした。敵の手に渡ることを考慮しての措置だった。しかし日記を付ける人間など滅多にいなかったから特段の制約や苦痛とはならなかった。いっぽう日本は陸海軍当局ともに日記を禁止とはしなかった。

日本の軍当局も日記が敵を益するおそれがあるのは承知していたが、禁止とはせず、それどころか新年には日記帳が支給されていた。( ドナルド・キーン『百代の過客 日記にみる日本人』 )

日記を点検して思想チェックする利便性はあったが、それよりも日本の伝統に占める日記の重要性を考えると日記の禁止は不満を高めて逆効果となると考えていたのではとキーン氏は述べている。

わたしは短期的にはともかく日記を付ける習慣はなかったがブログを書くようになってスマホのメモアプリを日記代わりに用いている。中身は予定や情報についての覚え書きや読書、映画の感想、原稿の下書きなどで、その一部をいまこのようにブログに載せている。 日記の好きな日本人は多く、ブログと日記をリンクしている方はけっこう多くいるだろう。それにたいしてキーン氏の所説からすると米国人にはブログと日記の相関関係は低いと思われるがSNSの普及が何らかの変化をもたらしているかもしれない。

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昭和十五年一月十八日、永井荷風は田村町で電車を乗り換えようとして線路につまづき倒れてズボンの膝を破ってしまった。そこで老脚あはれむべしの嘆きとともに「しのぶてふ辰巳の里も知らぬ身はうしと見し世ぞ更にかなしき」「すりむきし膝は畳の上ならで石につまづく老のさか道」の二首の狂歌を詠んだ。(『断腸亭日乗』)

その三年後の昭和十八年十二月に書いた「雪の日」には「七十になる日もだんだん近くなつて来た。七十といふ醜い老人になるまで、わたくしは生きてゐなければならないのか知ら。そんな年まで生きてゐたくない。と云つて、今夜目をつぶつて眠れば、それがこの世の終だとなつたら、定めしわたくしは驚くだろう。悲しむだらう」とある。

このとき荷風は六十五歳だった。

わたしは今月十月に七十となり、既に「醜い老人」である。上の文章は「生きてゐたくもなければ、死にたくもない。この思ひが毎日毎夜、わたくしの心の中に出没してゐる雲の影である」と続く。

「そんな年まで生きてゐたくない」と思ったことはないが「生きてゐたくもなければ、死にたくもない」感覚はときに微かに覚えていて、これが大きくなるのか、それとも老醜を晒しながらこの世への未練をますます募らせてゆくのかは自分でもよくわからない。

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ネット上での誹謗中傷問題が後を絶たない。五月に亡くなったプロレスラーの木村花さんは自殺とみられており、背景にはネットでの誹謗中傷があったとされている。昨年末には元国会議員の三宅雪子さんが亡くなっていてやはり直前にネット上の誹謗中傷を苦にされていたという。また、性暴力被害を告発したジャーナリスト伊藤詩織さんへのネット上での誹謗中傷や常軌を逸したハラスメントの事例もある。

SNSをどうしてこんなことに用いるのか。語らいや議論、情報交換のための機器が兇器となる現代社会である。

「人相寄って談ずるや必しも口角泡を飛ばすを要せず。男児誰か平生一片の心なからんや。しかれどもそは寧ろ深く胸中に蔵して可なり。同志相逢うてただ笑談時の移るを忘るる事あるもまた何の妨げかあらん」( 永井荷風「文明一周年の辞」)。

わたしにSNSは「笑談時の移るを忘るる」に一役買ってくれている。 他方SNSの普及でバカが意見をいうようになったとの批判があり、また匿名をいいことにしての誹謗中傷があり、自殺者を出すに至っている。「口角泡を飛ばす」議論もあってよいだろう、しかし節度とゆとりを忘れないよう自戒しておこう。

おなじく荷風は、自然主義が輸入されてからのち滑稽諧謔を理解しようとする気風が乏しくなったとしたうえで「ただウヱルテルの如く憂悶するにあらずんば詩客文人の資格を欠くものとなすに似たり。何ぞ図らんゲーテもまた時に祭日の農民の如く戯れ笑ふ事ありしを」と述べている。ウェルテルの悩みばかりではない、エスプリもユーモアもあってゲーテである。冗談や皮肉を排して遠ざけ、歓談を蔑んで口角泡を飛ばし、硬直と窮屈を続けてばかり、荷風いうところの自然主義はこんにちのSNSにまで影響しているとは目から鱗が落ちる思いがした。

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菅首相日本学術会議の会員候補六名の任命を拒否した。報道によれば新首相になって急に起こった案件ではなく、以前から学術会議に手を伸ばすよう準備されていて今回の発動となった。

学術会議が人事の原案をつくり首相が任命するのは天皇内閣総理大臣最高裁判所長官を任命するのとおなじく拒否する云々の話ではないと思っていたので任命拒否は石が浮かんで木の葉が沈むようなもので、馬鹿らしいと笑い飛ばしたいのだがことは深刻である。

昭和戦前の滝川事件や天皇機関説事件などにみられるように学者の世界を政治が統制しようとするのはろくなことがない。政府は多様な意見のなかから必要に応じて参考にすればよいのであって、こうして人事にまで手を伸ばしてきたということは統制を強化する以外のなにものでもない。これまでのやり方を改めるなら少なくとも事前に選考基準は示しておかなければならない。

政府側は「学術会議に、総合的、俯瞰的観点から活動を進めてもらうため、首相が任命した」と説明しているが、拒否された六名は安保法制や特定秘密保護法に反対の意見表明をしていて、政府の意図がいずれにあるかはいうまでもなく、やがて原子力発電をはじめ国の政策に反対したり疑義を示したりする学者は排除されるだろうと容易に想像がつく。

前期高齢者の半ばにある身としては日本が独裁・専制・強権の国になる前に逃げ切りができるだろうか、いささか不安を覚えるようになった。イスラエル歴史学者で 『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』や『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』の著者として知られる ユヴァル・ノア・ハラリが新型コロナウイルスをめぐるテレビ番組で 、一人の人物に強大な権力を与えるとその人物がまちがったときにもたらされる結果ははるかに重大なものとなる、独裁者は効率良く迅速に行動できる、しかしまちがいを犯しても決して認めず隠蔽する、メディアをコントロールしているので隠蔽するのが簡単なのだと語っていた。日本がそうした国になるのはそれほど遠くないのかもしれない。

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銀座のビアホールで七十の祝いをし、子供たちがスポーツタオルをプレゼントしてくれた。これからもランニングに努めてマラソン大会に出場したいね、多謝。

「タオル店には、うるっせーオヤジだから古希じゃなくて、のぎへん付きの古稀で刺繍をお願いした」といっていたのに苦笑した。

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歓談するなかで、新型コロナがいまのような状態で来年オリンピック、パラリンピックが開催されたとして、感染の危険を避けて実家のある高知へ疎開するのはどうだろうと相談してみたところ、新コロ逃れの高齢者への視線はとてつもなく厳しいだろうとの答えだった。

たしかに疎開してきた者は人目につきやすく、そのうえ感染状況が悪化するとそれだけで居辛くなると考えるとオリパラ期間中の疎開は断念するほかない。やれやれ。